耳に流れる音楽,目を楽しませる文章

世の中には無限に音楽があって,無限に文章がある。いつもいつも新しく作り出されているし,これまでの演奏や文章は楽しまれ続けている。

なぜだか大好きになった音楽があって,なぜだか読んでて楽しい文章がある。そこにあんまり理屈はない。けれども聞きたくもない音楽や,読みたくもない文章も明確に存在していて,その真反対にぐっと心を惹きつけるMUSIC&TEXTがある。

気に入る理由にひとつ考えられることとして,作り手(発信側)の性格とか,これまでのその人の経験やひととなりがきっと好きなんだろう,気が合うかもなっていうことがある。単純に“才能がある”ってことで片づけられないのは間違いない。

マンガで例えるけど,僕は中学生の頃,なかいま強の「わたるがぴゅん!」とか西森博之の「今日から俺は!!」では死ぬほど笑ったけど,「稲中」では全然笑えなかった。そして,面白いマンガが同じ人たちとは気が合うことが多かったけど,そうではない人たちとはやっぱり気が合うとはいえないことが多かった。

好きな音楽を絡めて書くのは難しいけど(気分によって変わるから),例えば,小沢健二とか布袋寅泰とか奥田民生とか坂本龍一とか,昔から好きな音楽があって,それはいまだに変わらない。それはやっぱり,その時の楽曲がただ好きっていうことだけじゃなくて,その人たちの持っている性格やパーソナリティの一部がすごくお気に入りであって,そこが変わらない限り好きなんだろうなという感覚なのです。(もっと踏み込んでしまうとB型の血の匂いという話もありますが,それはここでは省略します)

えっと,まずこの投稿で書きたかったことは,音楽とか文章とか,もちろんそれ以外のすべての表現に関して言えることだけれど,そういった発信されたものが好きになるというのは,それを発信している「人」が好きである可能性がとても高いということです。

そんなのあたりまえじゃないかと言われればそれまでなのですが,ここからもう一歩先がこのエッセイの本論です。(序論が長くてすみません)

自分のことをあまり好ましく思わない人と,自分のことを割と気に入ってくれる人がいる,これは誰に当てはめても真実です。だから,僕が何かを発信すると,好ましく思わない人と,けっこう楽しんでくれる人がいる,という結果が出ることは簡単にわかります。

これが言いたいことの概要です。つまり僕がこうやって文章を紡いでいると,けっこう楽しんでくれる人が少しはいるはずだということです。そして文章は残しておくことができるから,後から誰かが読み直して楽しんだりもできます。

他の人を楽しませる。これは,僕にとって一つの生きがいです。奇跡的に僕には命があって,それは難病をくぐりぬけたとかではなくて生まれてくることができたという意味ですが,この貴重な命を僕はいかようにでも使うことができます。そして数十年生きて学んできた経験として得たものは,他の人に何かを与えることができる時に,僕は幸福感とか充実感といったものを味わうことができる。これに替えられるものはない,ということなのです。

誰かを楽しませることができるし,それは僕の充実感になる。これがモノ書きへと僕を動かす動機の中心です。

そして,誰かを楽しませるという観点で大切にしたいのは,先日書いた,二つのことを同時に考えるという方向性なのです。

みんなが知っていることをただ書いただけでは,どう考えても人を楽しませることはできません。それを突破するカギは,二つ以上のことを組み合わせた自分なりの化学反応のような思考だと思ったわけです。

組み合わせる単語の選択,これは肝心な部分です。僕が知っていて,普通の人にはあまりよく知られていない単語を選ぶことはいいですよね(だって,誰でも知っていることは面白くならないから)。あとは,意外性のある組み合わせを中心にしていきます。意外ではない組み合わせになったとしたら,(「空と海」とか),そうなっているときは脳が回ってなくて大したことのない文章になるか,中身で挽回しようとしているかのどちらかです。そして,見つけた単語を組み合わせた後に,脳の中でぶつかって絡まった反応を,楽しく読めるような表現に変換していくことに挑戦しようとしている,これが僕のやりたいことなのです。

どうしてその二つの単語が出てきたのか連想した理由を述べてみる,というのがひとつのやり方です。それら一つ一つの単語は,誰にでも見つけることができるものです。しかし,それらを関連させた理由,どうしてそれが一緒に出てきたのか,それは,僕の脳みそのシナプスにあったものなのです。これが誰かの価値になるかもしれません。ゆえに,多くの人が思いつきそうな連想ではなくて,僕だからこその連想が出せるのが理想です。そうなればなるほどこのブログは面白くなっていくことでしょう。

とてもハードルが上がりそうなことを書いていますが,実際にふたを開けてみたら,別に大したことのない文章で盛り下がる可能性も大いにあります。けれども,結構うまくいくかもしれない,そんな気もしています。人生を楽しくするカギは楽観的であることで,人生を壊さないカギは悲観的であることです。このブログでやっていることがいろんなところで真似されて,世の中が面白くなることに貢献するかもしれない,そんなめでたい予測だってできるのです。

このブログは,ひとつに,僕の脳の中を探検する冒険ともいえます。自分でも新たな発見が続く気がしているのです。いくつかのエッセイを書いてみて,それなりの手ごたえがもうあります。マインドマップというメモ書きも併用しています。アナログの大切さはまた別途書くつもりです。そうやって脳みそに入っている情報を表現化していく試みを続けます。続けた結果として新たな物事に出会って,さらに発想や連想を広げていくゲームのようなものといえば伝わるでしょうか。

イメージとしてはRPGなのです。ドラクエIIIで言えば,今はようやくパーティを組んで,これからカンダタ討伐へのスタートをするような気持ちです。タイミングよく今は春で,新しいことを始めるにはなかなか良い季節です(こういうのが当たり前のつまらない表現というわけです)。最終ボスは決まっていなくて,どちらかといいますと新しいマップや新しい敵がどんどん追加されていく終わらないネットワークRPGのようなイメージです。ネットワークRPGなんてやったことないんですが。

もしも,僕のとある思考が誰かの脳を刺激して,そこから新しいことが始まっていったらとても嬉しいな,とも思います。人から踏み台にされるような考えを生み出せたら,ひとつ成し遂げたと言っていいのではないでしょうか。それが小中学生とかだったらとっても嬉しいですね。そして,僕のこのモノ書きRPGが進んでいくのを楽しんでくれる人たちと人生のごく一部を共有しながら生きていけたら幸いです。好きな音楽を時々流すみたいにね。

こんなことができる時代に生きているって,僕らがはじめてのことなんだろうな。

 

ミナミヌマエビとウィローモス

水槽を部屋に入れるのなんて,全然考えていませんでした。置く場所もないし,ニオイがありそうだし,世話を細やかに続ける自信もありませんでした。

しかし,部屋にグリーンを入れたいという気持ちが数年前からだんだんと大きくなってきました。植物のある生活を自分も楽しみたいと思えるようになったんですね。人って変わっていくものです。

どんなグリーンを仕入れるのか少しずつイメージを膨らませていた中で,知り合いの家にある水槽の水草がキラキラしているのが一番印象に残りました。水中の植物に照明を当てると,とても綺麗です。世話も大変そうだったけれど。

色々と考えて,20cmサイズの水槽を導入することにしました。同時に,ビーシュリンプというエビを入れました。

最初はとても良い変化がわが家に訪れました。「最初は」と書いたのは,初心者には20cmサイズもビーシュリンプもとても難しかったということを意味しています。

エサをあげすぎればどんどん水中に栄養が溶け,コケが増えてガラス面の美しさは失われていきます。水質が悪化するとエビは敏感に感じ取り,お亡くなりになっていきます。60cmサイズの水槽だったら,もう少し水質の変化や温度変化がゆっくりで,初心者の僕でもすぐ慣れたかもしれませんが,そんなことはわからなかったのです。それで,最初は期待をもって受け入れられた水槽も,数か月後には輝きを失い,もう少しで後悔の域まで達するところでした。そのままだったら,こんなブログの投稿にはならなかったことでしょう。

こう書いていられるのは,去年の夏に転機を作ることができたからなのです。我が部屋をプチリフォームして,改めて20cm水槽の立ち上げをしました。それまで水槽を置いていた位置(玄関)が場所として悪かったかもしれない,水質への悪影響があったかもしれない,という懸念を払しょくして再スタートできたのです。タイマーもセットして,ブルーライトも入れました。

そうやって改めて,きれいな水草がグリーンに輝く水槽を楽しめるようになりました。芝生のようにグリーンのカーペットとなるのは,ウィローモスです。詳しいことは専門の人にお任せしますが,ウィローモスには日本産と南米産が有名なようです。僕がお店で見る限りでは,日本産は四方八方に緑が伸びていくイメージで,南米産はシダ植物のように決まった形に伸びていくようなイメージでした。僕には断然南米産の形が美しく見えたので,迷いなく南米産を買いました。

そこには綺麗なグリーンのカーペット,すっと伸びた水草,淡い緑色でシューっと進むミナミヌマエビ。僕の大好きな部屋の一角です。

読み物とリズムと音楽

読みやすい文章と,とても読みにくいと感じる文章があります。

挙げればキリがないほど沢山の要素があるわけですが,その中でかなり重要なのは,リズムなのだと僕は思っています。どんなリズムで文章を書いているか,それが読み手にはっきりと伝わるということです。

このことをきちんと意識するようになったのは,村上春樹の雑文集を読んでいるときでした。


音楽にせよ小説にせよ、いちばん基礎にあるものはリズムだ。自然で心地よい、そして確実なリズムがそこになければ、人は文章を読み進んではくれないだろう。

このように村上さんは述べています。

モノ書きには,音感が大切だということをしみじみ感じます。好きな音楽をたくさん聞いて,自分のしっくりくるリズムを持っていて,それが意識されていると,文章にテンポが生まれてくる。日本語として正しいか,とか,意味の説明があってるか,とか,内容に深さがあるか,とか,そういうのは後からなんですよね。

聞いていて気持ちいい,っていうのと,読んでいて気持ちいい,っていうのは何だか似ている。イヤフォンを通して耳から感じ取るのと,読み物を通して目から感じ取る違いのようなもの。

そして,文章というリズムの上に,全体の流れという音楽性を取り込むことができたなら。何気ない日常が文章で気持ちよく伝わる,そんなことができたら。

僕はモノ書きでそんなことも目指してみたいんです。