全ての物事は2回

誰でもやるべきことをメモっておいて終わったら消す、という方法で仕事を片付けます。買い物に行く主婦はチラシに丸を付けて、もしくは裏に買うべきものを書いてスーパーへ行きます。ビジネスマンは手帳にToDoリストを付けてそれを潰したりします。もしくは裏紙に仕事をごちゃごちゃと書き込んでは、終わるたびに真っ黒に塗りつぶしてストレスを発散しているような人もいて興味深いですし、全部脳の中で完結してしまう人もいます。

少し前のことになりますが、流行っているらしい仕事術にGTD(Getting Things Done)という方法があり、関心があって調べました。それはToDoリストを使うことになぜ価値があるのか伝えるものだと感じましたのでまとめてみます。参考にしたのは“ストレスフリーの仕事術”という本でした。

タイトルに付けた“全ての物事は2回”とはとても簡単なことです。1回目として、頭の中で考えたり、イメージしたり、設計したりすること。2回目として、実際に発言したり、行動したり、作成したりすることです。想像と創造、設計と実装、imageとdraw、予定と行動となります。しかしこれは、とても複雑になりがちです。何か別のことを考えたり覚えたりしながら、実際今取り組んでいることとは関係ないことも多いからです。何のメモも手帳もなしに、あらゆる仕事や買い物や当番や家事ややりたいことを全て忘れずに果たすのはとっても難しいと思います。みんな“何らかの方法”で予定して行動しています。ほとんど頭の記憶に頼る人もいれば、できるだけ書き出す人もいることでしょう。

GTDはそこへ注目させます。“なんかやらなきゃいけないことごちゃごちゃしてるでしょ?”、“ごちゃごちゃしてるといくら仕事してもスッキリしないでしょ”、“昔はこんなに複雑じゃなかったのに最近はみんなごちゃごちゃしているんだ”と問いかけてきます。そして、“ごちゃごちゃをキレイにしたら毎日がスッキリして気持ちがいいよ?部屋を綺麗に片付けたみたいにね。”と励ましているように感じられました。

その方法は、やらなきゃならないことを全部紙に書き出して分類する、というシンプルなものです。書いて書いて書きまくること。永遠に続くように思われるだろうが5分もすれば思いつかなくなってくる、と提案しています。そして全部書き出して分類すると、脳が「ここに書き出したから、もう覚えておかなくてもいいのだな」と判断し、書き出されたことは脳の負担が減り、“覚えておかなきゃ”ストレスがなくなり、脳は余裕を持って次のことに取り組めるという説明となります。

ToDoを書き出す価値を上手に高めていると感じました。ここがGTDの啓発的な部分だなと思います。やるべきことが全部把握できているからこそ、それ以外のことにも取り組めるようになると説いています。“あれもやらなきゃこれもやらなきゃじゃ、自分の一番やりたいことなんてずっと後回しだよ”って言っていて、それはごもっともでした。

さて、もう一歩踏み込んで、私の感じていることも書いておきたいと思います。

GTDは、それほど新鮮さを感じることはないかな、と思いました。やはり私が素晴らしいと思うのは”7つの習慣”であり、主体性を発揮するということなんだなと確認しました。GTDはやらなきゃならないことを全部書き出すことを薦めるのに対して、7つの習慣は、自分が“どんな役割”を生活の中で果たすのか考えて決め、その役割に応じて「何をするのか」チェックリストを考え出して作ることを提案しています。ここに大きな違いがあると思うのです。

今何をしなければならないかをチェックリストにするというのは、とても反応的な行動で、流れに身を任せて自分がなくなる危険性を含んだ作業だと思います。上司に言われたことと所属する組織から提案されていること全部をチェックリストにしたところで、全てを実行することは普通できないものです。

大事だと思うのは、「しなければならないこと」をリストにする反応的な態度ではなく、「自分がしたいと心から願うこととするべきこと」をリストにする主体性だと思います。どんな仕事やお誘いが入ってこようが明日の午前のチェックリストにボランティア活動に打ち込むことだと決めたらそれを実行する。私は自分が決めたチェックリストに従う習慣をつけたときに、成長を感じ取ることができるようになった大切な過去を持っているのです。勿論まだまだ青二才でありますが。

全ての物事は2回。チェックリストに自分の主体性を発揮しよう。

結婚/動機のクオリティ

今度は結婚に当てはめて動機の成分を追ってみたいと思います。これ、私としてはかなり興味深いと思っております。

<一般的な結婚に対する動機の成分>

レベル1.罰則を恐れて行動する(こわいから)
-親や親族の手前、結婚しないと格好が付かないから
-これ以上年齢が進むと結婚できなくなるかもしれないから

レベル2.報酬を求めて行動する(ほしいから)
-相手の収入や財産から自分が経済的な益を得られるから
-相手の立場ゆえに、自分も良い立場が得られるから
-相手の身体的魅力を自分のものとすることができるから
-相手の知的能力により様々なことを教えてもらえるから
-相手からの暖かい関心や愛情を与えてもらえるから
-相手のその他の能力により自分を助けたり喜ばせたりしてくれるから

レベル3.義務感ゆえに行動する(やるのがとうぜんだから)
-回りがどんどん結婚しているので

レベル4.愛や欲求ゆえに行動する(やりたいから)
-好きになっちゃったんだからしょうがないでしょ!

レベル5.意義を感じ取り、与えたいと願って行動する(あたえたいから)
-相手に自分がしてあげたいと思うことがあり、そこから自分が充実感を得られる
-その相手と一緒になることにより、新しい意義深い行動に打ち込める期待がある

これまで分析してきた通り、レベル1,2の成分は質が低く、幸福にあまり寄与しません。しかしながら、超強力なレベル2のパラダイムの魔法がこの世の中にはかかっていると判断せざるを得ません。

結婚相手に何を望むか?

ここから世の中はスタートします。望まない、という選択肢が最初からないのです。これでうまくいく方が驚きです。動機が、欲しいものを満たすという低レベルの成分が多い状態で結婚したとします。結婚した途端、これらは全て満たされます。その結果生み出されるのは、次に欲しい物です。子供か名誉か地位か車か、欲しいものを満たすという精神で人生の決断を下してきているわけですから、当然そうなることでしょう。互いを愛するという誓いから遥か遠く離れたところに二人はいることになります。

私の参考としているある本には、盲目の恋と真実の愛をどのように見分けることができるか、というコラムがありました。そこにはこうあります。「盲目の恋:自己中心的,限定的。『自分にどんな益があるだろうか』と考える/真実の愛:利他的な気持ちで相手の益を気遣う」。

結婚する時の動機の成分。得ようとするのではなく、与えようと願っているのだろうか、と。そもそも、与えようと願うとはどういう状態なのか理解が難しい。つまりこれは私がそれをまだ知らないことを意味している :-P 。

仕事/動機のクオリティ

前回から動機のクォリティについて考えています。残業と遅刻を最初に取り上げましたが、今回は仕事そのものという角度で考えます。まずは仕事に取り組もうとした時の一般的と思われる成分を上げたいと思います。

<一般的な仕事に対する動機の成分>
レベル1.罰則を恐れて行動する(こわいから)
-上司に怒られたくないから作業する
-回りから馬鹿にされたくないから作業する

レベル2.報酬を求めて行動する(ほしいから)
-お給料が欲しいので作業する
-自分の能力を認めて欲しいので作業する

レベル3.義務感ゆえに行動する(やるのがとうぜんだから)
-みんながしているので自分も作業する

レベル4.愛や欲求ゆえに行動する(やりたいから)
-好きな仕事なので作業する

レベル5.意義を感じ取り、与えたいと願って行動する(あたえたいから)
-この作業によって喜んだり助かったりする人のことを知っていて、是非そのために働きたいと思う

前回書きましたが、この中でレベルの高い成分が多ければ多いほど、そこから充実感と幸福感を味わうことができます。医者や看護婦さんがひたすらハードでも続けていられるのは、そこにある仕事そのものが質の高い動機と直結しているからだと思いますし、給料なしのボランティア団体に自分を犠牲にできる人たちの気持ちもここから理解できると感じます。プロスポーツ選手やミュージシャンが、有名になって活躍することを目指して打ち込み続けるものの、名誉と金銭を得た時に大抵環境問題や世界的な問題に与えようとすることもここから説明できると思います。ずっと“やりたいから”してきた仕事が満たされた時に、それ以上に人間を満たすのは“与えること”だと気づくのではないか、ということです。
嫌な作業を命令されたとします。意義が感じられません(レベル5以下)、やりたくありません(レベル4以下)、自分がやらなければならない義務も感じません(レベル3以下)。そうするとその嫌な作業はレベル1,2の動機で行うことになります。質が高い作業になるわけがありません。不必要なストレスが溜まります。
この時に大切なことは何でしょうか?それは、その作業の動機の成分を質の高いものにするよう自分から動き出すことです。決して、「こんなつまんねー仕事やってらんねーよ」と愚痴をこぼしながら「仕方ねぇなー」とやることが解決策ではありません。
就職や転職のアンケートがよく実施されます。どんな会社に行きたいですか?というものです。大抵その中には“やりがいのある仕事”という項目が上位にランクインします。ぶっきらぼうな書き方をしますが、やりがいのある仕事を求めて職種を選んだ場合、ほぼ間違いなくやりがいのない作業に飽き飽きすることでしょう。やりがいは人から与えてもらえると思っている時点で間違っているのです。自分で切り開くしか手がありません。甲斐性は自分で発見する以外見つかりません。もし教えてくれる人がいたらそれは過分のご親切です。
その方法は、自分に与えられた作業の背景を認識することにより、動機の質を上げることです。レベル4,5の成分を自分の心に補給することです。そのためには作業依頼者とのコミュニケーションが欠かせないことでしょう。コミュニケーションスキルを磨く必要があります。その作業はなぜあるのでしょうか。誰が助かるのでしょうか。どこに益があるのでしょうか。自分のやりやすい方法で行うことができるかどうか交渉することもできます。そうやって、自分のやりたい仕事に近づけ、意義を感じ取っていくのです。「それならこの作業を是非やりたい」「この作業をすることができるのはとても有意義だ」と思えるようになるまで負けないことです。
そうです、つまらない作業に退屈しストレスに感じ続けるのは、負けているのです。何に?作業依頼者にです。どのように?うまい言葉が見つかりませんが、いわば精神的にです。仕方ないからやる、というのは精神的に負けている人の台詞です。嫌だから断るのでもなく、仕方なく引き受けるのでもなく、お互いが納得できる作業になるようにコミュニケーションすることが鍵となります。
作業における動機のクオリティ。やりがいは自分で切り開くしかない!