「くだらない」の言葉の語源と、名著「菜の花の沖」

「くっだらないねえ」と僕らは自然と使います。ダジャレ言われたりすると出てきます。こんなちょっとした一言に語源があり、近代の歴史が込められているなんて考えたことがあったでしょうか。僕はありませんでした。

私が説明するよりも、司馬遼太郎著「菜の花の沖(1)」を引用して答えたいと思います。

— 文庫版 p305
江戸という都市の致命的な欠点は、その後背地である関東の商品生産力が弱いことであった。
 これに対し、上方および瀬戸内海沿岸の商品生産力が高度に発達していたため、江戸としてはあらゆる高価な商品は上方から仰がねばならなかった。しかも最初は陸路を人馬でごく少量運ばれていたこともあって、上方からくだってくるものは貴重とされた。
「くだり物」
 というのは貴重なもの、上等なものという語感で、明治後の舶来品というイメージに相応していた。これに対し関東の地のものは「くだらない」としていやしまれた。これらの「くだりもの」が、やがて菱垣船の発達とともに大いに上方から運ばれることになる。

そうなのです、やはり「くだらない」という言葉がある以上、「くだるもの」や「のぼるもの」があったということです。

徳川家康は、豊臣家との関係もあって、大いに栄えた大阪ではなく、江戸に幕府を始めました。そのため当時高品質な商品や品物のほとんどは大阪や神戸や京都に集中していて、そこから江戸まで船で輸送する必要が生じていました。江戸には、大阪からやってくる「くだりもの」という高級ブランドが売られていたのです。当時の江戸、関東地域の商品開発力の弱さを知ります。それは、「くだらないもの」、つまり、くだってきたものではないものと呼ばれていました。なんだ、関東製品か、ということです。

ということは、今関東に住む人間にとって、「くだらないなぁ」という言葉は時に少々自虐的でもあるわけです。その言葉には、大阪の商品にはかなわないな、という江戸時代の香りが残っているのです。歴史って面白いです。

こういった近年の日本史を知るのに、司馬遼太郎の書き残したものは、とても大きな意味があります。この「菜の花の沖」という小説は、仕事の知り合いが「面白いよ」と教えてくれて読み始めたものですが、確かに興味深く読ませてもらっています。

この小説を書いたとき、司馬遼太郎は60歳ごろです。彼の生まれは1923年となっており、書かれたのが1982年となっています。司馬遼太郎が書いた長編小説の最後から3番目の小説となっています。この、何歳ごろにどのくらいの経験を基に書いているかと言うことも、人の本を読むときに大切になってくる要素だと思います。

一番売れた、一番有名な『竜馬がゆく」は、1966年に書き終えられています。長編小説の6作目です。43歳ごろですね。まだ長編小説の執筆という意味では、経験が少ないころに書いています。

「竜馬がゆく」と「菜の花の沖」は、文体がかなり異なると感じます。簡単に言うと、年を取ってから書いている「菜の花の沖」は、途中でエッセイが何気なく始まってしまうのです。小説を書くために沢山の本を読んでいるため、あふれる知識が小説の枠に収まらず、そこに書いてしまっているのです。これは、沢山の長編小説を書いてきた60歳のベテランだからこそやっていたことだと思うと、何だか腑に落ちます。そして、無数の本を読み込んでから書かれるその随筆には、歴史に興味を持たせるカギがいくつも含まれています。こういう随筆は、若いころにはまだ遠慮があったように思えます。

僕らは、僕らの世代なりに、司馬遼太郎のような過去の人物が残してくれた歴史のカギを吸収して今何をするべきか判断できるようにならなければならないと思います。もちろん歴史を読んで楽しむ、それだけでもいいですが、過去から学んだことを今活かすことも求められているように感じることがあります。それは僕らの世代なりに今の日本語で現在や過去を書き残しておくことでもあるし、歴史から学んだことを今どうやって反映させるかと言うことの思考の流れを枠にするということでもあると思います。

さて、この「菜の花の沖」は、淡路島で生まれた一人の男が、生まれ育った村でいじめられ村を追い出されるも、自分の持っていた能力を活かして、大いなる船乗りになる歴史小説です。ロシアとの関係も描かれていきます。まだ一巻の途中なのですが、全六巻をゆっくり楽しもうと思います。

新しい言語を学んでいるときに脳で起きていること

僕はよく、脳みそは2種類あると言います。それは、覚える脳と考える脳です。この2種類の脳の内、どちらの脳が優位であるかによって人は大きく異なってきます。

覚えることが得意である人は、覚える脳をどんどん使いたくなります。学生になると、歴史や社会をどんどん覚えていきます。また、英語教育にもついていくのが大抵容易です。ひとつひとつの言葉や物事や出来事や場所や人物を、積み重ねて覚えていくことで面白みを感じていきます。覚えていくときに、なぜそうなっているのかとか、他の物事とどんな関連性があるのか深く考えるというよりも、それはそれでひとつ覚える、ということをします。新しいことを覚えることが得意分野となり、詳しくなっていきます。

対して、考えることが得意である人は、考える脳をどんどん使いたくなります。学生になると、算数や理科の実験が面白くなります。何かにつけて、「どうしてこうなるのだろう?」「なぜそうなっているんだろう?」と考えるようになります。そのため、新しい情報を取り入れる時に、これはなぜあるのだろう、どうしてこういうことが起きたのだろう、と考えながら情報を取り入れようとします。そのため、新しい情報を取り入れるスピードが遅くなる傾向があります。「とにかくこれはこれで覚えなさい」という指示を素直に受け入れにくいことがあります。物事を考えることが得意分野となり、広く物事を覚える人と対照的に、狭い分野で深い理解を目指すひとになっていきます。

ここで、覚えることも考えることも得意な人のことは特に扱いません。そういう恵まれた脳をもって生まれてくる人たちがいることは事実です。優秀な弁護士や、優秀な医者などにそういう人はなるのでしょう。大きな影響を他の人に与えることができる人たちです。僕が今ここで扱いたいのは、覚えることは得意なんだけど、考えることは得意なんだけど、とても苦手なこともあるごく一般的な人たちのことを考えたいのです。

司馬遼太郎が、算数や数学は苦手だと明かしています。僕はそのことを知った時に、とてもぴんときました。なぜ司馬遼太郎があそこまで歴史を知ることができたのか、覚えることを追求できたのかということです。少なくとも、覚える脳が大きく発達していたことは疑いようの余地がありません。悪い言い方をすると、いちいち物事を覚える時に深く考える人ではあそこまで知識を広げることはできなかっただろうということです。

膨大に知識を積み上げ覚える、そしてその後に、膨大なその知識の中で、やや近くにある情報を少し関連させて考える、そういうやり方をして司馬遼太郎は著名な歴史小説を書き上げ、成功させたのだろうと思うのです。算数が嫌いだったからこそ、この偉大な功績があるのではないかと推測してしまうのです。脳の得意分野が、考えることではなく、覚えることに偏っていたことが幸いしたのではないかと感じてしまうのです。

僕は司馬遼太郎の作品をすべて読んだわけではないので、考えることについての深さがどれほどの人なのかということをきちんと知らない状態で推測をしていることは合わせて書いておきたいと思います。

さて、私は大きく偏った、覚えることが苦手で、考えることが好きな脳みそを持って生まれてきました。これは自分の過去を思い出せば簡単にわかります。社会の授業やテストはとても嫌いでした。過去の記録を覚えることがどうして生きていくのに役に立つんだろう、と思っていたのです。はい、この時点で、「いちいち考えないと情報を覚えることができない人間」であることが確定します。

反対に、算数の文章題がとても大好きでした。小学生のころは、中学入試の文章題をみつけてきて、公式もよくわかっていないのに、どうやったら答えが出てくるのか考えているのが楽しかったのです。中学になって、友人宅にあった古いパソコンの存在が気になり、どうやったらこれが動くのか考え始めて、図書館にプログラムの本を借りに行ったのです。

僕にとって、新しい言語を覚えるということ、つまり中学英語との出会いということですが、あっという間に落ちこぼれになりました。覚えることに関心が持てない、覚えようとしてもすぐに覚えられない、周りはどんどんできるようになっていく、そういったことが重なって、Doを学んでいるあたり、かなりの序盤戦であきらめの感情と出会ってしまったのです。結果として、高校入試で英語は42点を取るという悲しい現実がありました。

だんだん今回書きたいことに近づいてきました。それは僕のような、考えるのは得意だけど覚えることが苦手な人間にとって、新しい言語に取り組もうとすることにはとても大きなハードルがあるのです。

しかし、僕は現在、新しい言語に取り組んでいます。そして、歴史を覚えることにも少しずつ関心を覚えています。この変化について書いておきたいと思います。

簡単に言うと、浅い知識、狭い範囲の中で深く考えていても、思考の広がりが少なく、面白みも限られてくることにようやく気が付くようになったのです。味の好みが年を経るごとに変わるように、脳みその使い方も年を経て変わってくるのかと思います。あんなに嫌いなナスやしいたけやニンジンの美味しさに気が付くように、知識を広げることの面白みに気が付けるように変わってきたのです。

きっと、覚えることが好きな人たちも、そうなのではないかと思います。覚えることばかりしてきて、30代、40代になってきて、考えることも取り入れるようになってくる。覚えるだけでは物足りなくなって、考えることも取り入れるようになるのではないかと思うのです。

言語を覚えるというのは、かなりの部分、理屈ではとらえることができません。もちろんいくらかの文法や言葉のなりたちにおいて論理的な部分もありますが、大半は「それはそれとして覚える」ということばかりです。考える脳をいったんオフにしておかないと、うまくいかないことが多いのです。

I love you.をその順番で字義訳すれば、「私は愛しているあなたを。」ということになります。では、日本語に「私は愛しているあなたを」という言い方は本当にあるかというと、そんなこと言う人はまずいません。一つの外国語を日本語につないで覚えようとするときに、それは1:1で考えられるものではないということに気が付きます。愛=Loveというのは、ある意味で正しいですが、ある意味では正しくないのです。

理屈で考えたい人間にとって、これはかなり面倒な作業です。つまり、イコールで結ぶことができるようでいて、結ぶことができないというのは、気持ちの悪いことです。日本人の使う「愛」という言葉は、英語を使う人たちの「Love」と似ているが微妙には違うものだということです。中心的な意味合いは同じなんだけれども、細かく考えていくと違う点がたくさん出てくる。僕らは愛とはこういうものだと思っている範囲と、英語を使っている人のLoveの範囲は、重なっているが異なるのです。

僕はこのことを脳にとってとても良いことなのだろうと今は感じています。簡単には理屈で片付かないものを、どんどんと記憶して積み重ねていく、積み上げていくとおぼろげにその違いというものの輪郭が分かってくる、たくさんの記憶がなければその形をとらえることができない、そういう作業についてです。

これは、簡単に理解できるものと、長い時間をかけて少しずつ理解されていくものとに分類することができると思います。僕は子供だったころ、簡単に理解できない、何年もかけて少しずつ理解していくことなんてつまらない、そんなに続けていられないと思っていたようです。けれども今は、簡単にわかってしまうものには魅力が少ないと思うようになっています。少しずつ理解が進んでいく、こういうことかと思ってみたが知識を加えていくと違うものであることに気が付く、そしてその後、またその理解もずれていたことに出会う、そういったプロセスそのものが楽しいと思うようになってきました。

僕にとって、新しい言語を少しずつ取り入れていくこと、歴史に少しずつ触れていくことの面白みは、味覚が変わって来て美味しいと感じるものが変わってきたこととと近い関係にあります。

そのことを進めていくのに、ブログの存在は僕にとってすごく大切なものとなっています。