DMM英会話をはじめた

最近ブログを書く余裕が取れませんでした。忙しいのはいいことだけど、アウトプットする量が減るのはよくないなと思っているので、また書けて良かった。今日は少々最近の近況報告のような感じで書こうと思います。

まず、日常で自分が好きなことを人に話すという時間が、かなり少ない毎日です。でもそれは寂しいわけではなくて、色々なことを考えられるようになると、これが正常なんだろうなと思います。

自分が話したいことを人に話すというのは、聞かされる相手にとってはあまり楽しいものではないだろうな、という前提がまずあります。特に僕が今本当に考えていて、できることなら誰かに自由にしゃべりたいなと思うことと言うのは、かなり普通ではないことだろうと自覚していて、回りにご迷惑をおかけしないという視点に立って、自分の話すことにはかなりブレーキをかけています。某小沢健二は「ありとあらゆる種類の言葉を知って何も言えなくなるなんてそんなバカなあやまちはしないのさ」と歌いましたが、いや、何も言えなくなるっていうことあります。

ちょっと汚い例えだけれども、排便はトイレでするものです。どれだけ欲求があっても、他人には迷惑がかからない場所で、迷惑がかからない方法で解消するものです。

自分の持っている感情や欲求、それもやはり、解消するためには場所を選ばないといけなくて、僕の中にあるものを何でも楽しく聞いてくれる人なんて言うのは現実的に言って存在しないのです。我慢して聞いてくれる人ならいるけど。

年配のおじさんがですね、若い営業マンを連れて飲みに行く気持ちとか分かるんです。言いたいことを好きなだけ言えて、気持ちよく聞いてくれる、そういう存在。自分にお金とか権力があったら、そういうことがしたくなるだろうな、というのが何だかわかるようになりました。

人とのコミュニケーションは、すごく取っています。コミュニケーションに関して、量も今までで一番多いと思うし、スピードも今までで一番早くなっていると思います。

それは、ほぼ仕事でです。仕事のコミュニケーションというのは、自分の感情や欲求を抑えて、自分の会社やお客さんの会社の利益を追求するためのコミュニケーションということです。相手が聞きたいことを推測するのは簡単です。早く仕事が進んでいるかどうか、自分たちの利益になるような新しい情報、新しい提案です。

内田樹氏が、良導体という言葉を使っていたのがとてもしっくりきます。自分が情報を右から左に上手に伝える存在になるという感覚です。情報を流しているというイメージに近いです。ただし、鵜呑みにした情報を誰にでも流すということではなくて、世の中で重要そうな情報をどんどん取り入れる、相手の希望を聞く、そして僕の中で必要な分析を最低限加えて、その情報が欲しいであろう人にできるだけ素早く届ける、それの繰り返しです。

ある人に、その人が欲しかった情報を必要なだけ提供できると、見返りが来ます。その見返りはまた、さらに別の人の欲しい情報になるのです。一つの情報の受け渡しがうまくいくと、またその次の情報の受け渡しにつながります。現在のわらしべ長者みたいなものです。僕を様々な情報が通り抜けていく。通り抜けていくたびに情報の質は高くなったり有効になったりする。

僕のところで情報を停滞させない、というイメージです。受け取ったものはすぐに解釈して他の人に手渡す。いつも自分は何も持っていないようにする。何かを抱えていると、他の情報を処理するスピードや他の人に手渡すのが遅くなるから。

というわけなので、話し相手がいなくて寂しいということはないんです。

けど、仕事とは関係ない、自分のプライベートなことは、こういうブログに表現したりして消化するしかないよなあ、と思ったりします。僕の心の奥底にあること。

まぁ、話を聞くことに関して献身的な奥さんがいたとして、聞いてくれるようになったらそれはまた違うのかもしれないけど、失礼ながら僕のイメージは、奥さんがいたとしたら、奥さんの話をひたすら僕は聞く側になるんだろうなと思います。ま、聞くのは嫌いじゃないからいいんだけどね。

さて、言葉の勉強の話を書いておきたいと思います。ずっとミャンマー語を勉強してきて、基本的なミャンマー語は話せるようになり、簡単なミャンマー語は読めるようになりました。いやー、本当良かったなあ続けてきて。長い道のりだった。

言葉の勉強は山登りのようだと思います。頂上を見上げると登る気がなくなるから、一歩ずつ歩を進めて、時々どのくらい登ってこれたか下を見るのです。ああ、ちょっとは登ったなあという実感が自信になり、また続けられるのです。

中学英語で挫折した僕も、40歳を前にして、何とか語学習得の道を歩めるようになってきました。それで僕が何を考えているかと言うと、ここで、英語の勉強にシフトするということです。

ミャンマーはイギリス占領時代を経ているので、英語が話せる人が多いです。また、海外で仕事をしようと思って英語を習得した人も多い。シンガポール行って仕事したい、という人は多いのです。この環境を利用して、英語習得を進めたい。

英語を習得する理由は、まず、アメリカの思惑ではありません。アメリカやイギリスの奴隷になろうとして英語を学ぶわけではありません。こんなこと書くなんて変だけど、でも、この自覚は大切だと思うのです。ここで言いたいのは、国際標準語としての英語を身に着けて、いろんな国の人とコミュニケーションが取れるようでありたいという願いです。

ミャンマー語ができるようになって、ミャンマー人と意思を通わせられるようになったら、日本人だけと話しているときよりも、とても面白くなった。ならば、英語を使って、もっと別の国の人たちとも話したい、これが基本動機です。

世界中を旅行するドイツ人。美味しい国イタリア人。英語ができれば、多少は話せる人が増えてくるわけです。何であの時、ドイツとイタリアと日本は三国同盟を組んだんだろうね、なんて話ができたら面白いだろうなあと思います。お互いの国の最近美味しいものを紹介しあったら楽しいと思います。

ITの仕事においても、英語ができるようになることで、できることが広がるかもしれません。デザインやプログラムの発注を英語で出来るようになれば、下請け先はさらに広がるのです。(ただし、最近は日本の作業が、質が高いうえに安くなってきて、世界で一番コストパフォーマンスが高くなる可能性があって笑えません)

近所の英語塾をいくつか当たりましたが、自分の勉強したい時間帯にちょうどよく選ぶのは難しそうでした。そのため、ネットで勉強するのはどうかなと思って検索したところ、DMM英会話が上手にやっている様子です。これもDMMの亀山さんと松栄さんでうまいことやってるんだろうな。流石です。skypeの無料授業を2回受けました。

面白い。世界のいろんな国の英語教師を選べるのです。僕が選んだ先生は、フィリピンの方と、セルビアの方です。いい先生でした。気配りもしっかりしてくれて、英語の全然できない僕でも気分を悪くすることなど全くなく、楽しく過ごせました。

毎日25分の授業で月5千円。この金額と言うことは、先生の時給はそれほど高くありません。だから、skype教師を選ぶというのは、貧しい国で他に仕事がなかったり、自分の好きな時間に自宅で仕事がしたい人が選んでいると言うことになります。

全く知らない人と、いきなりskypeをつないで英会話をする。ちょっとした緊張感があります。同じ先生を何度も選ぶこともできるし、他の先生を選ぶこともできる。これは面白いと思いました。

セルビアの先生と話したから、セルビアに関心が沸いて、その国を調べました。元のユーゴスラビア連邦のことや、ヨーロッパの中での貧しさ、セルビアの独立。東南アジアの中でどうしてミャンマーが貧しいのかというのはよく分かるようになったけど、ヨーロッパの中での貧しさと言うのは、まだよくわからない。英語ができるようになったら旅行に行けるといいなと思います。(貧しい国と言うのは物価が安いから、あまり貯金に余裕のない僕でも楽しめるんじゃないかという想像をしてしまうのです)

というわけで、僕は元気です。仕事も色々やってるし、言葉の勉強もぼちぼちやってます。

そうだ、今度から色んな支払いを三菱UFJのVISAデビッドカードにしました。いきなり口座から落ちてくれる方が買掛の計算しなくて楽でいいなと思って作りました。けど、海外で使うと手数料を3%も取る、超高額な悪徳商法であることが判明し、日本国内だけで使ってます。結局海外の処理はEPOSかセゾンです。

英語に向き合うときが来た

ミャンマーに来て2年が過ぎます。出来る限りミャンマー語にお近づきになろうとしてきました。

今までの土地とは違う場所に住んで、新しい言葉を学ぶ、ということをやってみました。

うまくいかないことも沢山ありますし、やってもやってもできるようになった気がしない、という「この山いったいどこまで登るんだよ」という感情もありますが、それを大きくしのぐ感情があります。

それは、「今までの自分とは違う自分がいる」ということです。

30代中盤、ちょっとした行き止まり感、息詰まり感を感じていました。何だか何をしても、自分が足踏みしているような、時間だけがどんどん過ぎていく感覚です。友達と飲んだりしゃべったりしてれば楽しいんだけど、本当にこれだけでいいのかな感。

その感覚を信じて、日本を出ました。

とある過ごしやすい街を出たとします。そこから歩いて別のところに行くというのは、とても心細く感じるものです。歩いている最中は、前のところにいればよかったかなという感情すら覚えます。でも、ひたすら歩き続ける。

そうすれば、いつかは別の街にたどり着きます。新しい場所にたどり着くことができた時、自分にはひとつの良いことが起こります。それは、「前に住んでいた場所で得た経験を活かして、新しい場所で活動できる」ということです。違う環境に身を置くと、以前の場所との比較をすることができます。

ストレスが強すぎて病気になってしまうなら、それはやりすぎなのでやめたほうがいいけど、死なない程度に、いつも新しいことに触れてみるのは本当に良いことです。

さて僕は、今回自分の関心事の変化を感じることになりました。

それは、英語です。

中学英語は、かなり早い段階で挫折。20代のころ、また頑張ろうとしたけど、挫折。僕にとって英語は、相性最悪な相手です。40歳も近くなったこの年になって、また挑戦することになるとは、という感じです。

自分のやりたいことを進めてきて、今、英語を使えるようにならないと先に進めないという事態に直面しつつあります。

ただ、もし僕が英語ができるようになったら、どれだけ世界が広がるんだろう、というワクワク感も増してきました。

アメリカ人やオーストラリア人の知り合いが増えてきて、「遊びに来なよ」なんてみんな軽々しく言い放ちます。行けるものなら行きたいよ。

こんなことなら、20代前半にでも、思い切って英語圏に飛び出しちゃえばよかった、という後悔も少なからずあります。まぁでも、きっと今が僕にとってのベストタイミングなんでしょう。

「学ぼうを楽しもうを続けようを形にしよう」とやってきたこのブログです。

Enjoy Learn.

I want to continue to learn enjoy.

draw to continue to enjoy to learn.

とにかく英語を身に着けるというのは、考え方がひっくり返る。日本語で考える順番と逆に単語を配置する必要がある。一番大事な動詞を、すぐに言わないといけない。

自分の考え方や性格にまで影響があるのは必至です。

僕の友人は、日本語で話しているときと、英語で話しているときに、別の人格でもあるかのように変わります。これは興味深いことです。

今後、ブログの記述も、少しずつ英語を取り入れたいと思っています。

 

日本人とイスラムの接点(初心者による記録)

まず初めに断っておきますが、この投稿は専門的なものではなく、自分の無知具合を確認しつつ、少しずつ関心を持てるようになってきた記録を残すものとなります。

イスラムというのは日本人にとってあまりにも遠く、悪く言うと「どうでもいい」というか、「関わりたくない」という存在であることが少なくないと思います。僕もそういう一人でした。けれども、少しずつ少しずつ、イスラムの存在が現実のものとなってきて、自分が生きている間に無視できない存在になるであろうことが分かってきました。それでようやく関心を持てるようになってきた、その程度です。

まず、イスラムの人たちが多い、アラブとペルシャの違いすら分かっていませんでした。「だいたい中東の人」という感じです。イラクとイランの違いもピンと来ない、そんな感じです。

世界人口を70億として、2010年のキリスト教徒は約21億、イスラム教徒は約16億という資料があります。イスラム教徒は出生率が高いので、2050年には同じぐらいになるのではないかという推測もあるようです。

人口が多い、というのは、絶対に無視できない要素です。例えば日本だったら、高齢者が多い、という問題があるようにです。

今、どんどんどんどん、イスラム教の貧しい人たちが、世界中に住まいを探して移住しています。受け入れてくれる国を探して、どこへでも向かっていきます。移住しながらも、どんどん子供を産んで増えていきます。先進国に生きている人たちは、子供は最低限の人数にしたいと思うけれども、将来に期待できない貧しい人たちは、産める限り沢山の子供を作ろうと考える。

やっと住まいを見つけたとしても、良い仕事につくのはまた大変です。仕事がないから、何をするか。元気の有り余っている20代の若者たちに、「何もすることがない」という状態は、とても不健全な事態を引き起こすのは目に見えています。

イスラム国とは、そういう若者を大量に雇用して大きくなっています。やることのないイスラム系の若者を、「住まい、食事、仕事付き」でどんどん受け入れて大きくなっています。そして、軍隊の訓練をして、「唯一の神のために、自分を差し出す」という教育をします。それはテロ部隊になれるということです。

パリでテロが起きてから、この問題は遂に先進国への恐怖という形で目に見えたと思います。911のアメリカから始まるアメリカ対テロというのは、まだ対岸の火事だったけど、今後はだんだん人ごとではなくなってきていると感じます。

日本がイスラム圏の人たちと、今後どういう形で知り合っていくのか、付き合うことになるのか、いくらか想像します。

一番平和なのは、日本と仕事をする人、日本に仕事しに来た人と知り合うということです。もしくは、結婚して日本人の配偶者となって知り合うというパターンです。できたら、それだけであって欲しい。

最悪なのは、日本でイスラムのテロが起きるということです。

今まで、テロがどこで起きても、どうでもいいなと思っているはずです。シリアで起きました、トルコで起きました、バンコクで起きました。「かわいそうに」という状態から、一変に事態が変わります。

さて、狙われたとして、日本はテロを防ぐことができるのか。まず無理でしょう。平和すぎます。去年ドローンが首相官邸に落下した時のニュースの時に、どれだけ日本が平和ボケしているのか、よーく分かりました。

日本は移民を受け入れる方向に変わるかもしれません。そこで、韓国人や中国人やアジアの人々や、イスラムの人たちが日本に入ってくるかもしれません。

どうやってそれを受け入れていくのか、突きつけられてから日本人も考えだすことになりそうです。

アメリカが、「テロと戦う」と言って、元気よくやっていたのは今は昔です。今はもう、少々弱くなってしまったアメリカは、「もう、世界の警察をやり続けるわけにもいきません」という雰囲気になりつつあります。

イスラムを支配しようとしたアメリカは、それに失敗したといえます。というわけで、イスラムは今後、一つの大きな勢力となっていきます。ま、アメリカに支配されたいなんて思う国はどこにもないと思われますが。

身近なイスラムから感じるのもいいかもしれません。インドネシアとマレーシアですね。ジャカルタとバリでも観光しながら、イスラムの影響って何かなあと思うのが手軽で楽しそうだから日本人向きです。

イスラム教とキリスト教とユダヤ教は、同じ神を崇拝していることになります。教えの基本は全く同じです。「唯一の神様だけを崇拝する」ということです。けれども、あまりにも解釈ややり方が違うので、それが同じ神と言い切れるかいうと、かなり難しい問題です。同じ神さまがいて、宗教間が、教えも感情も対立しているって、絶対に納得ができない話です。

横浜や長崎にあるキリスト教会なら素敵な感じがするけど、中東にあるイスラム寺院ていうと、近寄りがたいもの、そんな感じですよね。

宗教問題、言語の壁、人口問題、なんかとっつきずらい、避けれるものなら避けて通りたいモノ、そんな受け取り方をしてきたけど、最近はこういった問題が割と身近に感じられるようになってきたし、自分なりの解釈ができるようになって、少しは興味も沸いてきました。

これは、年を取ったということだろうか。 苦笑。