村上春樹とポールグレアムとfromdusktildawn

僕がエッセイを書くようになったのは,面白いエッセイをたくさん読んでいたからです。例えばある人がサッカーをするようになるのは,サッカーを見ていたり大好きな選手がいてはじまるわけで,何でも人が取り組むようになるには,受けた影響があるものです。

それで,僕のエッセイが何から影響を受けているのかここで紹介しておきます。このブログが結構面白いと思ってくれている人は,きっとそれらも楽しめる可能性が高いと思われます。

まずは,村上春樹ですね。ただし,小説はいまだに好きになれません。それはきちんと書かせてもらいます。新作が出て,ぱらぱらと中身をめくるけど,いつも「うーん…」と閉じてしまいます。何なんでしょうね。初期の「風の歌を聴け」なんかは読み切った記憶があるのですが。展開が少なくて,人とのコミュニケーションが淡い感じなんですよね。文体と世界観を楽しむような。それが,なんだか合わないんです。

しかしながらですね,この人のエッセイは,とっても楽しい。本当に楽しい。特に「村上ラジオ」と「遠い太鼓」。これはもう,定期的に読んでしまいます。

村上さんの基本的な生活スタイルは,(読んだ情報を鵜呑みにすると),朝一にジョギングをして,午前中に小説を書いて,その後に翻訳の作業をして,そのあとでエッセイを書いているそうです。なるほど,集中力の必要な仕事順に一日を計画しているんですね。それらの仕事の中で,肩の力が抜けたエッセイの部分が僕の大好きな書き物になっているというわけです。

特に「遠い太鼓」は,「ノルウェイの森」と「ダンスダンスダンス」という二つの小説を書くために,日本の仕事をみんなお休みにして,海外生活をしながら執筆活動に取り組んでいたころの日記というかエッセイ集というか紀行文で,本当に名作だと思ってます。この本を読む理想的な環境として,どこかに旅をしながらとか,カフェでのんびりするとか,そういう時に好きなところを開いて読んだら,なかなか幸福な時間が来ると僕は思います。(という僕は寝る前とか通勤途中に読むぐらいなんですけどね。そんな素敵な時間をみんないつも持って…ないですよね。)

村上さんのエッセイからはいつも,正直な気持ち,美味しいお酒やお食事,心地良い音楽,奥さんとの距離感,そんな空気が伝わってきます。ちょっと怒ってたり,喜んでいたり,その時の感情が詰まってます。それがいいんですよねぇ。文体や,テーマの選び方,文章の流れ,色々と僕は影響を受けています。声を大にして,そうなんです。ちなみに,村上さんの書き物というのはとても影響力が強くて,影響されている人のブログとか文体というのはよく分かります。「あ,このひと最近村上さん読んだな」という匂いがしているんです。ミスチルの桜井さんは,エルビスコステロの匂いだな,っていうのと一緒です。

さて,もう一人,僕が強く影響を受けた人は,ポールグレアムというアメリカ人のおじちゃんです。この人のエッセイは,真似できるものじゃありません。「目から鱗」「なるほど,そういう考え方があるのか!」と,脳にいろんな刺激を与えてくれるエッセイなのです。例えば,ハッカーってのは画家みたいなもんだよ,とか,富っていうのは欲のことで無限だから,サービスは無限に必要なんだよ,とか,どうやって知識を広げて思考を深めるとそこにたどり着くのか不思議になるくらい,面白いことを書いてくれています。そういえば,最近はどうしてるのかな。(今は40代後半らしい)

時々ポールグレアムエッセイ読みたくなります。といっても本は買わないで,ネット上で翻訳されているのを読むぐらいなものですけどね。いつか,この人のエッセイを元に自分なりに消化するようなエッセイを書いてみたいとは思っています。僕はこういうエッセイを読んでいたせいで,知識と思考を深める面白さみたいなものを感じていたのだと思います。(ただし,こんな人に近づける予感は全く起こりません。すごすぎ。)

最後に紹介するのは,fromdusktildawn(さん)です。この人は,何て言ったらいいんだろう。今,30代後半か40代の人ですね。きっと以前,企業で活躍して,独立して,資産に余裕がある人なんでしょうね。「社会的に成功した賢い日本人てこういう人がいるんです」という一つのパターンのようなもの,と僕としては表現させていただきます。

まず,単純に読んでいて面白い,これが最初です。エッセイの一つの味わいというのは,「こんな人と自分が知り合って,ここに書かれているようなことを一対一で話してもらえることはほぼありえないだろうな」というようなことを,文章という形で受け取ることができるということですよね。本来なら,「お金を払って買う本」が価値が高く,「タダで読めるネットの文章」は価値が低い,となるはずなのです。しかし,この人は,文章を書くことで対価を得る必要がないほどお金持ちだったのです。きっと。さらに,アクセス数が伸びるのが楽しかった,どんどんブックマークが付いていくのが快感だった,そんな理由で,「タダなのに,そこいら辺の書籍より面白いことをどんどん書いちゃう状態」だったんですね。さすがに最近は少額の費用を取るような仕掛けを考えてブログを運用しておられます。ちなみにfromdusktildawnさんというのは「分裂勘違い君劇場」の作者になります。こちらは読み始めるとぐいぐい引き込まれます。時間がある時にどうぞ。

というわけで,村上春樹のエッセイで,「じわじわ日常を面白く語るエッセイって,すごくいいなぁ」とマネしたくなりました。

ポールグレアム読んで,「思考が深まると,こんなことが書けるようになるんだ。」とびっくりしてました。

「分裂勘違い君劇場」から,「なんて引き込まれるエッセイだ。しかもわかりやすい。すごいなこりゃ」と影響を受けていました。

こんな背景があって,僕のエッセイがあります。お三方に届く気は全く起こりませんが,それでも,「僕だからこそ生み出せる価値」を忘れずに,「書くからこそ,学びつづける人生」を大切に,楽しいブログ生活を続けてまいります。

マインドマップとGTD

自分の脳が,どのように働くか。機能するか。

これは,間違いなく,生きていく上で考えるべき大切なテーマです。(もちろん僕は専門家ではないので大したことは言えませんが)物事を覚え,考え,決断してくれる脳が,少しでも高い性能を発揮するにはどうしたらいいか,それなりに考えては試しているのです。悲しくなったり,さびしくなったり,嬉しくなったりする感情も,脳の働きですしね。感情も,抑うつ状態に傾きすぎたり,テンションが上がりすぎたりしないでくれたら,そりゃ助かるわけです。脳の働きよ。安定してくれ。

こうやってブログをやり始めたのも,このあたりにひとつの要因があります。自分で考えていることを文章化して他の人が読めるようにすることで,自分の考えをできるだけ見えるカタチにしたいのです。カタチにすると目で読むことができます。脳に入っているだけの情報が目から飛び込んでもくるようになります。この変化って大きいんですね。目で読むと,記憶が強くなるし,新たな発見があったりします。

これとほぼ同じような理由で,マインドマップも活用するようになりました。マインドマップとは,真っ白な紙に手書きで考えの連想をどんどん追加する,メモの書き方です。「僕ってこんなことを考えているんだな」のアナログ表記版です。マインドマップの書き方には色々と約束があるのですが,いくつかの決まりごととして,用紙は罫線なしで無地にする,どんどんカラフルにする,連携の線は曲線にする,などがあります。これらの決まりごとが,最初はどうでも良さそうに感じるのですが,何度も書いているとだんだん意味が分かってくるのです。これを考えたブザンという人は,なかなかすごい人です。

ちょっとブログとマインドマップを比べてみますね。

ブログは,PCでの文章化です。考えを表現するのに,書き換えを何度も行います。割と時間がかかりますが,他の人にも説明できるような表現になります。ブログなので後から検索とかもできますね。読んでもらえることや,自分で読み返すのがなかなか楽しいです。

マインドマップは,紙の上でのメモ書きです。どんどん追加する一方で,消したり直したりすることはしません。はまりこむと結構な時間を使うこともありますが,短時間で書きたいだけ書くこともできます。後から追加して書き始めたりできます。いったん思いつくところまで広げておいて,後からさらに広げることも簡単です。(ブログは,できるだけひとまとまりで書いて,後からはおかしなところを修正するぐらいです。後からたくさん追加することはほぼありません)丁寧な文章化ではなく,思いついたものからどんどん書き加えて見える化します。後から見直す時は,なんだかぐちゃぐちゃになったりしているので,全部読みなおそうとはあまり思いません。連想を広げている間に,「ああ,この考えは面白いな」とか発見したりすることはあります。マインドマップを他の人に読んでもらうことは,まずないですね。

両方とも,「脳の中身をカタチにして見える化する」という意味では同じであることが伝わったでしょうか。そして,それぞれの特性が若干異なるので,両方とも活用しようとしていることもご理解いただけたでしょうか。それならとても嬉しく思います。

生きていくということは,考え続けて学び続けることとも言い換えられます。そのために,「楽しくて」「効果がある」ことを,これからも選びたいと思っています。

以前,このブログを行うのは,「脳の中を探検したいから」という表現をしました。まさに,マインドマップで脳の中を色々と探検し,メモ書きとして地図を広げ,興味が特にあるキーワードをいくつか拾い上げてブログとして文章化し,ズームインすること,これをずっと続けようと思っているのです。

ちなみにこの冒険にBGMはありません。ブログを書いているときや,マインドマップを書いているときは,音楽をかけないことが多いんです。いざ集中して脳と向き合おうとする時って,音が邪魔なんですよね。人にもよると思いますが。みなさんがブログを読むときには,好きな音楽でもかけて,気晴らしや暇つぶしに読んでいただければと思います。

さて,このままではこのエッセイは「ブログとマインドマップ」になってしまいます。ここで主題のもう一つ「GTD」についても言及しておきたいと思います。

GTDとは,やるべきことを全部リスト化しておいて,重要度や分類をしておき,終わったらリストから消込をする,「やらなきゃいけないことリスト化」です。多少,スケジュール管理にも近いものです。詳しい説明は他の方に譲ります。

この管理手法は,私にとてもぴったりで,かれこれ8年ほど続けていますが,全くやめるつもりがないどころか,いよいよ生きていくための欠かせないツールになってきました。GTDを考えてくれた人に本当に感謝です。この手法で「やらなきゃいけないことリスト化」をしておくと,僕は,脳をとてもすっきりさせることができるのです。「なにをやらなきゃいけないんだったっけ?」という状態がほとんどなくなるのです。なぜなら,やるべきことができたら,リストに必ず加えておくからです。何かを覚えてなきゃならない状態は,脳に負荷がかかります。もしくはやり忘れてしまうとがっかりして落ち込み,脳の思考が低下します。これらをできるだけ排除する仕組みなんです。そして脳をすっきりさせておくことで,今取り組むべきことに脳をフル回転させることができます。

GTDで脳をすっきりさせておき,マインドマップで脳の記憶や思考をどんどん書き出し,ブログで思考と記憶を掘り下げながら,他の人に読めるように表現する。これが最近の定番の流れです。ここから,普段の会話のネタが生まれたり,「やらなきゃなー」を「やろう」に変換したりしています。

皆さんは,どうやって学び続けてますか?

LoiLoScopeと温泉旅行

僕は映像を編集するのが好きでして,結構長い間この趣味は続いています。(まぁ,寡作な時期もあれば,全然作らない時期もあって,波があるんですけど)

僕らの世代が,若い頃から映像編集していた最初の世代になるんじゃないかな。20歳の頃には動画デジカメとやらが出始めて,自宅のPCで編集して遊べるようになっていました。(最近の子供たちは,物心ついた時からできるわけで,その世代が大人になったらスケールの違う作品が出てきそうですよね)それでまぁ,友達とどこかに出かけては動画ファイルを撮影して,家で編集して,見て遊ぶ,なんてことをやっていたわけです。そうやっていくうちに,自分の作成スタイルというものが固まっていきました。

まず僕の大切なこだわりは,「短く終わる」ということです。1カット1カットできるだけ削って,「もうちょっと見たい」と思う手前で切る,ということです。こうやって作るようになったのは,動画ってやたらと飽きるものが多いから,というのが大きな理由ですね。つまらん動画を見させられる時ほど,時間が早く過ぎてくれと思うことはありません。さらに,短い方が記憶にも残りやすく,「思い出を素敵にコンパクト化」してくれるのです。まったく自分が映っていない他人の動画でも,短くてすぐ終わるものだと「楽しそうで良かったね」ということになります。これが長ったらしいと,「まったく困った人だな」という展開が待っています。

これに付随したもう一つのこだわりは,「選曲」です。つまり,曲を1曲か2曲選んで,その長さ5分~10分で,すべての映像をまとめこむ,という手法です。映像の長さは,曲がどれほど長いかで決める,ということになります。できるだけ曲を途中でカットすることはしません。しかしこの選曲が難しい。その時のメンバーの雰囲気とか,思い出とか,世代とかで,選べる曲が変わってくるんですよね。いい音楽さえ見つかれば,それに合わせてぱつんぱつんと映像をカットしながら放り込んで,はい出来上がりってな具合です。(だからできるだけ,映像を撮影して遊んでいる間に,今回のBGMはあれだな,って決めるようにしていました。)

こんな感じで作った編集動画がいくつも残っているわけですが,時々ふと見ると,そうですね,ノスタルジックですね。ニヤニヤしちゃいます。「僕,若いな」なんて思うわけです。時々,「この頃の僕,頑張ってるな」なんて励まされたりもするのです。まさか未来の自分を励ますとは思いもしませんよね。作っているときは。

さて,編集にはPCを使います。けれども,映像編集ってPCの性能がかなり必要なんですよね。最近のFULLHD画質なんて記録しようものなら,編集がすごく大変(というか環境によっては不可能)なのです。僕は特に,一つ一つのカットをいじりたいから,ある程度さくさくとソフトが動いてくれないと,使い物にならないのです。だから,編集のために撮影する映像の記録サイズを小さくするというのは常套手段です。

けれども,せっかく綺麗な動画が撮影できるのに,あえて劣化させた記録をするというのもつまらないものです。それで,去年のとある結婚式の映像を撮影するのに,綺麗な画質の映像記録を使ってみたんですね。撮影アイテムは,今は亡きSANYOのXactiです。(今検索すると,PanasonicのXactiって出てくるのです。切ない…)でまぁ,編集しようとしたわけですが,うむ,重い。思うようにならない。それでもうしょうがないから,適当な編集で終わらせようかなと思っていたのです。

しかしその時,青天の霹靂。とある知り合いが「ロイロ,使ってみたらいいかもよ」なんて言ってたんです。こちらは「ロイロってなに?」状態です。それでもまぁ,使ってみましたよ。 LoiLoScope2。無料体験版。どれどれ。


これはさくさく編集できる。しかも,広い仮想デスクトップに映像を並べて編集する,とても斬新なアイディア,なおかつ使いやすい!どひゃー。世の中,進歩してました。知りませんでした。すみません。僕の ThinkPad x300 + SSD (xp)環境でも,十分このサイズの映像が編集できる! と衝撃が走りました。さようならUlead VideoStudio。今までありがとう。料金をお支払いし,LoiLoScopeの制限を解除して,やりましたよ編集。

無事に友人に納品を済ませ,楽しんでいただけました。良かった良かった。

実は,結婚式の編集がもうひとつと,友人たちと行った温泉旅行が残っていまして,手つかずのまま数か月が経っております。昔だったらこんなに放置するなんて考えられないんですけどね。仕事と遊びのバランスって難しいものです。あと,翌日のことを考えて無茶ができなくなったなぁと感じる今日日です。

今後の計画ですが,Xactiもいいんだけど,NEX-C3のミラーレス一眼で撮影する動画も,なかなか良さそうなんですね。ですので,一眼動画でどんな仕上がりになるかやってみたいですね。

時代はどんどん,動画を見る環境を向上させてます。けれども,人を楽しませたり,新しく発見させたり,感動させたりするコンテンツは,あまり向上している感じがしない。昔のよくできてる映画とか見ると,やっぱり引き込まれて面白いもの。

これから求められるのは,お金と時間がしっかりかかった,飽きさせないコンテンツ作りなんでしょうね。優秀なクリエーターが待望されます。しかも何人も。みんな,ただの映像鑑賞者ばかりになってしまいますと,作り手が足りなくなりますね。

僕もいつかそういう活動の一端で遊びたいものです。ともかく,僕は,LoiLoScopeを起動して,温泉旅行の編集をしなきゃな。で,温泉旅行の編集に,どの音楽を使うかが決まっていないんだった。早く決めなきゃ。

映像編集で情報交換できる人,募集してます。(といってもこのブログに,問い合わせ機能は今のところ付けるつもりないけど…)