いちご

日本で手軽に食べられるいちごは、本当にとんでもなく安くて美味しい。こんな国は数少ないです。ミャンマーで食べられるいちごはサイズも小さくて形も変で、味もなんだか薄いんですよね。

ミャンマー時代のルームメイトO君は福岡のホテルマンをしている時に、中国人が大量のあまおうを買っていくので大変だ、とよく話してました。日本に旅行に来て、農家やお店へ行って、ホテルに届くように大量のいちごを買って手配し、ホテルで受け取ったいちごをスーツケースに詰めて帰っていくそうな。迷惑なのもわかるし、その中国人の気持ちもわかる。だって美味しいもの。

小さいころ、いちごのショートケーキが好きでよく買ってもらってた。でも、いちごが特に好きなわけじゃなくて、シンプルな生クリームとスポンジケーキの部分が好きだった。味がごちゃごちゃしているのは好きじゃなくて、シンプルな方がいい。酢豚にはパイナップルが入っていない方がいい。

ミャンマーに行く前、つまり35歳くらいまでのこと、自分からいちごを買うことなんて全然なかった。果物というのは高くて、食べるのが面倒で、それなら湖池屋ののり塩で十分だよね、ちょっと気分を変えたい時はピザポテトだよね、というおやつ選びでした。

日本に戻ってきて、以前よりずっと自分の健康のことを考えるようになってて。とにかく自分の持っているリソースを最大限周りの人の役に立つように使うためには、健康じゃないと続かない、っていう意識が強くなって。

ミャンマーにいたころ、原因不明の感染で高熱が全く下がらなくなって、入院しました。今写真を見返してみたら、2020/2/22となっていて、ちょうど四年前でした。この病気を境に僕は考え方を改めたように思います。

あの時のしんどさは時々思い出します。あそこで死んでてもおかしくなかったな、という風に考えることがあって。死んでいたとしたら、僕のその後の時間はすべて使えなかったわけだし、貯金も使えなかった。その後に出会う人たちに会うこともなかった。それまで作ってきた友人関係をさらに深めることもできなかった。

もしも一生買い換えることのできない車を買ったとしたら、別の車も買えない、ずっとその車を一生使うとしたら、その車をどのように扱いますか、という例えがあります。もちろんその答えは、どうやったら長持ちするか一生懸命考えて乗ります、となるわけだけど、そんな風に自分という体を一生使う乗り物のように考えることっていいことだなと思うようになりました。自分の体という入れ物、容れ物を、大切にする。当たり前だけどそれは造っていただいた方への敬意でもあって。

だから、自分の体に流し込むものはできるだけ悪くないものがよろしい、という認識がようやく強くなって。

今でもポテトチップスは、あれば食べちゃうけどできることなら買わなくなって。その代わりに果物やフルーツやトマトなどを買ってきて、小腹が空いたらそっちを食べるようになりました。

日本に戻ってきて、冬が来て、スーパーにいちごが並ぶようになって。初めて自分で食べるために自分にいちごを買いました。食べたら美味しくって。前回の冬、しみじみと美味しさを感じて、シーズンが終わっていちごがスーパーに並ばなくなった時、あ、さみしいなあって思いました。

今回の冬。冬は寒くていやだけど、いちごが食べれるようになるのは嬉しい。

昨日、体調の悪い友達にいちご食べたらどうかなってメールを打った時に、自分が人にいちごをオススメしているのが何だか不思議で。随分と違う人間になったなあって実感して。

今朝シャワー浴びてるときに、久しぶりにいちごで何か書こうかという衝動がやってきて、今書いています。懐かしい習慣だなあ。

ジョセフ・パートナー

暗闇から手を伸ばした。

また、新しい気持ちで人生を続けられる。

ブログも再開できそう。

自分の活動に屋号を付けた。ジョセフ・パートナー。

昨日、ずっと探してた自分の新しいイメージとつながる絵と出会った。

ビリーアイリッシュのジャケット画のジェイソン・アンダーソンから、辿って辿って、到着した。

古河原泉さん。

嬉しすぎる。