失われてはいけない日本語のすばらしさ

僕らは日本語を一瞬で読むことができる。

これが、次のように書かれていたらどうだろうか。

「bokura ha nihongo wo isshun de yomukotoga dekiru.」

脳に全く入ってこない。一文字一文字を目で追う必要があるし、読んだ後もまだ意味がぱっとつかめない。こんなの日本語じゃないと思います。

けれども歴史が一歩間違っていたら、日本語がすべてローマ字表記に変更されていたかもしれないということを最近知りました。戦後GHQが取り組もうとしていたことなどが知られています。詳しいことは別ページに譲ります。

http://matome.naver.jp/odai/2136914129576092801

僕は時々、日本語を勉強したい外国人から質問を受けることがあります。日本語教えてよって。ある時こんな会話をしました。

「日本語覚えるには、何文字覚えればいいの?英語は26文字だよね。」

「まず、ひらがな50個ぐらいだね。」

「うわっ、多いな」

「そして、カタカナ50個ある。」

「ひっ、2倍になった。。 でも、確か漢字ってあったよね。」

「ある。」

「うわー。漢字いくつ覚えればいいの?」

「うーむ。たっくさんあるけど、まずは1000個ぐらいかな。」

「…日本語覚えるの、、ムリ、、」

このとき僕は初めて外から日本語を眺めたのです。自分にとって当たり前になっている日本語は、特別なものなんだと。

僕はここで言いたいことがあります。

「日本語が母語であり、日本語を流ちょうに扱える人たちが、日本人だ。そして僕ら日本人は、僕らの将来のために、日本語をこれからもずっと大切に守らなければならない。」

とです。どんなことがあってこの結論に至ったかはこれから少しずつ書こうと思いますが、僕はこの立場を表明したいと願うようになりました。

ここ2年ほど、新しい外国語習得と戦いました。少しずつ日常会話ができるようになってくるに従って、日本語との違いをひしひしと感じるのです。日本語だったら簡単に言えるのに、外国語ではうまく言えない場面に何度もあたり、それは僕が外国語になれていないからというだけではなく、言葉によって特定の場面で得意不得意があるということがわかるようになってきたのです。それは言葉そのものにスペックがあるような感覚なのです。英語だったらこういうことを言うのは得意だけど、こういうことを言うのは語彙が少ないとか、そういうことです。

母語が日本語であるということは、脳みその中の基本的な処理は日本語で行われます。第二言語で英語を覚えたとして、どれほど第二言語が得意になっても、母語の位置は揺るぎません。このことは替えが効かないのです。

例えば、「私」という表現があります。これは後で紹介する本の受け売りなんですけれども、日本語は「私」に相当する言葉がたくさんあります。

私、僕、俺、自分、といった直接的な表現のみならず、間接的に「先生はね」「おじさんはね」「おばさんはね」「お父さんはね」「お母さんはね」と言うことすらできます。これらすべてが英語では「I」になります。

(一人称の多さについては以下のページも参考になるかと思います。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/189754.html )

これは、単純な「日本語と英語がどちらの方が表現力があるか」という問題ではもちろんありません。言葉の違い、特徴の違いをわかりやすくしているということが言いたいのです。

英語の考え方は、まず最初に「I」という不変の自分がいるのです。物事を考え、判断する自分がまずいる。そして、それに続いて、自分が何をしたいのか発信する。さらに進んで、そのあとから細かいことを調整して、回りと問題が起こらないように都合をつけるという流れがここにはあるのです。

日本語の考え方は、一番最初に、今この言葉を聞く人、聞く人たち、読む人たちのことを考えて、自分がどんな立場なのかということを、「私は」もしくは、「僕は」もしくは、「俺は」「先生は」などと言うことで調整するのです。不変の自分ではなく、周囲の都合に合わせて調整する自分が前面に出てくるのです。

これはまさに国民性の違いに直結してくるのです。日本人だから回りに配慮ができる、アメリカ人だから主体性がある、これは間違ったことを言っていないと思いますが、僕が最近考えていることは少し違います。

日本語が母語だからこそ、日本語的な性格や生き方が自然と身についてくる。英語が母語ならば、自然と英語的な考え方で生きるようになる、そういうことです。

タイトルになかなかたどり着かないですね。ちょっと風呂敷を広げすぎたようです。「失われてはいけない日本語のすばらしさ」については、これからさらに何回か書いてみたいと思っています。

漢字があることによる表現力の高さとか、漢字に音読みと訓読みがあることによる便利さなども書きたいと思っています。世の中で、最初に覚えたり身に着けたりするのが大変なものって、後からその身につけたものがとても自分を助けますよね。そんな感じです。

これに関しては、僕が考えようとしていたことを、素晴らしいわかりやすさで説明している本と最近出合いましたので紹介します。この方は説明がわかりやすいだけでなく、根拠の理屈がしっかりしているので読んでいて納得します。この本の唯一の欠点はタイトルがあまりよくないことです。釣りタイトルと呼ぶのでしょうが、このタイトルのせいで逆に読むべき人から敬遠されてしまわないか心配になります。まさにこの本にこそ、「失われてはいけない日本語のすばらしさ」というタイトルをつけて販売したらよいのにと思います。

「くだらない」の言葉の語源と、名著「菜の花の沖」

「くっだらないねえ」と僕らは自然と使います。ダジャレ言われたりすると出てきます。こんなちょっとした一言に語源があり、近代の歴史が込められているなんて考えたことがあったでしょうか。僕はありませんでした。

私が説明するよりも、司馬遼太郎著「菜の花の沖(1)」を引用して答えたいと思います。

— 文庫版 p305
江戸という都市の致命的な欠点は、その後背地である関東の商品生産力が弱いことであった。
 これに対し、上方および瀬戸内海沿岸の商品生産力が高度に発達していたため、江戸としてはあらゆる高価な商品は上方から仰がねばならなかった。しかも最初は陸路を人馬でごく少量運ばれていたこともあって、上方からくだってくるものは貴重とされた。
「くだり物」
 というのは貴重なもの、上等なものという語感で、明治後の舶来品というイメージに相応していた。これに対し関東の地のものは「くだらない」としていやしまれた。これらの「くだりもの」が、やがて菱垣船の発達とともに大いに上方から運ばれることになる。

そうなのです、やはり「くだらない」という言葉がある以上、「くだるもの」や「のぼるもの」があったということです。

徳川家康は、豊臣家との関係もあって、大いに栄えた大阪ではなく、江戸に幕府を始めました。そのため当時高品質な商品や品物のほとんどは大阪や神戸や京都に集中していて、そこから江戸まで船で輸送する必要が生じていました。江戸には、大阪からやってくる「くだりもの」という高級ブランドが売られていたのです。当時の江戸、関東地域の商品開発力の弱さを知ります。それは、「くだらないもの」、つまり、くだってきたものではないものと呼ばれていました。なんだ、関東製品か、ということです。

ということは、今関東に住む人間にとって、「くだらないなぁ」という言葉は時に少々自虐的でもあるわけです。その言葉には、大阪の商品にはかなわないな、という江戸時代の香りが残っているのです。歴史って面白いです。

こういった近年の日本史を知るのに、司馬遼太郎の書き残したものは、とても大きな意味があります。この「菜の花の沖」という小説は、仕事の知り合いが「面白いよ」と教えてくれて読み始めたものですが、確かに興味深く読ませてもらっています。

この小説を書いたとき、司馬遼太郎は60歳ごろです。彼の生まれは1923年となっており、書かれたのが1982年となっています。司馬遼太郎が書いた長編小説の最後から3番目の小説となっています。この、何歳ごろにどのくらいの経験を基に書いているかと言うことも、人の本を読むときに大切になってくる要素だと思います。

一番売れた、一番有名な『竜馬がゆく」は、1966年に書き終えられています。長編小説の6作目です。43歳ごろですね。まだ長編小説の執筆という意味では、経験が少ないころに書いています。

「竜馬がゆく」と「菜の花の沖」は、文体がかなり異なると感じます。簡単に言うと、年を取ってから書いている「菜の花の沖」は、途中でエッセイが何気なく始まってしまうのです。小説を書くために沢山の本を読んでいるため、あふれる知識が小説の枠に収まらず、そこに書いてしまっているのです。これは、沢山の長編小説を書いてきた60歳のベテランだからこそやっていたことだと思うと、何だか腑に落ちます。そして、無数の本を読み込んでから書かれるその随筆には、歴史に興味を持たせるカギがいくつも含まれています。こういう随筆は、若いころにはまだ遠慮があったように思えます。

僕らは、僕らの世代なりに、司馬遼太郎のような過去の人物が残してくれた歴史のカギを吸収して今何をするべきか判断できるようにならなければならないと思います。もちろん歴史を読んで楽しむ、それだけでもいいですが、過去から学んだことを今活かすことも求められているように感じることがあります。それは僕らの世代なりに今の日本語で現在や過去を書き残しておくことでもあるし、歴史から学んだことを今どうやって反映させるかと言うことの思考の流れを枠にするということでもあると思います。

さて、この「菜の花の沖」は、淡路島で生まれた一人の男が、生まれ育った村でいじめられ村を追い出されるも、自分の持っていた能力を活かして、大いなる船乗りになる歴史小説です。ロシアとの関係も描かれていきます。まだ一巻の途中なのですが、全六巻をゆっくり楽しもうと思います。

新しい言語を学んでいるときに脳で起きていること

僕はよく、脳みそは2種類あると言います。それは、覚える脳と考える脳です。この2種類の脳の内、どちらの脳が優位であるかによって人は大きく異なってきます。

覚えることが得意である人は、覚える脳をどんどん使いたくなります。学生になると、歴史や社会をどんどん覚えていきます。また、英語教育にもついていくのが大抵容易です。ひとつひとつの言葉や物事や出来事や場所や人物を、積み重ねて覚えていくことで面白みを感じていきます。覚えていくときに、なぜそうなっているのかとか、他の物事とどんな関連性があるのか深く考えるというよりも、それはそれでひとつ覚える、ということをします。新しいことを覚えることが得意分野となり、詳しくなっていきます。

対して、考えることが得意である人は、考える脳をどんどん使いたくなります。学生になると、算数や理科の実験が面白くなります。何かにつけて、「どうしてこうなるのだろう?」「なぜそうなっているんだろう?」と考えるようになります。そのため、新しい情報を取り入れる時に、これはなぜあるのだろう、どうしてこういうことが起きたのだろう、と考えながら情報を取り入れようとします。そのため、新しい情報を取り入れるスピードが遅くなる傾向があります。「とにかくこれはこれで覚えなさい」という指示を素直に受け入れにくいことがあります。物事を考えることが得意分野となり、広く物事を覚える人と対照的に、狭い分野で深い理解を目指すひとになっていきます。

ここで、覚えることも考えることも得意な人のことは特に扱いません。そういう恵まれた脳をもって生まれてくる人たちがいることは事実です。優秀な弁護士や、優秀な医者などにそういう人はなるのでしょう。大きな影響を他の人に与えることができる人たちです。僕が今ここで扱いたいのは、覚えることは得意なんだけど、考えることは得意なんだけど、とても苦手なこともあるごく一般的な人たちのことを考えたいのです。

司馬遼太郎が、算数や数学は苦手だと明かしています。僕はそのことを知った時に、とてもぴんときました。なぜ司馬遼太郎があそこまで歴史を知ることができたのか、覚えることを追求できたのかということです。少なくとも、覚える脳が大きく発達していたことは疑いようの余地がありません。悪い言い方をすると、いちいち物事を覚える時に深く考える人ではあそこまで知識を広げることはできなかっただろうということです。

膨大に知識を積み上げ覚える、そしてその後に、膨大なその知識の中で、やや近くにある情報を少し関連させて考える、そういうやり方をして司馬遼太郎は著名な歴史小説を書き上げ、成功させたのだろうと思うのです。算数が嫌いだったからこそ、この偉大な功績があるのではないかと推測してしまうのです。脳の得意分野が、考えることではなく、覚えることに偏っていたことが幸いしたのではないかと感じてしまうのです。

僕は司馬遼太郎の作品をすべて読んだわけではないので、考えることについての深さがどれほどの人なのかということをきちんと知らない状態で推測をしていることは合わせて書いておきたいと思います。

さて、私は大きく偏った、覚えることが苦手で、考えることが好きな脳みそを持って生まれてきました。これは自分の過去を思い出せば簡単にわかります。社会の授業やテストはとても嫌いでした。過去の記録を覚えることがどうして生きていくのに役に立つんだろう、と思っていたのです。はい、この時点で、「いちいち考えないと情報を覚えることができない人間」であることが確定します。

反対に、算数の文章題がとても大好きでした。小学生のころは、中学入試の文章題をみつけてきて、公式もよくわかっていないのに、どうやったら答えが出てくるのか考えているのが楽しかったのです。中学になって、友人宅にあった古いパソコンの存在が気になり、どうやったらこれが動くのか考え始めて、図書館にプログラムの本を借りに行ったのです。

僕にとって、新しい言語を覚えるということ、つまり中学英語との出会いということですが、あっという間に落ちこぼれになりました。覚えることに関心が持てない、覚えようとしてもすぐに覚えられない、周りはどんどんできるようになっていく、そういったことが重なって、Doを学んでいるあたり、かなりの序盤戦であきらめの感情と出会ってしまったのです。結果として、高校入試で英語は42点を取るという悲しい現実がありました。

だんだん今回書きたいことに近づいてきました。それは僕のような、考えるのは得意だけど覚えることが苦手な人間にとって、新しい言語に取り組もうとすることにはとても大きなハードルがあるのです。

しかし、僕は現在、新しい言語に取り組んでいます。そして、歴史を覚えることにも少しずつ関心を覚えています。この変化について書いておきたいと思います。

簡単に言うと、浅い知識、狭い範囲の中で深く考えていても、思考の広がりが少なく、面白みも限られてくることにようやく気が付くようになったのです。味の好みが年を経るごとに変わるように、脳みその使い方も年を経て変わってくるのかと思います。あんなに嫌いなナスやしいたけやニンジンの美味しさに気が付くように、知識を広げることの面白みに気が付けるように変わってきたのです。

きっと、覚えることが好きな人たちも、そうなのではないかと思います。覚えることばかりしてきて、30代、40代になってきて、考えることも取り入れるようになってくる。覚えるだけでは物足りなくなって、考えることも取り入れるようになるのではないかと思うのです。

言語を覚えるというのは、かなりの部分、理屈ではとらえることができません。もちろんいくらかの文法や言葉のなりたちにおいて論理的な部分もありますが、大半は「それはそれとして覚える」ということばかりです。考える脳をいったんオフにしておかないと、うまくいかないことが多いのです。

I love you.をその順番で字義訳すれば、「私は愛しているあなたを。」ということになります。では、日本語に「私は愛しているあなたを」という言い方は本当にあるかというと、そんなこと言う人はまずいません。一つの外国語を日本語につないで覚えようとするときに、それは1:1で考えられるものではないということに気が付きます。愛=Loveというのは、ある意味で正しいですが、ある意味では正しくないのです。

理屈で考えたい人間にとって、これはかなり面倒な作業です。つまり、イコールで結ぶことができるようでいて、結ぶことができないというのは、気持ちの悪いことです。日本人の使う「愛」という言葉は、英語を使う人たちの「Love」と似ているが微妙には違うものだということです。中心的な意味合いは同じなんだけれども、細かく考えていくと違う点がたくさん出てくる。僕らは愛とはこういうものだと思っている範囲と、英語を使っている人のLoveの範囲は、重なっているが異なるのです。

僕はこのことを脳にとってとても良いことなのだろうと今は感じています。簡単には理屈で片付かないものを、どんどんと記憶して積み重ねていく、積み上げていくとおぼろげにその違いというものの輪郭が分かってくる、たくさんの記憶がなければその形をとらえることができない、そういう作業についてです。

これは、簡単に理解できるものと、長い時間をかけて少しずつ理解されていくものとに分類することができると思います。僕は子供だったころ、簡単に理解できない、何年もかけて少しずつ理解していくことなんてつまらない、そんなに続けていられないと思っていたようです。けれども今は、簡単にわかってしまうものには魅力が少ないと思うようになっています。少しずつ理解が進んでいく、こういうことかと思ってみたが知識を加えていくと違うものであることに気が付く、そしてその後、またその理解もずれていたことに出会う、そういったプロセスそのものが楽しいと思うようになってきました。

僕にとって、新しい言語を少しずつ取り入れていくこと、歴史に少しずつ触れていくことの面白みは、味覚が変わって来て美味しいと感じるものが変わってきたこととと近い関係にあります。

そのことを進めていくのに、ブログの存在は僕にとってすごく大切なものとなっています。