ブログを書く意義(アウトプットがもたらす益)

7つの習慣に次のような文があります。


文章を書くことも、知性の刃を研ぐ効果的な手段である。考えたことや体験したこと、ひらめき、学んだことを日記につけることは、明確に考え、論理的に説明し、効果的に理解できる能力に影響を与える。手紙を書くときも、ただ出来事を書きならべて表面的な話に終始するのではなく、自分の内面の奥底にある考えや思いを文章で伝える努力をすることも、自分の考えを明確にし、相手からわかってもらえるように論理的に述べる訓練になる。


ほとんどの人は、正規の学校教育で知性を伸ばし、勉学する姿勢を身につける。しかし学校を卒業するなり、知性を磨く努力をぱったりとやめてしまう人が少なくない。真剣に本を読まなくなり、自分の専門外の分野を探求し知識を広げようとせず、分析的に考えることもしなくなる。文章を書くこともしない。少なくとも、自分の考えをわかりやすく簡潔な言葉で表現する能力を試そうともしないのだ。その代わりにテレビを見ることに時間を使っているのである。


知性を鍛え、自分の頭の中のプログラムを客観的に見つめることはとても大切である。より大局的な問題や目的、他者のパラダイムに照らして、自分の人生のプログラムを見直す能力を伸ばすことこそ、教育の定義だと私は考えている。このような教育もなく、ただ訓練を重ねるだけでは視野が狭くなり、その訓練をどのような目的で行うのか考えることができなくなる。だから、いろいろな本を読み、偉人の言葉に接することが大切なのだ。

3つ紹介しました。このあたりが、なぜ私がブログを書き始めようかと思い立った動機であり、今もなお書き続けている理由に近いです。

この7つの習慣には、「P/PCバランス」という言葉が出てきます。これも日本人にとっては随分とネーミングが悪く、すっと理解しにくいのですが、本の中の説明によれば、「P:成果(Performance)を得るためには、PC:目標達成能力(Performance Capability)またはそれを可能にする資源が必要になる」などと書いてあります。

言葉はイマイチなのですが、言っていることはとても分かりやすく参考になります。これは、「結果を得ること」と「結果を得るための投資・準備をすること」のバランスをよく考えて優先するようにという提案のことです。そして、いわずもがな、投資や準備に力を入れた方が、最終的に良い結果が得られるということを教えてくれます。すぐに結果を得られるようにと短期的な視野で物事を考えると、大抵失敗することが多いという事実を突きつけます。例えるなら、収穫の時に、こぼれた刃でいくら努力しても刈り取れるものには限界があるので、まずは刃をきちんと磨いてから刈り取れば得るものは大きいということです。

自分の幸福を追求するという大風呂敷を広げたとして、すぐに結果を得ようとする、こぼれた刃で刈り取ろうとすることは、自分の給料をすぐに上げようとする、交渉事で少しでも自分の方が得をしようとする、他の人からの評価をすぐに得ようとする、自分にとって都合のよい友達や配偶者や交際相手を得ようとする、欲しいものをお金を借りてでも手に入れる、そういったことになるかと思います。

逆に、自分の幸福を追求するうえで、すぐに結果を求めるのではなく、投資や準備をするということは何か、7つの習慣では説明しています。次のように4つに分類しています。


哲学者のハーブ・シェパードは、バランスのとれた健全な生活を送るための基本価値として、観点(精神)、自律性(知性)、つながり(社会)、体調(肉体)の四つを挙げている。「走る哲学者」と呼ばれたジョージ・シーハンは、人には四つの役割──よき動物(肉体)、よき職人(知性)、よき友人(社会・情緒)、よき聖人(精神)──があると説いている。組織論や動機づけの理論の多くも、経済性(肉体)、処遇(社会・情緒)、育成や登用(知性)、社会に対する組織の貢献・奉仕(精神)のかたちで四つの側面を取り上げている。


「刃を研ぐ」ことは、自分の人生に対してできる最大の投資である。自分自身に投資することだ。人生に立ち向かうとき、あるいは何かに貢献しようとするときに使える道具は、自分自身しかない。自分という道具に投資することが「刃を研ぐ」習慣なのである。自分自身を道具にして成果を出し、効果的な人生を生きるためには、定期的に四つの側面すべての刃を研ぐ時間をつくらなければならない。

4つとは、「精神:心」「知性:技術」「社会:人とのつながり」「肉体:体調」だとこの本は説明します。これらそれぞれを安定させ、向上させようとすることが、幸福のための良い投資であり、良い準備だということです。これらを大切にする習慣があれば、それが収穫用の刃を磨くことになり、後から来る結果として幸福という実を沢山刈り取ることができるという説明です。私はこれに納得しました。

その中で、知性を磨くという分野に取り組もうとするとき、自分の考えていることを表現する場所が必然的に必要となります。家族や友人や知り合いとのコミュニティの中でそれができれば最高でしょう。何かについて関心を持ち、調べ、考え、まとめ、発表する、この循環が知性を維持し向上するために大切です。

これを個人的に行おうと思ったときに、ブログを書きながらそれをしようという流れに自然になりました。ブログを書き続けることが、自分の知力の安定と向上に役立つだろうと考えたのです。今としては、これは死ぬまで続けたいと思っています。それでこのブログには、「学ぼうを楽しもうを続けようを形にしよう」という副題を付けたのです。

私が考えていることは、この世の中に命を頂いたものとして、自分の幸福を追求することが命を与えてくれた方に対する感謝と礼儀だと思っています。

そして、自分の幸福を追求しようと思って考えていくと、自分に対する正しい投資と準備が必要だということになります。

それは、自分の心と精神を安定させ、知性を磨き、社会とのつながりを大切にし、自分の健康のためにそれなりの努力をする、ということになります。

今回の投稿は、私が持っている基本的な価値観の話になりました。次は渋沢栄一と岩崎弥太郎の話を書こうかと思っています。堺屋太一の本に面白いことがかかれていたので。。

7つの習慣 何度目かの再読と再考 kindle本という新しい世界

私が初めて7つの習慣を読んだのは、23歳頃のことだったと思います。とても年の離れている先輩から、「人を動かす」というD・カーネギーの本をプレゼントされて、自己啓発という分野に生まれて初めて触れ、興味を持ち始めたのがきっかけでした。自分がどうふるまうか、どうやって他の人と交流するのかということについて、いろんな方法論があるのだという世界を知りました。

最初に買ったハードカバーの「7つの習慣」を読んでいるときは本当に新鮮で、いくつもの文章に線を引き、メモをとり、ページの端を折ったものでした。このころ学んだことが、確実に今の自分に影響していることはよく分かります。読んでなかったとしたらどんな人になっていたか…、考えられないですね。

そんな私にとって大切な本を久しぶりに読み返そうとしました。2013年に翻訳が調整されて再出版されている方はまだ読んでいませんでしたので、こちらを読もうとしました。ここで考えたのが、ハードカバーを買うかkindle版を買うかです。やはり本は紙で読みたいというのがあります。しかし、移動が多い生活をしているため、ハードカバーを持ち歩くのは重いのです。そして、もう一つの検討材料は、Kindle本の特徴である、「ハイライト/アンダーライン」機能です。

このハイライト機能が優れものなのです。スマホからだろうが、タブレットからだろうが、気になったところに線を引いておく、そして、後からPCでまとめて参照することができるのです。「あ、あそこに何て書いてあったんだっけな」と思ったときに、本をもってきて、そのページを開いて、見ながらPCに入力したり、メモに書き写したりする必要がないのです。

今回kindle版を購入し、タブレットやスマホで読み進めました。結局ハイライトしたのは、85個所でした。これをどばっと1ページで表示できるのです。何て時代だ。

(Kindleでハイライトした個所を表示するためのサイト)
https://kindle.amazon.co.jp/

これから、85個所の中から特にブログに書きたいところだけ引用して色々と述べていきたいと思っています。安心してください、今回はひとつだけです。


当のガンジーはどうしていたかというと、田畑を歩き回り、静かに、ゆっくりと、誰も気づかないうちに、農民に対する自分の影響の輪を広げていた。ガンジーに対する支持、信頼、信用が大きなうねりとなって農村部に広まっていった。彼は公職に就いておらず、政治的な立場もなかったが、その勇気と思いやりとによって、そして良心に訴える説得や断食によって、ついにイギリスを屈服させ、大きく広がった影響の輪の力で三億人のインド人に独立をもたらしたのである。

この本の中には、「影響の輪」と「関心の輪」という説明が出てきます。これはちょっとネーミングがイマイチなんですが、言っていることはとても分かりやすいです。

自分が優先するべきなのは、「影響の輪」の中にするのが良い、ということが趣旨です。この影響の輪と言うのは、自分が直接手を加えることができる、触れることができる、変化させることができることの範囲を指しています。

「関心の輪」というのは、大抵「影響の輪」よりもずっと広くて、自分の関心のあること全てを指しています。そこには、影響の輪の外にある、自分が変更することができないこと、自分が触れることができないことが含まれています。

これは、変化させることができることに集中し、変化させることができないことは変化させようとしないのが良い。何が変化させられることなのか、何は変化させられないものなのかを見分けないといけない、という意味を含んでいます。

そこでガンジーの例が引き合いに出されます。インドに独立をもたらそうと思ったとして、「自分には何ができるのか」「何はできないのか」ということをきちんと見分け、影響の輪の中、自分にできることに集中し続けた結果として、最終的には大きな変化をもたらすことができたという例です。

これは、影響の輪の中に集中すると、少しずつ影響の輪は大きくなっていくということも意味しています。最初の段階では、自分の隣にいる人しか変えられないかもしれない。けれども、自分の隣にいる人が変わり、その友人が変わり、友人たちが変わっていくときに、影響の波がどんどん大きくなっていくという説明です。

逆もしかりです。結果だけが欲しくて、自分が影響することができない分野や人に向けてひたすら努力しても、何も変わっていかない。それどころか、自分の影響の輪はどんどん小さくなってくるということもあるということが説明されます。

例えば、「うらやましい」という感情があります。とても人間的な感情ですが、うらやましくなるというのは、自分には得ることができないものを他人が持っているのでそれを欲しいという感情です。では、うらやましいと思い続ければ、その得られなかったものを自分が得られるのでしょうか。そうではないことがほとんどでしょう。どちらかといえば、自分が得られない、うらやましいという感情のことは考えないで、自分が得ることができることに集中した方が、自分が得るものが大きくなる可能性は高いです。

「あいつはかっこよくてずるいなあ」と思い続けて悪感情を持ってうじうじするより、自分のそばにいる友人に何かの親切を示し、相手の話し相手となったり、相手が欲しいものを見つけてプレゼントしたり、相手が困っているだろうことを解決してあげようとして時間を使った方が、一人の友人との関係をよくすることができて、それは自分の良い性格を強化することになって、それは自分の魅力になっていったりするのです。

うーむ。。こんな調子で85回もやったら大変だなあ。。

 

嫌われる勇気(アドラー心理学)と7つの習慣(スティーブン・コヴィー)

誰しも幸福でありたいと願います。「私を幸せにして」とか,「幸せをつかんでやる」とか,とてもよく見かける表現です。それは今があまり幸せではないことを含んでいる場合があります。

幸福であることを学び取ろうとすると,大抵「与えることだ」という結論にたどり着きます。そして私はこのことについて納得しています。

このことを上手に教えている本が2冊あります。それは「嫌われる勇気(アドラー心理学)」と「7つの習慣(スティーブン・コヴィー)」です。この2冊のことならよく知っているよという方には,あまりこのエッセイは役に立たないかもしれません。それどころか,「その程度の事を解説したって役に立たないよ」とすら思われるかもしれません。しかしそれでもいいのです。私にとってこの2冊が果たす役割は本当に大きいですし,それを自分の脳にしっかりと刻んでおきたいのです。アウトプットは最高の学習です。でも同時に,これまでそんなこと知らなかったよという方に良質な情報を紹介することになれば幸いです。例えば,何だか学校も家庭でもうまいこと対人関係が作れないなあと思う学生とか,就職したはいいけど会社の人間関係って面倒だなあとか,そういう人たちに役立ったらと思います。

まずこの2冊は,「幸福とは与えることだ」という点で共通しています。また,そのために「自分が他人に与えられる何かを持つ」必要があり,そのために「自分と他人に対する正しい分析と見方が必要」という同じような流れを持っています。

では,これら2冊の違いはどんなところにあるでしょうか。

「嫌われる勇気(アドラー心理学)」には,自分のやりたいことをして幸福を味わうためには,必ず誰かに嫌われる必要があるという現実を率直に書いています。このあたりは,「7つの習慣」にはあまり書いていないことです。そして,自分の問題と相手の問題を切り離せるようになること,それは難しいがとても大切だという点に言及しており,人間関係の作り方の調整においては「嫌われる勇気」の方が分かりやすいと感じました。

そして,どのように他の人に与えていくのかという方法論についても,この2冊には違いがあります。「7つの習慣」では,「はしごをかけてからそれを上る」という計画と実行という方法を明確に述べます。具体的な方法論にも言及されていて,「自分の役割を書き出して,それぞれにできることを書いてみて,それを実行する。できたことを分析する」ということを推奨します。その点において「嫌われる勇気」では,「人生は線ではなくて,今一瞬の点でできている。今にすべてを集中すると,過去も未来もない」という書き方をしており,計画と実行よりは,その瞬間の集中力で与えられることを見つけて実行していく,という提案をしています。

これにはどちらも一長一短があると感じます。しっかりと他人と自分の違いを見極めることができるようになって,他人に何かを与えようと動き出す時に「計画して実行し,チェックして修正する」という方法を採用するのか,「常に今できる最善を見つけて実行する」というやり方がいいのかということです。計画と実行って,必ずうまくいかない部分があって,それに妥協しないといけないんですね。計画が足りなくて,「もっとできるんだけど,あと何をしようか」ってなるかもしれないし,計画が多すぎて「全部はできないなあ」って思うこともあるし,計画を実行中に「あ,他の事が本当はしたい」と考えが変化する時も多々あります。そことの折り合いをつける精神力が必要。

じゃあそれで計画をしないでおいて,「常に最善を見つけて実行」という方法はよさそうに見えるんだけど,やっぱり人って楽な方に流れちゃうところあるから,ある程度やることを決めておかないと一日中お昼寝しちゃうっていうこともあるわけです。鮒谷周史さんは,「人との食事会をどんどん予定することでリズムを作る」っていう方法論とか持っておられますしね。

私としましては,こんな結論で大変恐縮ですけれども,どちらの本にも通じることが一番だと思います。他人と自分をしっかり切り離すという意味で「嫌われる勇気」を読み,他人との協業や違いを見つけて与え続けるための方法論として「7つの習慣」を読むのが良いのではないかと思います。でも,いろいろ考えすぎないで,精神力を鍛えるために,ちゃんと運動したり,沢山寝たり,美味しいものを食べるっていうことを忘れたくないですね。

幸せは他人からもたらされるものではなく,他人に与える時に感じられる。いつも,いつまでも。そしてそれは自分を失くして他人の思うとおりに生きるのではなく,自分の意志によって敵を作りながらも歩んでいく道である。