自己中であることと,大切な人と付き合うこと

自己中って嫌われます。あいつは自分の事しか考えていないって,周りの人が離れていきます。周りの人の事を大切にして,他の人に自分を与える人は,周りから好かれます。「彼は家族や友達や同僚を大切にするね」という評判をよく受けます。そういう人は「自己中」とは呼ばれません。

でもこれって,おかしいことじゃないかと思うんです。言葉のあや,揚げ足取りに見えるかもしれないけれど,これはちょっと書いておきたいです。

「自己中」を,「自分を中心にして考え,自分に益となることをする」という定義で考えるとすれば,自分が一番幸福になるための選択をしようとするのが自己中であるはずです。しかし,自己中に振る舞って周りの人が離れ,嫌われていくような生き方は,自分を幸福にしようとしているとはとても言えません。

つまり,まわりから「自己中だなあいつは」と呼ばれるような人は,あまり幸福な結果を得ないので,自己中とは呼べないのではないかということです。あえて私が「自己中」に新しい呼び方を考えるとすれば,「長期的な幸せをぜんぜん考えてない人」とか,「あんまり周りが見えていない人」となります。

人は自分の1年,3年,5年先の幸福を見据えて,周りとの付き合い方を考えて接するようにすれば,確実に何らかの見返りを得ることができるはずです。これは相当な自己中心的な態度です。そしてそれは,良いことだと思います。このエッセイで言いたいことは,自己中心的とは,長期的な益を考えて行うなら,周りにとっても良いことになるということです。

日本語で「自己中」という言葉が表現するのは,今すぐの結果しか考えていなかったり,思慮が浅い状態ゆえに,まわりが迷惑や被害を被る可能性が高いことを言っているように感じます。

それでこのことは,人間関係の作り方において,短期的で浅い考えしか持っていないか,長期的で深い考えを持っているか,その差に集約されると思います。

このことを考えることになったきっかけは,年齢を重ねるごとに,自分の事を中心にして考えることが大人として精神的に成熟するのに欠かせないことだと強く思うようになったためです。

他の人の事を無理して優先し,他の人を中心に物事を考えると,一時的にはうまくいくように感じますが,長くは続きません。無理して自分を犠牲にすると,自分も,相手との関係も少しずつ歪んでいくのです。そして一つの歪んだ人間関係は,まわりに悪影響を及ぼし始めます。

自分が決定するべきことや自分が責任を負うべきことを他の人の言いなりにしてしまうと,あとからとんでもないしっぺ返しを食らいます。

「君はもっとこうするべきだ」「こういう風であって欲しい」と人から言われたとします。それを受け入れるかどうかは,自分が決めることです。相手の言葉をそのまま受け入れたとして,その先にある結果を受け取るのは,自分だけです。そのアドバイスをした他人は,その結果を受け取る必要がありません。つまり,ただ一言いっただけでおしまいなのです。

そういうことを言って周りを変化させたいと願う人は,自分のいいなりになる人を求めています。大抵自分に自信が少ない人です。権威主義的であると言ってもいいと思います。もし言いなりになるなら,その人の考えや生き方ややり方を,自分の生き方の中心に置いてしまう選択となります。他人を中心にする方法です。その一言に従わずにいることが,自分とその人との関係を一番シンプルにする方法になるかもしれません。

自己中であること,いいことだと思います。それは,精神的に大人になって,本当に大切な人たちと,一緒にいたいと思う人たちとどんどん近づくという選択です。残りの人生が何十年かわからないけれど,その間,できることなら何度でも会いたいと思う人たちを大切にするということです。それは,そういった人たちを自分の中心とするのではなくて,自分の価値観や直感を中心にするからこそ,大切な人たちが浮かび上がって選ぶことができるのです。

それができれば,そうではない人たちとの交流の仕方も,お互いが不快ではない距離を定めることができます。

こういったことが小学生くらいから教育できれば,仮にイジメを受けたとしても相手の言うことをどうやって受け止めればよいのか自分で判断し,自殺したくなったりすることを避けることができます。みんなが,いつも相手の言いなりになったり言われたことを鵜呑みにするなんてとても馬鹿げたことだという判断ができるようになればよいのに。ということを教えようとする教師たちもまた,この問題と向き合っているのかもしれません。

大切な人と,大切な関係を築く,そんな自己中な人たちを皆で目指すことが,成熟した社会には必要だと思います。