意識する4つのこと(昔は悩んでいたけど、今は平気になった)

良い体調を維持するために意識していることがだんだん体に染み込んできたので、ここでまとめておきたいと思います。

僕は10代後半から20代のころ、すごく悩んでいました。それは、全然やる気が出ないときや気分的な落ち込みがあって、自分をうまくコントロールできないと感じることがよくあったのです。調子がいい時と悪い時の差の大きさがとても嫌いで、「やる気」ってものが買えるなら、10万円ぐらいでも買いたいと思っていました。それで、どうやったら解決できるのかと本を読んだり考えたり試したりしてきました。それが最近ようやく一つの解決を見たような気がしています。10年以上かかりました。20年近くといった方がいいかもしれません。長かった。

その解決法とは、「4つのことを意識する」ということです。一つは、体のこと。二つ目は、知力のこと。三つめは、心のこと。四つ目は、他の人とのつながりのこと。この4つのバランスに気を配れば、調子が安定してくるのです。このバランスが崩れると、調子を大きく崩すのです。

一つ目の「体」。これは基本的に言って、ちゃんと運動することです。今の僕にとっては、自宅で軽い筋トレをして、週一でサッカーに行って、時々はジムやプールに行くということです。そして、それなりにきちんとしたものを食べて、よく寝るということです。これを軽視したら、絶対に調子悪くなります。これが体でわかるようになったら、他の人の悩み事を聞くたびに、「ああ、きっとこの人運動不足だろうな」と思うようになってしまいました。ちょっと偏見ではありますが、大きく外れてないだろうという自信が僕にはあります。人間は、体力を使うようにできている。使わないでいると、知力や心の調子が悪くなる。密接に関係している。

二つ目の「知力」。これは、頭を使うことです。情報を仕入れて、考えること。覚えること。思考力を使うこと。読み書きすることです。情報を仕入れるには、好奇心が必要です。お、知りたいな、取り入れたいな、と思う関心があってはじめて成立します。旅行の計画とか、新しい料理に挑戦するとか、新しい言語を覚えるとかです。本を読んだり、ブログを読んだり。興味深いドラマや映画やドキュメンタリーを見たり。特定の関心がある分野を調べたい、ということになればもちろん最高ですね。ちょっとニュースに関心を持つだけでも大丈夫です。この分野の不調は、「最近、何にも関心がない」という状態になって現れます。見たいもの読みたいもの調べたいものやりたいことがない。ずっと知力を使わないでいると、どんどん弱くなってきます。

三つ目の「心」。これは、精神的な部分です。怒ったり妬んだりするマイナス感情を持つのではなく、親切であり安定していて他の人に与えたいと願うことであり、ポジティブな感情で何かをする、ということです。気持ちを整えるための時間を取り、不安を解消する手を打つことも含まれます。何かをしてあげたい、という気持ちで計画を行い、約束し、それをする。それは自分の心の安定をさらに強めます。この分野の不調は、欲求不満やイライラ、ちょっとした出来事や一言で他人を嫌いになったりする傾向に現れます。「あいつムカつく」「なんか気分悪い」という感じです。

四つ目の「他の人とのつながり」。これは、簡単に言って誰かと話をするということです。社会的なつながりを持つ、個人的な友人との関係を維持する、家族と接することが含まれます。家族と一緒に暮らしていたとしても、引きこもって全く会話をしないというケースも考えられる時代ですから、一人暮らしだから孤独とか、一緒に住む人がいれば安心という問題ではないですね。自分の側から、会いたい人や話したい人に近づいて、話をするということです。もちろん、自分がいつも受け身であっても、ある程度は人との会話があるかもしれません。仕事上話さなくちゃならない、とか、仕方なく会わなきゃならない人がいるということもあります。その中である程度会話が満たされることもありえます。割とどんな人とでも仲良くなれる営業さんとか学生は、あまりこの分野で問題を抱えないかもしれません。逆に、一人暮らしで、一日中誰とも話をしないような仕事をしている人にとっては、意識しないと「なんか最近誰とも話をしてないし、何か人と会う元気が出ない」という状態になる場合があります。やたら人と会ってばかりいる人は、「少し一人になりたい」と思う逆パターンもありますね。

これら4つの一つ一つは、使わないと衰えるものです。分かりやすいのは筋力でしょう。仮に、病院に入って一か月寝たきり生活のせいで、全く筋力を使わなければ、筋力が全然なくなってしまいます。逆に、鍛えようとして頑張りすぎると壊れてしまうものでもあります。筋トレを、自分にちょうどいい量だけやるなら健康に良いですが、一日中筋トレをするなら体を壊してしまいます。つまり、「ちょっと疲れたなあ」という程度までこれら4つの一つ一つを頑張り、そして、「休ませる」。このルーティーンを定期的に行うことで、少しずつそれぞれが強化されていきます。4つがお互いに関連していて、4つがバランスよく向上していくと、自分のできることがどんどん増えていきます。

分かりやすいと思うのでやや極端な提案を一つします。一日の24時間を、それら4つの分野がバランスよく入ってくるように計画するのです。朝起きて軽く運動する。室内でラジオ体操か筋トレです。できる人はジョギング20分とか。もし朝の運動が面倒でできなかったら、夕方に再予定します。午前中は知力を使います。仕事なり学業なり遊びなり、関心を持っている分野の勉強や情報収集、ノートやPCにまとめたり、他の人に説明できるような資料を作ったりします。午後一には自分が誰か他の人にしてあげられることを考えて計画し、連絡を取ったりします。その後、実際に他の人の役に立つ何かを行う。夕方か夕食には、会いたい人とのアポを取っておいて、会います。昼食にしてもいいです。会った時には、相手の状況に関心を持って話をよく聞くようにし、自分が話す内容は、最近仕入れていて面白かった情報を提供するようにします。夜にはお風呂やシャワーを浴びて、自分の好きな香水をつけて、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、誰かと電話をしたりして、少し早めに寝ます。

体のために、運動を入れる、これは欠かせません。寝る時間の確保も大事。食生活も大事だけど、日本人でとんでもなく栄養が足りない人は少ないだろうからあまり気にしていません。

知力のために、午前中を使う。これは得意な時間帯が人によって違うと思いますが、たいていの人は朝か午前中が、脳を使うには良いと思います。僕は夜は全然ダメです。

心のために、他人に貢献できることを考え、計画し、実行する。自分ができることを常に見つけてそれをすることによって、自尊心は安定し、自信が付きます。それはよく、「居場所」といわれるものです。これを続けていると、「他人にイライラする」ということが減ります。心が満たされているかいないかが分かれ目です。また、心を整えるという意味で、好きな香水で香りの効果を使うのも良いと思います。好きな音楽も心に効きます。お風呂でテレビを見る人も多いようですが、のんびりと自分の感じていることや考えていることを味わう時間にも使えると思います。

他の人とのつながりのために、会いたい人に自分から近づきます。これは、他人に貢献することと近いですが、違いがあります。他人への貢献というのは、特に会話をしなくてもできるものです。買い物をしてあげる、知らないことを教えてあげるメールを送る、家事を手伝ってあげる、といった相手のニーズにあわせて行う自己犠牲的な活動のことです。それで、話したい人と会話をするというのとは少し違います。もちろん、他人への貢献と他の人とのつながりが一緒に満たされることもあり得ます。

人との関係を作るというのは、とても複雑なことです。簡単なことではありません。だからこそやりがいがあり、人生の味わいを深めるものだと思えればよいと思います。

自分が近づくことができる人というのは、自分の鏡のようになります。自分と似た何かがあるということです。

人付き合いの中で、自分は影響を受けます。その付き合いが、自分を成長させてくれることもあるし、ある場合自分の成長を防いでしまう場合もあります。

自分が成長してくると、それまでの人付き合いだけでは満足できなくなることもあります。今打ち込んでいること、今考えていること、今関心を持っていることに合わせて、付き合いたい人たちが増えてきます。また、時にはこれまで付き合ってきた人たちとの距離が開くことがあります。

少し矛盾したことを言いますが、古くからの友人はとても大切であり、そして、自分が成長している以上、新しい知り合いに関心が移っていくのは自然なことです。

孤独を感じることともつながってきます。今までの友人とだけ付き合っていると、自分の世界が狭く感じて、息苦しくなることがあります。それで、新しいことを学んだり知ったりして新しい知り合いを作っていくときに、これまでの友人に拒絶されることがあります。これは多分避けて通れない成長痛のようなものです。その時に、今までの友人とも距離ができてしまった。新しい知り合いともそれほど仲良くなれていないという感触が、孤独を感じさせることがあります。

自分の世界が広がることと、孤独を少し感じることはいわばセットなのです。自分がこれまでの殻にいるのではなく、新しいことをしようとするときには、孤独を通り越す必要があるのです。

逆に言うと、孤独と付き合えるようになれば、どんな世界にでも飛び込んでみることができるようになります。新しいことを知るために飛び出すのと、これまでの楽しい関係を全く同じように維持するということは、どうしても両立しないのです。

すこし論題からずれてきましたので、何を言いたいのかまとめます。

「人とのつながり」をずっと大事にすることで、自分を安定させることができます。しかし、それはただ単に今までの友人を大切にするだけでなく、新しい知り合いを作っていくということでもあります。あまりにも特定の人たちを大切にしすぎると、自分の世界を広げるのに妨げになってしまうこともあるからです。それに気づいて既存の友人と距離を空けると時々さみしさがやってくることもあるが、それを受け入れることも必要だということになります。そして、自分が「誰に近づきたいと思っているのか」というのは貴重な感情なので、とても大切に扱わないといけない、ということも含んでいます。

4つのこと、「体」「知力」「心」「他の人とのつながり」への意識の仕方は、今置かれている状況によって大きく変わってきます。毎日職場や学校に行っている人と、週に何日かだけ仕事している人と、いつも自宅にいる人で全く異なります。仕事内容も、体力をすごく使うのか、どのくらい人とかかわるのか、ずっと部屋の中にこもっているのかによっても違います。意識しないと足りなくなってしまう部分をきちんと補うということがとても重要です。

若いころに悩んでいたことも、こうやって時間と共に解決できたりします。長い時間をかけて理解できることやできるようになることって、嬉しいものです。

10万円かけても買いたかった「やる気」が、買わなくても毎日割と安定するようになってきました。

与えることができる種類

与えることは幸福とつながっています。これは、一定以上他の人に与えることができるようになった人は誰しも理解できることです。欲しかったものが得られた時も幸福を感じますが、それはあまり長続きせず、毎日毎日感じ続けられるわけではありません。それに比べ、与えるという行為から感じ取る幸せはいつでもいつまでも味わい続けられるものです。

この与える行為にも、少し踏み込んでみますといくらか種類があることが分かります。どのように与えるかによって、味わう幸福感もまた異なってくると思います。

まず初めに思いつくのは、「モノを与える」こと、プレゼントです。相手から頼まれて仕方なくあげることもあれば、相手が欲しいであろう物を推測し、欲しいといわれてもいないのにプレゼントすることもあると思います。もちろん後者の方が幸福感は大きいわけです。

次は「時間を与える」ことです。一緒に過ごす時間を確保する。相手の話を聞く。楽しく会話する。特に何を話すわけではないけど一緒にいることです。これが自然にできるようになると、与える幸福感というのはとっても味わいやすくなります。間違えてはいけないのは、「相手から何かを聞き出したい、何かを与えてほしい」という気持ちで、自分の都合だけで相手に近づくのではないということです。そういうのは相手に伝わってしまってあまり気持ちの良いものではありません。何気なく一緒に過ごすことになり、一緒にいたらなんだか楽しかった、そういう感じです。そういうことを、偶然そうするのではなく、与えたいという気持ちで自分からきっかけをつくってやるのです。

さらに与えられるのは「何かを教える」ことです。例えているなら、「魚をあげるのか、魚の釣り方を教えてあげるか」ということになります。相手に知識や理解や方法を教えてあげることができれば、相手はその後ずっと活用できます。モノを直接あげるのも楽しいことですが、時間をかけて何かを教える、そのプロセスそのものが幸福感をもたらします。料理、ガーデニング、言語、楽器演奏、パソコンやタブレットの使い方など、自分の得意分野を活用して、関心があるけどまだあまり詳しくない人に教える時間を意識して作るなら、そこからとても楽しい時間が過ごせるようになります。

そして、もっと高いレベルがあります。それは、「人を育てる」ということです。教育に携わるということです。次世代を担う人材に、簡単ないくらかのことを教えるだけではなく、大切ないろいろなことを教える、理解できるように助ける、間違わないように注意を与える、そういった沢山のことを担うことです。

これは、多くの成功者が、最終的には「学校設立」をしたり、自分の業界での「教師」になったりする傾向がよくある、という事実からも説明できると思います。色々な経験や苦労をくぐり抜けた後、結局最後には、人を教えていたい、という終着点にたどり着くことは多いのです。

さて、勘の良い方はお気づきかと思います。これらはすべて、多くの人が自然に味わうものなのです。それは、子育てです。

子育ての中には、人が味わう与える喜びが全部詰まっている。

時が流れるように(インターステラーを見て)

これはすごい、という映画に時々出会います。子供の頃なら何を観ても面白いけれど、だんだんと大人になってきて、沢山の映画を見てくれば、興味深さが感じられる映画は少なくなってきます。

ようやくインターステラーを見ました。日本で盛り上がっていた頃は観る気が起こらず、最近友人から紹介されたきっかけがあって、鑑賞しました。はい。名作です。

どこから手を付けていいかわからないほど、この映画には様々な要素が含まれていますが、時の流れについて考えさせられる映画だといってよいと思います。私にとっていえば、バックトゥザフューチャーと同じぐらいの影響力の大きさがありました。

ウラシマ効果とは一体何なのか、これ以上分かりやすい教材はないでしょう。時間の流れが違ってしまった親子関係。娘が父親よりも先に老化してしまう。時の流れって、何なのでしょうか。

地球上で生きている限り、それは同じ重力のもとにある限りということになりますが、すべての人間には平等に時が流れる。だからこそ、何事もなければ、親が先に死にゆく。10年たてば、公平にすべての人間は10年分の年齢を重ねる。当たり前のようでいて、これもまた実は当たり前のことではないのかもしれません。

時は無情なほどにすべてを洗い流す、と桜井某は歌いましたが、「時:とき」って興味深いものです。

ある意味で、時のようでありたいと思います。

どんなことが起ころうとも、どんな影響があろうとも一定方向に安定して進みゆくもの。どんな人に対しても公平であるもの。近い将来の楽しみをもたらすものであり、失敗した過去を遠ざけて忘れさせるもの。

時のように生きる、というイメージには、良き教訓があるんだろうとおぼろげに感じ始めています。はい。もうすぐ38歳です。