MVCと作業の分担

MVCというのは,Webの開発をしていると出会うことになる仕組みの一つです。Mはモデル,Vはビュー,Cはコントローラーです。そしてここで言うモデルとは,美しい雑誌のモデルさん,ではなくて,中心部(外から見えない内部)の処理のことだとイメージしていただければと思います。つまりモデルと書いていても,日本語の一般的なモデルではないということです。

V(ビュー)は,表示,人間から見える部分を担当する部分であり,C(コントローラー)はそれら見える部分を処理するビューと内部処理であるモデルとの連携を担当しながら,人間からの操作を受け付ける部分も担当します。

これらを,BOSSの自動販売機で例えてみましょう。(サントリー)

ビュー(V)「こんなコーヒーとジュース売ってます,いくらです,ここがお金の投入口です。いかがっすかー。」

コントローラー(C)「うぉっ,お金入ってきた。100円だ。100円で買えるコーヒーあったよね,あ,あれとあれだ,ビュー,買えるコーヒーだけランプ付けて!」

ビュー(V)「了解っす。100円で買えるコーヒーだけランプ付けました~」

コントローラー(C)「OK。うわっ,さらに100円来たっ。合計200円か,これでペットボトルも含めて全部買えるようになったわけか。ビュー,全部ランプ付けて!…ちょっと待てよ,お茶だけは売り切れだった,それ以外のランプ付けて!」

ビュー(V)「了解です~。お茶以外全部ランプ付けました~」

コントローラー(C)「ボタン押されたー。なんだよ,200円入れたのに100円のカフェオレかい!ビュー,ランプ消して。モデルさん,カフェオレ一つお願いします」

モデル(M)「了解。カフェオレ在庫から取り出し口に送り込みます。」

ビュー(V)「ランプ消しました。」

コントローラー(C)「OK。あとは釣りだな。モデルさん,100円のお釣りお願いします」

モデル(M)「了解。お客が入れた200円のうち,100円は受け取って金庫に入金し,100円はつり銭口に送り込みます」

コントローラー(C)「はいOK。みなさんお疲れ様でしたー。ビューはCMモードでよろしく。今日はもう当分客来ないでしょ」

という感じです。三者の分担がきちんと分かれているから,お互いを尊重できるし,相手の領域に踏み込まないし,仕事はより確実になったりします。(BOSSの自販機である必要が全然ないですねこれ)

実際のWeb開発の現場でのMVCは,「イチイチフォルダが分かれてて面倒だな」とか,「ビューの処理だけ作ってて」とか,賛否両論色々です。けれども,複数人で作業する場合は重宝することが多いと思います。自己流にできる部分が少ないから,後から何が起こっているのか読みやすくなります。

仕事ってきちんと分担できると,お互いの人生の素晴らしい支えになりますよね。デキる人がみんなやっちゃう現場って,何だか殺伐としていて辛い。周りは見下されて全然気分よくならないし,本人はストレスどんどん溜まるしね。

周りの人が楽しく仕事できるように仕事を進められるようになったら,その人はずっと仕事が楽しくなります。何だか変な日本語になっちゃったけど,本当にそうなんです。それは,お客様だけではなくて同僚とか上司とか,みんなのニーズを汲み取ってそれに少しずつ応えることができるということです。どんな人でも仕事中に欲があって,認められたいとか,利益を上げたいとか,ちょっとだらだらしたいとか,そういう基本的な部分の欲を感じとって応えられるようになると,本当仕事って楽しくなります。ま,僕も全然うまくいかないことの方が多いんですけどね。けど目指しているのはそういうことです。

作業の分担って考える角度が色々とあって,一人にばっかりやらせたら悪いからとか,適材適所だとかありますけど,その人にきちんとポジションを与えてそれを他の人が奪わないようにする,っていう角度は結構大切だと考えてます。MVCはお互いに不可侵条約があって,そういうのはとても気持ちよく感じたりしてます。

モデル,ビュー,コントローラー。言い換えると,内部処理,表示処理,それらを人間を結びつける司令塔。開発部と,営業部と,マネージャー達って感じです。みんな敬意と楽しさを持ちつつ仕事できたらいいのにね。だって人生のうち,仕事している時間ってめちゃめちゃ長いんだもの。本当,人生の大部分。楽しくなきゃ損だよなぁ。

NEX-C3とコンデジ(ブログデザインのTwenty Eleven 1.3)

一日ひとつはエッセイを書く,ということを目標にできればと思ってます。あんまり頑張らなくても趣味だから結構すいすい書けるわけなんですが,一度放置するとずっとほったらかしになったりもするので,そういうことがないように脳の中身の冒険を続けていきたいと思います。

さて,今回のエッセイはデジカメの話です。まず断っておきますが,僕はデジカメについてあまり詳しい方ではありません。オマケに写真を撮るのが得意なわけでもありません。得意でないというのは,僕の身近には写真を上手に撮る人が何人かいて,その人達と比べるととても見劣りするという意味です。それでもデジカメについて書きます。このことは早いうちに一回書いておきたかったからです。

まず,今回のブログの各エッセイの右上には,一つの写真を配置しています。クリックすると大きな写真が参照できるようなリンクにしてあります。これらの写真は基本的に,僕が自分で撮影したものです。中身がわかりやすいように,おおまかなタイトルを写真にも付けてあります。クリックするとタイトル付で表示されると思います。

僕の好きな村上春樹のエッセイには,大抵味わいのあるイラストが1エッセイに一つ付いています。これが何とも読んでいていい感じなんです。白い紙に文章があって,イラストが一つあって,ページ数がはじっこにある,このレイアウトがすごくいいんです。それに近づきたいんですね。

ゆえに僕のブログは,できるだけシンプルなレイアウトにしてあります。前にも書いたけれども,広告がいちいち表示されるなんてどうしても嫌。そして,なんとかブログで書いています,というブログサービス名が表示されるのも嫌なんです。(はてなブログです,とか,ライブドアブログです,とかアメブロです,とかそういうの)ゆえに僕はレンタルサーバを借りて,Wordpressをインストールして,デザインを自分で調整して使っています。ちなみに選んだWordpressのテーマ(デザインのベース)は,Twenty Eleven 1.3というものです。初期設定のままでは余白が大きすぎて今ひとつだったので,CSS(スタイルシートと呼ばれるデザインの設定ファイル)をいじって今のレイアウトに調整してあります。ちなみにCSSの調整は意外に時間がかかりました。あっさり直せるかと思ったら,どうも変な上書きをしていて,余白を調整するのにどこをいじったらいいのか1時間ぐらい悩みました。でもお陰で,かなり気に入ったレイアウトにできて満足しています。

さて,ブログに貼っている写真のことでした。この写真は「NEX-C3」というSONYのミラーレス一眼レフカメラで撮影しています。このカメラを去年の暮れ,結構安く購入しました。安いという感覚は本当に人それぞれだと思うので,僕が安いと思っても,それじゃまだ高いって思う人もいるだろうし,このぐらいが普通だろうって思う人もいることでしょう。

去年の暮れ,何だか新しいコンデジがとても欲しくなったんですね。コンデジというのはコンパクトデジタルカメラのことで,要は普通の人が買う普通のデジカメのことです。じゃぁデジカメでいいじゃないかっていうことになるんですけど,一眼レフカメラとか,ミラーレス一眼レフとかと並べる時に,とても「コンパクト」だということを見分けるために「コンパクトデジカメ」とよく呼ばれたせいで,カメラ好きな人は,普通のカメラを「コンデジ」と呼ぶのです。

なぜ欲しくなったかというと,世の中のブログを書く人たちの写真の質が,去年は本当に上がったなぁと感じたからです。手頃に買えるカメラの画質が上がっているし,みんなセンスの良い写真を沢山見ているから,構図も上手な人が増えたし,画質がよいカメラの値段も下がってきている現状をみて,そろそろ僕も新しいのに買い換えたいと,そう思うようになっていました。

そうやって辿りついたのがCANONのPowerShot S95でした。コンデジとして,もう完成していたんですね。S100が発売されることになって値下がりも期待できました。これで久しぶりに遊ぼうかなとそう思って,電気屋さんをフラフラとしていたその時です。

ミラーレス一眼のコーナーで,何の気なしにSONYのミラーレスのシャッターを押したんですね。

「カシャッ!」という気持ちのよいサウンドと,写真を撮ったという手応え。

僕は「えっ!」と固まりました。

なんだかすごく気持ちが良かったのです。これが写真を撮るという感触なのかと。

それからは,コンデジとミラーレス一眼の違いやら価格帯の違いやら色々調べて回って,NEX-C3に決定して購入したというわけです。

気が向くと時々コイツで写真を撮っています。ある時,「そうだブログでお披露目できると,撮った写真も無駄にならなくていいな」と,活用することにしました。ちょっと写真があると文章が華やかに見えるんですよね。写真を撮るモチベーションも上がるし一石二鳥です。写真にタグを付けてアップロードすることになるから,写真のタイトルに対する検索でブログを訪問してくれる人とかもいるんですよね。

デジカメを選んでいるとき,PanasonicのLUMIXもかなりよさそうでした。けれども,僕がかなり楽しみに読んでいるブログを書いている方がNEX-C5を使用していることが判明して,SONYへと背中を押してもらいました。この機種にしてすごくよかった。大満足です。

ちなみに写真だけのブログって,僕としてはちょっと面白味に欠けるのでやらないと思います。見るのって一瞬でもできるからね。けど,文章だけというのも面白くないですよね。写真と文章を両方出しておくぐらいがちょうどいい。毎回違いも出やすいしね。うんうん。

どうぞ今後も,エッセイの右上の写真をどうぞお楽しみください。今日,千鳥ヶ淵の桜を撮ってきたから,この写真もそのうち新しいエッセイで使うことにしよう。そうしよう。エッセイを書く分の写真を今後は準備しておかなくちゃなぁ。(嬉しい悲鳴です)

みをつくし料理帖とバックトゥザフューチャー

このエッセイは,高田郁(たかだ かおる)とロバートゼメキスとボブ・ゲイルについて書くというわけです。物語の脚本の話です。好きな小説と映画の話です。

僕は映画も小説も物語は基本的に好きなのですが,特に脚本に惹かれている時は本当に幸せを感じます。ですので,淡々と美しい,とか,どんどんと激しい,とか,驚愕のCG,とか悪くないんですが,そういう場合特に引き込まれることもなく「ああそうなんだ」で終わってしまいます。

僕の好む脚本を説明しようとしたら,縦軸と横軸がしっかりかみ合った脚本,と話すことが多いです。縦軸は,その物語独特の世界のことです。みをつくし料理帖なら料理というテーマ,バックトゥザフューチャーならタイムトラベルというテーマのことです。そして横軸は,人間関係です。

料理の話なら,引き込まれる料理情報がある程度しっかりと含まれていないと面白さは半減します。誰でも知ってるようなことではなくて,なおかつ,あまりにも専門的すぎて難しくならないような事実がそれなりに組み込まれていれば,縦軸は安定します。そして肝心な横軸は人間関係です。それぞれの登場人物に性格や背景がしっかりと設定してあって,矛盾なく人が生きていれば,横軸も成功します。どんな人物を出すのかは問題にはなりません。それぞれがリアリティのある人間味を出していれば,どんな展開になっても人の共感を呼ぶことはできるのです。

バックトゥザフューチャー,僕はこの映画が大好きです。主人公のマーティを取り巻く人たちとの人間関係が本当によくできています。そして,タイムトラベルというテーマの扱い方も実に見事です。

バックトゥザフューチャーって,第一作は,マーティと家族の話だと思うんですね。特に,父への尊敬っていう角度が好きでしてね。最後にかっこいいお父さんが出てくるわけですけど,これって本当誰でも最高に嬉しいことなんじゃないかな。別にお金持ちであってくれとかそういうことじゃなくて,尊敬できることのうれしさ,これを最高に素晴らしく表現した脚本だなぁと,そう思います。

第二作と第三作は続けて見ないと意味があまりないと思うんですが(そもそも同時に製作されていて,長いゆえに分けただけですから),この2&3は,家族の話ではなく,ドクとの友情っていう角度に変わっていくんですよね。この年齢の離れた二人が惹きあって,男同士の友情を作っていく,これは本当に泣けるんですね。お互いに家族を作っていくという人生の変化と向き合いながら,相手の生き方を尊重しながらも深い絆で結ばれていくというこの胸を打つ関係を描いてくれたお二人,ロバートゼメキスとボブ・ゲイルに心からの拍手を送りたいというわけなのです。あきらめないで映画を作ろうと頑張り続けてくれて本当によかった。(そしてバックトゥザフューチャーのトリロジーBlu-ray BOXを貸してくれた友人にも感謝です。←こんなに好きなら買えばいいのにね)

さてさて,もう一方のみをつくし料理帖ですが,これはとある人のブログを読んでいたらやたら面白いと書いていまして,どれどれとネットの評判を読んでいたら気になるようになってしまいました。特に気になった書き込みは,「これはガラスの仮面のマヤちゃんの料理版だ」と書いていた人がいまして,「そりゃ気になるよ」と思うようになった次第なのです。ガラスの仮面,面白いよね。はまりすぎて日常を破壊するから時間に余裕がある時にまとめ読みをお勧めします。男性でもかなりの確率でのめり込むことになると思います。吹き出しの文章量が多いから,それは流し読みでね。

この小説作者の高田郁さんは,調べてみたら少女マンガの原作・脚本をもともと作っていた人とのことで,それはとても納得でした。小説の内容はベタな人情ものなんだけど,江戸時代という設定も活かして,本当に引き込まれる料理人の成長物語を描いておられます。これ読んでいると,お腹は空くわ,料理はしたくなるわ,泣けるわと,とても影響力が大きいです。現在進行形で発行が続いているというのも嬉しい話です。種市が[はふはふ]いいながら,頬をゆるめて目を見開いて「うまいよぅ」って言ってるのが最近目に浮かびます。見たこともないのにね。

上手な脚本を作るってことから連想するのは,以前ネットで読んだ,「手塚治虫のプロットの練習」というものです。その人が今何をする,というのを決めたとして,それは,過去にこうだったから,ゆえに,その過去はこうだった,だと,この過去はこうだったかもしれない,とどんどんどんどん過去をたどっていって,可能性がある分岐もさせて,その人の過去を定めていくっていうのがありました。なるほどなぁ,と思いました。登場人物の過去が決まってくると,これからどう動かせばいいのか決まってくるというわけです。大まかな脚本の要旨を周到に準備したうえで,少しずつ物語に落とし込んでいくわけですね。

きっと,みをつくし料理帖やバックトゥザフューチャーって,そうやって脚本をしっかり作ったからこそ,引き込む力を持っているんだろうなって思います。そこにかけた時間が短かったり浅いと,それ相応の脚本が出来上がるんでしょうね。

そうだ,みをつくし料理帖の次を買わなくちゃ。昨日ようやく3巻が終わったところです。この小説は,文庫描き下ろしってのもいいよね。ハードカバーだと,重いわ高いわで,どれだけ評判が良くても買う気が起こらないもの。勝間和代氏はiPadで読むのがやたら好きみたいだけど,iPadはまだまだ文庫より重い。あと,ベッドでごろごろと寝る前に読書をするのにiPadでバックライトって目が冴えそう。紙の良さってあるよねぇ。電子ペーパーみたいな薄くて軽いモノにならないとダメだと思うんですが。そこにPDFを放り込めて気持ちのよいビューアーが出てくれば売れるでしょうね。そうしたらみんな家にScanSnap買って紙はみんなPDFにして捨てられるようになるかもね。早い所どこかがやってくれないかなぁ。googleとかどうだろう。またappleから出て売れまくるのはもうやめて欲しいなぁ。jobsももういないわけだし。

というわけで,hrdtksはみをつくし料理帖の活躍を応援しています。←1円も払ってないけどスポンサーみたいに書いてみた(文庫はちゃんと新品を本屋さんで購入している)