英語に向き合うときが来た

ミャンマーに来て2年が過ぎます。出来る限りミャンマー語にお近づきになろうとしてきました。

今までの土地とは違う場所に住んで、新しい言葉を学ぶ、ということをやってみました。

うまくいかないことも沢山ありますし、やってもやってもできるようになった気がしない、という「この山いったいどこまで登るんだよ」という感情もありますが、それを大きくしのぐ感情があります。

それは、「今までの自分とは違う自分がいる」ということです。

30代中盤、ちょっとした行き止まり感、息詰まり感を感じていました。何だか何をしても、自分が足踏みしているような、時間だけがどんどん過ぎていく感覚です。友達と飲んだりしゃべったりしてれば楽しいんだけど、本当にこれだけでいいのかな感。

その感覚を信じて、日本を出ました。

とある過ごしやすい街を出たとします。そこから歩いて別のところに行くというのは、とても心細く感じるものです。歩いている最中は、前のところにいればよかったかなという感情すら覚えます。でも、ひたすら歩き続ける。

そうすれば、いつかは別の街にたどり着きます。新しい場所にたどり着くことができた時、自分にはひとつの良いことが起こります。それは、「前に住んでいた場所で得た経験を活かして、新しい場所で活動できる」ということです。違う環境に身を置くと、以前の場所との比較をすることができます。

ストレスが強すぎて病気になってしまうなら、それはやりすぎなのでやめたほうがいいけど、死なない程度に、いつも新しいことに触れてみるのは本当に良いことです。

さて僕は、今回自分の関心事の変化を感じることになりました。

それは、英語です。

中学英語は、かなり早い段階で挫折。20代のころ、また頑張ろうとしたけど、挫折。僕にとって英語は、相性最悪な相手です。40歳も近くなったこの年になって、また挑戦することになるとは、という感じです。

自分のやりたいことを進めてきて、今、英語を使えるようにならないと先に進めないという事態に直面しつつあります。

ただ、もし僕が英語ができるようになったら、どれだけ世界が広がるんだろう、というワクワク感も増してきました。

アメリカ人やオーストラリア人の知り合いが増えてきて、「遊びに来なよ」なんてみんな軽々しく言い放ちます。行けるものなら行きたいよ。

こんなことなら、20代前半にでも、思い切って英語圏に飛び出しちゃえばよかった、という後悔も少なからずあります。まぁでも、きっと今が僕にとってのベストタイミングなんでしょう。

「学ぼうを楽しもうを続けようを形にしよう」とやってきたこのブログです。

Enjoy Learn.

I want to continue to learn enjoy.

draw to continue to enjoy to learn.

とにかく英語を身に着けるというのは、考え方がひっくり返る。日本語で考える順番と逆に単語を配置する必要がある。一番大事な動詞を、すぐに言わないといけない。

自分の考え方や性格にまで影響があるのは必至です。

僕の友人は、日本語で話しているときと、英語で話しているときに、別の人格でもあるかのように変わります。これは興味深いことです。

今後、ブログの記述も、少しずつ英語を取り入れたいと思っています。

 

日本人とイスラムの接点(初心者による記録)

まず初めに断っておきますが、この投稿は専門的なものではなく、自分の無知具合を確認しつつ、少しずつ関心を持てるようになってきた記録を残すものとなります。

イスラムというのは日本人にとってあまりにも遠く、悪く言うと「どうでもいい」というか、「関わりたくない」という存在であることが少なくないと思います。僕もそういう一人でした。けれども、少しずつ少しずつ、イスラムの存在が現実のものとなってきて、自分が生きている間に無視できない存在になるであろうことが分かってきました。それでようやく関心を持てるようになってきた、その程度です。

まず、イスラムの人たちが多い、アラブとペルシャの違いすら分かっていませんでした。「だいたい中東の人」という感じです。イラクとイランの違いもピンと来ない、そんな感じです。

世界人口を70億として、2010年のキリスト教徒は約21億、イスラム教徒は約16億という資料があります。イスラム教徒は出生率が高いので、2050年には同じぐらいになるのではないかという推測もあるようです。

人口が多い、というのは、絶対に無視できない要素です。例えば日本だったら、高齢者が多い、という問題があるようにです。

今、どんどんどんどん、イスラム教の貧しい人たちが、世界中に住まいを探して移住しています。受け入れてくれる国を探して、どこへでも向かっていきます。移住しながらも、どんどん子供を産んで増えていきます。先進国に生きている人たちは、子供は最低限の人数にしたいと思うけれども、将来に期待できない貧しい人たちは、産める限り沢山の子供を作ろうと考える。

やっと住まいを見つけたとしても、良い仕事につくのはまた大変です。仕事がないから、何をするか。元気の有り余っている20代の若者たちに、「何もすることがない」という状態は、とても不健全な事態を引き起こすのは目に見えています。

イスラム国とは、そういう若者を大量に雇用して大きくなっています。やることのないイスラム系の若者を、「住まい、食事、仕事付き」でどんどん受け入れて大きくなっています。そして、軍隊の訓練をして、「唯一の神のために、自分を差し出す」という教育をします。それはテロ部隊になれるということです。

パリでテロが起きてから、この問題は遂に先進国への恐怖という形で目に見えたと思います。911のアメリカから始まるアメリカ対テロというのは、まだ対岸の火事だったけど、今後はだんだん人ごとではなくなってきていると感じます。

日本がイスラム圏の人たちと、今後どういう形で知り合っていくのか、付き合うことになるのか、いくらか想像します。

一番平和なのは、日本と仕事をする人、日本に仕事しに来た人と知り合うということです。もしくは、結婚して日本人の配偶者となって知り合うというパターンです。できたら、それだけであって欲しい。

最悪なのは、日本でイスラムのテロが起きるということです。

今まで、テロがどこで起きても、どうでもいいなと思っているはずです。シリアで起きました、トルコで起きました、バンコクで起きました。「かわいそうに」という状態から、一変に事態が変わります。

さて、狙われたとして、日本はテロを防ぐことができるのか。まず無理でしょう。平和すぎます。去年ドローンが首相官邸に落下した時のニュースの時に、どれだけ日本が平和ボケしているのか、よーく分かりました。

日本は移民を受け入れる方向に変わるかもしれません。そこで、韓国人や中国人やアジアの人々や、イスラムの人たちが日本に入ってくるかもしれません。

どうやってそれを受け入れていくのか、突きつけられてから日本人も考えだすことになりそうです。

アメリカが、「テロと戦う」と言って、元気よくやっていたのは今は昔です。今はもう、少々弱くなってしまったアメリカは、「もう、世界の警察をやり続けるわけにもいきません」という雰囲気になりつつあります。

イスラムを支配しようとしたアメリカは、それに失敗したといえます。というわけで、イスラムは今後、一つの大きな勢力となっていきます。ま、アメリカに支配されたいなんて思う国はどこにもないと思われますが。

身近なイスラムから感じるのもいいかもしれません。インドネシアとマレーシアですね。ジャカルタとバリでも観光しながら、イスラムの影響って何かなあと思うのが手軽で楽しそうだから日本人向きです。

イスラム教とキリスト教とユダヤ教は、同じ神を崇拝していることになります。教えの基本は全く同じです。「唯一の神様だけを崇拝する」ということです。けれども、あまりにも解釈ややり方が違うので、それが同じ神と言い切れるかいうと、かなり難しい問題です。同じ神さまがいて、宗教間が、教えも感情も対立しているって、絶対に納得ができない話です。

横浜や長崎にあるキリスト教会なら素敵な感じがするけど、中東にあるイスラム寺院ていうと、近寄りがたいもの、そんな感じですよね。

宗教問題、言語の壁、人口問題、なんかとっつきずらい、避けれるものなら避けて通りたいモノ、そんな受け取り方をしてきたけど、最近はこういった問題が割と身近に感じられるようになってきたし、自分なりの解釈ができるようになって、少しは興味も沸いてきました。

これは、年を取ったということだろうか。 苦笑。

日本の立ち位置を、そろそろアジアや世界から見るようにしないと

ホリエモンがホームランを打ちました。この人の道徳観念はついていけないところが多いし、発言も礼儀がない時があってすごく残念ですが、得意分野を発揮するとやっぱり一目置かれる人です。

日本はかつてない「安売り」の時代に入った

富裕層に限定すれば、日本は、中国・シンガポール・タイにはもう勝てない。

今日本のGDPはアメリカの約1/4だし、中国の半分以下だし、一人あたりは世界27位の貧しさだ。

と。日本は質が高くて、そして、「安い」と。

わかりやすい。日本にいたらわからないことだけど。

すごくおいしいイタリアンが隣の国で安く食べれるとしたら、旅行に行きませんか?

行きますよね。イタリア人がちょっと眉をひそめようが気にせず食べに行きます。

日本に、中国人と韓国人とタイ人が押し寄せているのは、「質が高くて、安いから。」です。日本は経済活動が停滞してるせいで、給料が上がってないし、物価も上がっていない。そして、昔ながらの高品質、細やかなサービスが当たり前になっている。こんなよいところ、外国人が遊びに来るのは当たり前なんです。

この延長線上に何が起こるのか、イメージできます。

それは、「日本は、海外の下請けになる。」ということです。外注先です。

だって、安くていいものを作れるわけだから、お金持っている人が仕事を発注する相手になります。それは、工業製品だろうが、食品だろうが、様々な分野になるでしょう。

日本はアジアNo.1だった時代に、アジアに工場を作って人件費を抑えたりして成長することはできた。でも、成長率では、常にNo.1であり続けることはできなかった。そもそも、日本はNo.1であり続けるための努力がなされなかった、と言ってもいい。日本の会社は、海外進出して利益を上げるというのがとても苦手だ。車をアメリカに売るとかのいくらかの例外はあるにしても、基本的に得意ではない。

韓国がドラマやK-POPを世界中に売っているように、日本が日本のドラマやJ-POPを世界に売れるだろうか。もう比較にならない。LGやSamsungのように商売できるだろうか。後塵を拝している。

アメリカがamazonで世界中に商売をしているように、楽天が世界で商売ができるだろうか。お話にならない。

googleやappleのようなとんでもない企業が日本から起こるだろうか。SONYに期待するのは今となっては酷な話だ。

日本人は、日本人には商売ができるけど、海外で外国人に商売をするのは下手だ。下手すぎる。リスクを取るのが苦手だし、早い決断をするのが下手だ。だから、日本は経済が停滞している。

日本の中でだけ、うまく回っている。さすがは経済大国日本。外国のことを考えなくても日本の中でだけ物事が回ってきた。これまでずっと。

しかし、これから10年20年と、どんどんどんどん、世界が近くなってくる。アジアの人たちが押し寄せてくる。

突然タイ人がやってきて、すごく流ちょうな日本語で、「これを作ってもらうのにいくらかかりますか?」と言ってくる時代が来る。僕らが外国語を覚えなくても、向こうが日本語を覚えてやってくる。今、どのくらい海外で日本語が勉強されているか少しは知っておくべきだと思う。

先日のシャープ買収なんて、まさにこのことだ。ブログでホリエモンが書いていましたが、これは単純に悪いことではない。シャープの持っている日本人の技術は、高いお金を支払ってでも買いたい、魅力的なものだということです。

ホリエモンは、「買収」という言葉がイメージを悪くしている、「バイアウト」と言うべきだと書いていましたが、それに近いことを僕も感じます。

日本語を大切にしたい僕としては、カタカナ文字よりも、漢字で表現したい。「買収」は、「買われて、吸収されてしまう」という風に読めてしまうのでイメージが悪いのです。

台湾資本の会社で、日本人技術者が大活躍する。そしてその台湾の会社が、世界に良い製品を販売する。とてもいいことだと思います。なぜなら、日本人は世界に販売するのが下手だから。

そうすると、適切な日本語を探すとして、「会社を高い価値で売ることができた」という意味合いの言葉が欲しい。英語だとバイアウトになるということですね。

シンプルに、「会社を購入」とかどうだろうか。購入の購は、あがなうという意味です。それを手に入れるために、価値に見合った分を支払わなければならない、という雰囲気になります。

台湾のホンハイが、シャープの購入を検討した。先日、購入が決定した。日本の高い技術に見合った資金が支払われた。

うん、これならそれほど悪くないと思います。そして、役に立たない経営陣は辞めてもらって、開発部と総務などいくらかの必要な部署だけが使われたらいいと思います。翻訳チームが逆に必要になりますね。そして、経営陣という名の、お金をたくさんもらって、言いたいことだけ言って、どうすれば責任を取らなくてもいいかだけはよく知っているおじさんたちには、たんまり退職金を受け取って、日本の田舎か、タイかマレーシアにでも移住してもらって、そこで楽しく過ごしてもらいたい。是非そこで、資産や貯金を思う存分使って、経済活動に貢献してもらいたい。あんまり沢山貯金したまま亡くなって、遺産相続の税金で国に献上なんてもったいない。

あと、アジアが近くなってくる要因として、日本は若い人が少ないから、働いてくれる人を日本に来てもらおうなんていう動きがある。移民政策だ。

うまくいけばいいけど、途上国の人が、安くて素晴らしい働きをしに来てくれるというのは、少し幻想なんじゃないかと思う。

途上国の人たちは、ものすごくお金を稼ぐことに関して一生懸命だ。ほんの少しでも儲けるためにあらゆる努力をする。だから、自分たちだけが安くこき使われるということに対して、すごく敏感になる。「本当は私たちはこれぐらいもらえるはずだ」ってすぐ言い出すだろうし、「これしかもらっていないんだから、これしかしない」って絶対態度に出してくる。これは相手の立場になればごく当たり前のことだ。

日本人は、「うちらは金持ちだから、アジアの人たちをうまく使って安く働いてもらえればいいかな」なんて思っている人が少なくないと思う。そんな認識だと、いつの間にかとんでもなく世間離れした人になってしまう恐れがある。

違うんです。日本は安く使われる側に入りつつもあるんです。

それをチャンスととらえるか、「そんなバカな」と世の中を見ようとしないでいるか、それは人それぞれの問題だと思います。

そういうことに目が向けられるように、書くべきことを書いたホリエモン、この先もこの人は一定の役割を果たしていくんだろうなと思いました。良くも悪くも。

明治維新とまでは行かないけど、変化の時に日本はいる。