E(外向型)とI(内向型)/ Extraversion and Introversion

E(外向型)とI(内向型)。 この二つのアルファベットは、単に「社交的か、あるいは人見知りか」という表面的なラベルではありません。それはもっと深い場所にある、魂の「呼吸のしかた」の話です。

暗闇の中で静かにレコードの溝を辿るように、その意味を少しずつ解きほぐしてみましょう。


1. エネルギーの「給油所」はどこにあるか

僕たちが生きていくためには、何らかの燃料が必要です。車がガソリンを求め、猫が午後の陽だまりを求めるように、僕たちもエネルギーを補給しなければなりません。

その給油所が**「自分の外側」にあるのか、それとも「自分の内側」**にあるのか。それがEとIの決定的な違いです。

E(Extraversion):外向型

――意識のベクトルを、外の世界へ向けること

「Extra-」は「外へ」、「-version」は「向かう」を意味します。 彼らにとっての世界は、巨大な発電所のようなものです。誰かと話し、新しい景色を眺め、何かのイベントに参加する。そうやって外の世界と「摩擦」を起こすことで、彼らのバッテリーは充電されます。

  • 深掘り: 彼らは決して「常に騒がしい人」ではありません。ただ、一人で静かにしすぎると、まるで真空パックに閉じ込められたように、エネルギーがじわじわと摩耗してしまうのです。だから彼らは、新鮮な空気を求めるように外の世界へと手を伸ばします。

I(Introversion):内向型

――意識のベクトルを、内なる静寂へ向けること

「Intro-」は「中へ」。彼らにとってのエネルギー源は、自分自身の内側にある深い井戸のような場所にあります。 外の世界は、彼らにとって「刺激が強すぎる場所」であることが多い。誰かと会ったり、賑やかな場所にいたりすると、彼らは自分のバッテリーを少しずつ「消費」していきます。

  • 深掘り: 彼らは「人が嫌い」なわけではありません。ただ、放電してしまった魂を充電するために、どうしても一人きりの静かな時間が必要なのです。厚いカーテンを閉め、自分だけの聖域に戻ることで、彼らはようやく呼吸を整えることができます。


2. どちらが優れているという話ではない

世の中には、外向的であることを「明るい正義」とし、内向的であることを「暗い欠点」とするような風潮が、あちこちに転がっています。 でも、それは冬の朝に「なぜ雪は夏のように熱くないんだ?」と文句を言うのと同じくらい、意味のないことです。

「E」は、世界を広げる役割を担っています。 彼らがいなければ、新しい橋は架からず、未知の大陸への船は出港しないでしょう。

「I」は、世界を深める役割を担っています。 彼らがいなければ、美しい詩は生まれず、物事の真理を突くような哲学も育たないでしょう。

それは、右足と左足のようなものです。あるいは、昼と夜。どちらが欠けても、僕たちの歩む道はひどく不安定なものになってしまいます。


やれやれ、結局のところ

あなたは、賑やかなパブの喧騒の中で「生きている」と実感しますか? それとも、深夜のキッチンで一人、静かに冷えた白ワインを飲んでいるときに「自分を取り戻した」と感じますか?

もしあなたが自分をどちらかの箱に無理に押し込めようとしているなら、少しだけ肩の力を抜いてみてください。 大切なのは、自分がどちらのタイプかを知り、それに合った「休息のとり方」を覚えることです。

雨が降れば、雨の音を聴けばいい。 風が吹けば、風の行方を追えばいい。 自分自身のエネルギーの向きに素直になることは、この風通しの悪い世界を少しだけうまく泳いでいくための、ささやかなコツなのです。

MBTI:魂の所在を確認するための、ささやかな4つの指標


MBTI:魂の所在を確認するための、ささやかな4つの指標

世界には、僕たちが思っているよりもずっと多くの「ラベル」が存在します。ビールのラベル、クリーニングのタグ、あるいは誰かが勝手に決めた僕らの性格の分類。

MBTIというのは、そんなラベルの中でも、比較的丁寧に作られた部類に入るものです。それは僕たちが、この奇妙で混沌とした世界で「自分という人間がどのあたりに立っているのか」を確認するための、一種の海図のようなものかもしれません。

そこには4つのアルファベットの対立があります。


1. エネルギーが向かう方角:E or I

それは、あなたがどこで呼吸を整えるかという問題です。

  • E(外向型):意識の触手を外の世界へ、他人へと伸ばしていくタイプ。賑やかなパーティのあとに、なぜか活力が湧いてくる人々。
  • I(内向型):深い井戸の底に潜るように、自分の内側へと沈んでいくタイプ。沈黙と孤独こそが、彼らにとっての最良のバッテリーになります。

2. 世界の捉え方:S or N

あなたは、目の前にある「スパゲッティの硬さ」を見ますか? それとも「スパゲッティが象徴する何か」を考えますか?

  • S(感覚型):五感で捉えられる確かな事実、現実に起きている手触りを信じる人々。地面をしっかりと踏みしめて歩くタイプです。
  • N(直覚型):物事の背後にあるパターンや、まだ見ぬ可能性を空想する人々。彼らの視線は、常に地平線の少し先を彷徨っています。

3. 判断の基準:T or F

冷たい氷のナイフで切り分けるか、温かい手のひらで包み込むか。

  • T(思考型):論理的であること、客観的に正しいことを優先する人々。たとえ耳が痛い真実でも、それが真実なら採用します。
  • F(感情型):それが誰の心を動かし、誰を傷つけるかを大切にする人々。調和と共感という名の、柔らかな毛布を好みます。

4. 日常のスタイル:J or P

あなたは、きれいに折りたたまれたシャツが好きですか? それとも、成り行きに任せて開け放たれた窓が好きですか?

  • J(判断型):予定を立て、締め切りを守り、物事を整然とクローゼットに収めたい人々。結論が出ない状態を、彼らは何より嫌います。
  • P(知覚型):結論をあえて保留にし、変化の波に身を任せることを好む人々。彼らにとって世界は、常に「書き換え可能な下書き」のようなものです。

これらの組み合わせが、あなたの「4文字のコード」を作り上げます。

もちろん、人間という複雑な存在が、たった16通りの箱に綺麗に収まるはずもありません。でも、たまにはそんなシステムに身を委ねてみるのも、悪くない選択だと僕は思います。

やれやれ、自分は一体どの箱に入っているのだろう。

そんなことを考えながら、僕はキッチンで静かにコーヒーを淹れることにします。


いちご

日本で手軽に食べられるいちごは、本当にとんでもなく安くて美味しい。こんな国は数少ないです。ミャンマーで食べられるいちごはサイズも小さくて形も変で、味もなんだか薄いんですよね。

ミャンマー時代のルームメイトO君は福岡のホテルマンをしている時に、中国人が大量のあまおうを買っていくので大変だ、とよく話してました。日本に旅行に来て、農家やお店へ行って、ホテルに届くように大量のいちごを買って手配し、ホテルで受け取ったいちごをスーツケースに詰めて帰っていくそうな。迷惑なのもわかるし、その中国人の気持ちもわかる。だって美味しいもの。

小さいころ、いちごのショートケーキが好きでよく買ってもらってた。でも、いちごが特に好きなわけじゃなくて、シンプルな生クリームとスポンジケーキの部分が好きだった。味がごちゃごちゃしているのは好きじゃなくて、シンプルな方がいい。酢豚にはパイナップルが入っていない方がいい。

ミャンマーに行く前、つまり35歳くらいまでのこと、自分からいちごを買うことなんて全然なかった。果物というのは高くて、食べるのが面倒で、それなら湖池屋ののり塩で十分だよね、ちょっと気分を変えたい時はピザポテトだよね、というおやつ選びでした。

日本に戻ってきて、以前よりずっと自分の健康のことを考えるようになってて。とにかく自分の持っているリソースを最大限周りの人の役に立つように使うためには、健康じゃないと続かない、っていう意識が強くなって。

ミャンマーにいたころ、原因不明の感染で高熱が全く下がらなくなって、入院しました。今写真を見返してみたら、2020/2/22となっていて、ちょうど四年前でした。この病気を境に僕は考え方を改めたように思います。

あの時のしんどさは時々思い出します。あそこで死んでてもおかしくなかったな、という風に考えることがあって。死んでいたとしたら、僕のその後の時間はすべて使えなかったわけだし、貯金も使えなかった。その後に出会う人たちに会うこともなかった。それまで作ってきた友人関係をさらに深めることもできなかった。

もしも一生買い換えることのできない車を買ったとしたら、別の車も買えない、ずっとその車を一生使うとしたら、その車をどのように扱いますか、という例えがあります。もちろんその答えは、どうやったら長持ちするか一生懸命考えて乗ります、となるわけだけど、そんな風に自分という体を一生使う乗り物のように考えることっていいことだなと思うようになりました。自分の体という入れ物、容れ物を、大切にする。当たり前だけどそれは造っていただいた方への敬意でもあって。

だから、自分の体に流し込むものはできるだけ悪くないものがよろしい、という認識がようやく強くなって。

今でもポテトチップスは、あれば食べちゃうけどできることなら買わなくなって。その代わりに果物やフルーツやトマトなどを買ってきて、小腹が空いたらそっちを食べるようになりました。

日本に戻ってきて、冬が来て、スーパーにいちごが並ぶようになって。初めて自分で食べるために自分にいちごを買いました。食べたら美味しくって。前回の冬、しみじみと美味しさを感じて、シーズンが終わっていちごがスーパーに並ばなくなった時、あ、さみしいなあって思いました。

今回の冬。冬は寒くていやだけど、いちごが食べれるようになるのは嬉しい。

昨日、体調の悪い友達にいちご食べたらどうかなってメールを打った時に、自分が人にいちごをオススメしているのが何だか不思議で。随分と違う人間になったなあって実感して。

今朝シャワー浴びてるときに、久しぶりにいちごで何か書こうかという衝動がやってきて、今書いています。懐かしい習慣だなあ。