平野啓一郎の「分人」説についてこれまで何度かその単語を目にして来たけれど、いよいよ読みたくなってきました。読む前にその単語のおかげで自分が考えていることを残しておきます。
僕らは「偽善的」ということを学んできました。簡単に言うと「嘘つき」ということです。口では善人ぶって、実は裏で悪いことをすることです。
頭は悪いと考えていることでも、それをしたいと思うことがある。
頭はやるべきだと考えていることでも、それをしたいは全然思わないことがある。
理性や思考に、感情がついていかないような状態です。
「象使い」と「象」と言ったりしますね。感情が動き始めると止まらなくなる。
理性は右へ行けと言い続けているが、感情は左へ向かっていく。
本当の自分はどっちなのだろうか?
なぜ自己矛盾が起きたまま生きていくのだろうか?
そういうモヤモヤに、この「分人」という言葉は光を与えるように思うのです。
右へ行くべきだと考えている自分も本当の自分、左に行っちゃいたいと感じる自分も本当の自分。自分の中には何人もの人がいるのです。言ってみればサイコパス的なことかもしれません。自分の中にいる何人もの自分が、それぞれ独立しているのか、互いに協力し合っているのかということです。
24人のビリーミリガン。内容はもう思い出せないけど、本のタイトルだけは浮かんできました。
瞬間瞬間で、脳の中の違う部分が働き始め、違う自分が出てくる。
上司と仕事をしている時の自分、お客さんと話をしている時の自分、作業を依頼している時の自分、ベッドでぼけーっとスマホゲームをしている時の自分、ストレスが溜まって一人で夕飯を外食しにいく時の自分、友人Aと一緒にいる時の自分、友人Bと一緒に入る時の自分、母と会話する時の自分。
それらはみんな違う自分で、どれも本当の自分。それぞれが違うことを言っていることもあるし、感じ方も違ったりする。そして、何を言うか、何をするかも違う。
できるなら複数の自分その分人が協力し合っているのが良いのであろう。しかし、うまく行かないことも事実。
そんなことを思うのです。
Kindleで買って読んでみようと思います。読後に感想がまた変わってくるだろうか。