会話における3要素 思考・知識・感情

会話における3要素

僕は会話が下手だと思う。すごく上手な人と一緒にいるとつくづく感じる。展開させることが自由自在だ。もちろん相性というのがあって、うまくいきやすい人とそうでない人がいるわけですけど。

そんなわけで、世の中にある「会話術」というものを時々読んだりします。最近僕の頭の中に整理されていることをここに書いておきたいと思います。

会話とは、自分の脳みそと相手の脳みその情報交換です。ですので、一人一人脳みその特徴というかクセ、知識量の方向性の違いがあって、その違いから、面白いことや楽しいことも起きるし、イライラしたりすることもあります。

そして、大切な要素として、感情、があります。ごく一般的なこととして、女性のおしゃべりが長く続くのは、感情をベースにして話しているからだと言われます。僕はそれについて、それなりに正しいと思っています。

僕は会話における3要素を、「思考」と「記憶」と「感情」に分けてみました。それに基づいて以下を進めていきます。

話の上手な人たちは、「感情」を使うのが得意です。感情を使いこなしていると話はいつまでも楽しく続くと言ってもいいと思います。ちょっとした不満、ちょっとした幸せ、ちょっとした悩み、そういった小さな感情をどんな人も必ず持っています。会話が、お互いの感情に共感するようなものだと、楽しい会話となります。ただしこれにはリスクがあって、共通の敵に対する不満のようなもので盛り上がりすぎると、「仲が良くなりすぎます。」そして、それは、人間関係の中での分裂を生じさせたりします。

思考が好きな人たちは、つい話を、「なぜそうなっているか」という方向に持っていきがちです。(証拠:自分) これは、ほどほどにしておかないと、回りがついて行けません。そして、「つまりはこういうことだ」という結論を言ってしまうので、話が続きません。というか、かなり早く終了します。もしくは、「どちらの理屈の方が正しいか」という勝負になってしまうことすらあります。

記憶が好きな人たちは、つい話を、「それはあれだ」と、知識の確認に持っていってしまいます。そして、関連した別の知識を披露したり、質問したりします。「これは知ってるかい?」という話になってしまします。そして、「知らないなあ」となると、話が終わります。もしくは、「どちらの方がたくさん知識を持っているか」という勝負になってしまうこともあります。

事実確認、事実交換。原因調査、原因究明。そして、「感情の交換」。話を分析するとこういうことになるんじゃないかと思います。

ちょっと三つに割るのは無理やりすぎた気もしますが(もう少し別の分類もつけた方が正しいと思いますが)、大まかにとらえるには悪くない気がしています。

そして僕は、この三つを意識しながら、会話の上達ができたらうれしいなあと思っているのです。

La La Land / ラ・ラ・ランド鑑賞 / ハッピーエンドが見たかった

ふと目に飛び込んできた、映画の感想ブログ。アメリカでヒットしている、La La Landが面白いらしいとのこと。ここのところ映画熱は冷めていたけれど、なぜだか久しぶりにすごく見たくなった。

それでまぁ、早速見てきました。(以下、映画の内容に言及しますので、気になる方は読まないことをお勧めします。)

とにかく最後が切ない。ロマンチストな男性の努力ははかなくも砕け散り、現実的な女性がたくましく良い結果を得る。そういう映画でした。脚本に関してはどうしてもここが気になってしまいました。名作にはハッピーエンドこそ似合う、映画館を出る時にもっと幸せな気持ちにさせて欲しかった、そういう感情が残りました。

男性と女性で、見終わった後の印象は随分違うのではないかと思います。女性側の感じ方も聞いてみたいところです。「こんなものよね。」なんておっしゃるのかもしれません。

男性側が、嬉しいことがあってサプライズを準備したシーン。どんどん意見がすれ違って行って最悪な展開を迎えるわけですが、僕の古傷がすごく疼きました。男性側の思考と、それを理解できない、理解するつもりのない女性。とても素敵な一時を過ごすはずの予定で男性側だけが思い描いていた夜は、あっけなくも崩れ去っていく。最後の焦げたケーキなんてもう、涙が出そうでした。

このブログで映画感想に言及するなんてずいぶん久しぶりのことになります。ひょっとしたら初めてかも?ぐらいですね。それぐらい、この映画は印象的でした。つまり、面白かったのです。

脚本に対する不満から始めさせてもらいましたが、それは映画にぐいぐい引き込まれていたということでもあります。この監督の才能は今後すごく楽しみですね。調べてみたところ、デミアン・チャゼルという85年生まれ、現在32歳の若者です。ハリウッドってすごいなあ。こんな人が出てくるんだもんな。

この映画が始まると、最初の数分で一気に引き込まれます。映画の面白さ、カメラワーク、音楽、色使い、才能が溢れています。

女の子が家に戻って、一緒に住んでいる友達たち4人とパーティーに行く準備をする下りなんて最高でした。何しろ色が綺麗。カメラワークがぐいぐいと切り取っていきます。

もうひとつ特筆すべきなのは、主演のエマ・ストーンが来ている服の数々。誰がスタイリストとしてサポートしていたのか知りませんが、どの服もとても雰囲気があって、色使いが良かった。日本人がこういう服を着こなすのは難しいのかも知れないけど、あの薄い紫のワンピースなんて最高に良かったなあ。

エマ・ストーンに関しては、うーん、こういうのを魅力的というのかもしれないけど、脚本との絡みもあるんだろうけど、そして僕の過去の経験というのにも関わるのだろうけど、好みではなかった。この映画に本当に必要な人だったけど、最後の切なさが、エマ・ストーンに対する評価をどうしても下げてしまいました。

僕の勝手な考えですが、日本人がこの映画を作るのは、無理だと思います。

僕は以前よりアメリカ人やイギリス人との交流が増えて、ほんの片言だけど、英語で会話をすることもできるようになりました。まだ深くは分からないけど、英語圏の二大勢力、アメリカ人とイギリス人と日本人の比較というのが少しはできるようになりました。

アメリカ人とアメリカ映画という文化と、日本人と日本映画という文化は、映画という共通点はあるものの、とんでもなく違うものです。それは、言葉という意味では一緒だけど、英語と日本語が異なるぐらい違います。そこに含まれている性格や歴史や習慣が違いすぎるのです。

それで僕はLA LA LANDを見て、とても羨ましい気持ちになりました。「アメリカ人がこのアメリカ映画を作るのは、とっても楽しかっただろうな」と素直に感じました。

さらっとジョン・レジェンドが出演したりするなんてのも、まぁ、日本じゃ考えられないことです。

また切なくなるから、見たくない。

けど、あんなに素晴らしい才能とセンスが詰め込まれた映画、やっぱりもう一回見たい。

僕の楽しい映画鑑賞人生の思い出深い一ページとなりました。

P.S.
SEXシーンや銃殺シーンがないので、子供でも楽しめると思います。

攻撃が最大の防御とは、間違っていると思う

「攻撃は最大の防御」という言葉の元を探してみました。「孫子の兵法」の一部だとか、ラテン語の格言から来ているなど見つかりました。正確な所は分かりません。

なぜ「攻撃は最大の防御」という言葉に関心を持っているかというと、これは大間違いだなあと個人的に確信するようになったからです。

これは主に、「サッカー」「将棋」「人間関係」の3点において考えてきたことの一つの結論です。

それぞれ3つとの関連を述べた上で、まとめたいと思います。

●「サッカー」と「攻撃は最大の防御」の関連

ものすごく強力なFW(攻め手)がいる場合、確かに攻撃を続けているチームは強いです。これだけを見れば、「攻撃は最大の防御」だと言ってもおかしくはないでしょう。

しかし、別の視点も必要です。例えばJリーグには戦術的にとても攻撃的なチームがありますが、このチームがすごく強いとはとても言えません。

攻撃中は魅力的です。鋭いパスと狙いすましたシュートの連発で、見る者を楽しませます。ただ、いつも攻撃ばかりしているチームが常に勝つかというと当然そうではありません。

どちらかといえば、相手に攻めさせてからカウンターをする方が強いのです。丁寧な根拠のない展開ですみません。基本的にサッカーにおいて、弱者が強者と向き合うときには、守備的に耐えてカウンターを狙うというのが標準的な戦術です。

一つ言えることは、丁寧に守っている側は隙があまりないのに対し、攻撃的になっている側は、隙が見えるということです。

●「将棋」と「攻撃は最大の防御」の関連

素人はどうやって王様を詰ませるか、まず攻撃を考えます。飛車道を開けて、角道を開けます。桂馬を跳ねさせます。

中級者以上は、まず守りを考えます。しかも、相手の守り方を見ながら、相手が攻撃しにくい守りを考えます。

将棋で考えるとすごく分かりやすいのですが、一定以上上手になった人たち同士の試合は、「相手のどこの守備がもろいか」の探し合いです。一つでも綻びがあれば、そこを狙います。

つまり、守備がきちんとしていない状態で攻めている人は、攻めが切れたところですぐに大抵負けてしまうのです。

もちろん、守備をあまりしないで攻める戦術もあります。急戦です。しかし、リスクを沢山負った方法です。

●「人間関係」と「攻撃は最大の防御」の関連

他人への不満をこぼすこと、他人の欠点を指摘すること、これは人間関係における攻撃と言っても差し支えないかと思います。

もうこの時点で分かるかと思うのですが、人間関係を作ろうとするときに、「攻撃」はとても高いリスクを背負うものです。

仲の良い人と共通の敵を作って、その人への不満で盛り上がる、これは人とお近づきになるにはすごく手っ取り早い方法です。自分もストレスが溜まっていたら気分が良くなります。

直接本人に向かって欠点の指摘をする人もいることでしょう。言い方は柔らかかったとしても、結局のところは攻撃です。

攻撃をする時、うまくいくと、自分はすーっとします。悪口で友達と親しくなったり、相手の欠点を認めさせたりするときです。大げさに言って全能感を味わうのです。

しかし、他人を攻撃をする時というのは、自分の弱点を公表しているようなことになります。

「他人のこういう所が私は我慢できない」という自分の器を見せているようなものです。

攻撃というのは、弱点や守備の弱さを見せることでもあるのです。

●まとめ

それで私はここで、「攻撃は最大の防御」が間違っているとし、別の言葉を作りたいと思います。

「守備をきちんとすることが最大の防御」です。

圧倒的につまらない言葉です。流行ることも残ることもないでしょう。

しかし、私はこの感覚にたどり着きました。

まず、自分が簡単なミスをしないようにするにはどうすればよいか、大切にしたいです。人間関係において、攻撃は基本的に不要で、使うときというのは本当に限られた時です。

攻撃となる、不満の表明や欠点の指摘は、自分が本当に守らなければならないものが脅かされた時に、作戦を立ててから用意周到に行うべきものだと思います。

まずは守備で、それが十分になったと思ってから、何らかの攻撃を考えるほうが得策です。

物事に対する認識というのは、経験や知識と共にどんどんと変わっていくものだと思います。実感できるのは嬉しいことでもあります。

その表現が自由に行えるこういった場所があることに感謝です。(自分で作ったんだけど)