不安定の中にある安定

#最近ちょっと英語の勉強お休みしています。頑張りすぎてちょっと疲れたみたい。

これまで何となくわかっていてもやもやしていたことが、さっき頭の中でスッキリしたので文章にします。

僕は安定した調子を求めています。毎日、そこそこ元気で、そこそこやりがいがあれば、もうそれで満足です。それを阻害するものは、大きく分けて二つあります。

それは、外部からの影響と内部からの影響です。

あまりにも回りからのストレスが大きすぎると、調子は悪くなります。耐えられないほどの要求が突きつけられると、ああもうこれ以上は無理だ、と体が不調になります。

食生活が荒れていて、睡眠時間が足りず、運動が不足し、気持ちを落ち着かせる時間もなければ、そもそも自分の中から何もやる気が起きず、不調になります。当たり前か。

ただ、自分の調子はとても良いのに、何だか元気が出ないときがあります。それは「退屈」という表現でも伝わるかもしれません。「なんかやることないな」とか、「なんだか時間が余ったな」という感覚です。時間と元気はあるのにやりたいことがない、というものでもあります。

これですが、外部からの影響が少なすぎる、という可能性もあるのです。例えばお金を十分に持っていて仕事をする必要がなく、実際仕事をしておらず、家族の中での役割分担も持たず、何かの活動に参加して自分の役割を持つこともしていないとすると、こういうことがあり得ます。

十分に成功したアーティスト、ミュージシャン、スポーツ選手、芸能人。宝くじや親の遺産相続でお金を得た人。親の世話を受け続ける引きこもりな方。その他。意外とこういう状況に入る可能性のある人っています。

今、会社か学校かその他の付き合いかは分かりませんが、「何だか組織の中でいろいろと言われてめんどくさいなあ。やめちゃいたいなあ。」と思っていたとします。けどそれって、人間としてバランスを取るのに必要なストレスである可能性は結構高いです。

組織の中であまりにも息苦しくなって自分の健康を損なうなら、その組織からは離れた方がいいです。

けれども、僕らはいつも何らかの組織と関わって、そこから自分の役割を得ていることから、生活の張り合いってものを得ています。組織と付き合うっていうのは、ストレスも多いし不安定なものですが、そこから得られる安定というものがあるのです。

組織に殺されてはならない。しかし、何らかの組織と付き合うことは生きていく上で必ず必要である。組織に利用されている自分を客観的に感じつつも、自分も組織を利用するという意識が大切だと思います。