珠玉のエッセイ「遠い太鼓」と「37歳という年齢」

私の人生で何度目かの「遠い太鼓」をぱらぱらとめくる機会がやってきました。こんなこと書いたら怒られちゃうと思いますが,私は村上春樹さんの小説はとても苦手です。その世界観とか扱っている人間関係とか,どうも入り込めないんです。

けれども村上さんのエッセイは,とても好きです。その文体と表現力に影響を沢山受けています。最初に出会ったのは「シドニー」というオリンピックの時のエッセイで,そこから「遠い太鼓」にたどり着きました。村上さんが日本を脱出して,「ノルウェイの森」を書いたりしていた海外生活の記録です。

最初の出だしに,「37歳からの3年間の記録だ」ということが書かれています。これを20代の頃から私は何回か読んできたわけですが,今回は随分と読む印象が違います。なぜなら,自分が37歳を過ぎているからです。ずっと先輩だと思っていた書き手が,ついに同世代になった気分なのです。

その人が何歳の時にその本を書いたのか。そして自分が何歳の時にその本を読んでいるのか。それって意外と影響があります。先輩から教えてもらおうと思っているのか,同世代と共感するのか,後輩の文章を読んでいるのか,文章に対する向き合い方がやはり多少変わってきます。これもまた日本人的な文化なのかもしれません。

私はこの「遠い太鼓」を何回も読んで,文章という形で表現することの面白みを知ることになりました。自分が楽しんでいること,嫌だと思っていること,やりたいこと,過ぎてきたこと,言葉にしてアウトプットすることによって自分の脳が整理され気持ちがよくなる,そういうことを教えてもらってきました。まさに私のブログはこの本から教わったことを自分なりに消化した結果として存在しています。

文章を書く気持ちとして村上さんは「基本的には,これらの文章は親しい人々に手紙を書き送るような気持ちで書かれている」と述べています。きっとこれもまた,私の気持ちにちょうどよくフィットしたのだと思いますし,そういう書き方をしたいと思わさせられたのです。

今回は8インチのタブレットにいれたPDFで読んでいます。SONY experia Z3 tablet compactです。文庫サイズの本をこのタブレットに入れて読むというのは新しい読書体験です。

元の文庫サイズよりも一回り大きくなるので,読みやすいです。バックライトなので,本を読むための明るさを確保する必要がありません。重さも対して変わりません。ざらっとした紙の感触だけはなくなってしまうけど,これはとても悪くない。

少し前だったら,結局重さという問題が解決できていませんでした。文庫本よりも重たいと,読んでて腕が疲れるのでやめたくなります。「軽さ」という最後の武器を持った時に,ついにタブレットでの読書が我々の前にやってきたと思います。

PDFはsidebooks(サイドブックス)というアプリで読んでいます。色々と試しましたが読書にはこれが今のベストチョイスかと思います。めくりエフェクト,左開き右開きの選択,分かりやすくて高速なページ移動。悪くありません。PDFの自炊に関しては省略いたします。

それにしても,「遠い太鼓」の文章は何度読んでも飽きることがない。いやもちろん読みたくなる部分や読み飛ばしたくなる部分はあるけど,これは小説ではなくエッセイだからいつでもそういう読み方をします。その時の感情や状況で読みたい部分は変わってくる。その時の気持ちになんだか村上さんの文章は寄り添ってくる。この本に出会ったことに私は感謝を覚えるのです。

この本の中ではなかったと思いますが,村上さんの文章についての村上さん自身の解説の中に,文章の「リズム」について書かれていたことがあったと思います。私はそれをなるほどなと感じました。

文章に流れるリズム,これは本当に大切です。村上さんも大量のレコードを持っていて,クラシックやジャズやロックを聞きまくっています。演奏をするかどうかは知らないけど,大量に聞いてきた音楽,その心地良いリズムがあって,文章を紡ぎだす時に大きな影響を与えている,その感じはとってもよくわかるのです。

音楽と文章,違う分野だけど,深くつながっている。自分にとって気分の良いリズムがあって,しっくりこないリズムがある。

37歳の時の村上さんのリズム感と,今の私のリズム感,なるほどしっくりきます。モノ書きの世界。ただの落書きのような文章があれば,多くの人をうならせる文章がある。

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書評-君は,こんなワクワクする世界を見ずに死ねるか!?

「君は,こんなワクワクする世界を見ずに死ねるか!?」という本を読みました。

この本を書いた田村耕太郎さんは,鳥取出身で,参議院議員の経験を持っている方です。本の最初から最後まで,日本の兄貴として日本の若者を励ましてやろうという思いが前面にあふれています。つまり書き方が言い切り口調で,「俺は知っているからお前たちに教えてやる」という感じです。一番最初の書き出しから「これからの人生に悩んでいる君たち。悩むには知識が必要だ。」という具合で,この段階で拒否反応が出てしまう場合,最後まで読むのは難しいかと思います。けれどもこの本には田村さんのこれまでの経験と感じたことがとても正直に書かれていて,有益な情報もあると感じました。

例えば,「学生が海外に出て学ぶとしたら,どの国を狙うのが良いか」という視点で書かれた部分があります。仕事としてアジアを狙うなら結局英語だから,まずはアメリカに行くのが良い,と田村さんは述べます。さらに,予算の都合があればシンガポールが良い。さらにインドに賭けてみるのはどうか,と続きます。どれも田村さんの正直な意見が述べられていて,一つの考え方として知ることができます。

でもこの本は,英語に偏りすぎている印象を受けます。確かに英語は役に立つし,これからの世界も変わらずイギリスとアメリカが進めていく限り,英語中心の世の中なのでしょう。けれども,海外で働く,他の国の人たちと知り合うそんな局面では,タイならタイ語,中国なら中国語,ベトナムならベトナム語,現地の言葉に取り組むことが自分だけの武器,自分だけの方向性を持つことができることも忘れたくありません。本の中で田村さんも述べていますが,日本という国がどれだけ世界の中で重要な位置を占めているかということを私たちは意識する必要があります。それは一度日本を離れることによってはっきりと理解できるようになるという点において,私も田村さんと全く同意見です。しかし,日本語と英語を橋渡しするだけではなくて,日本語とタイ語,日本語と中国語,日本語とベトナム語,そういった現地語との橋渡しをするということも,これからの日本人が楽しんで仕事できる分野だと思っているので,その点の言及が少なったのが残念でした。例えば,日本人が中国語を話せるようになることと,中国人が日本語を話せるようになることにはどんな違いがあるのかなど書いてくれたら面白かっただろうにと思います。日本語を話せる海外人材が増えていることについての言及はありましたが,「だから,日本人が日本語を話せるだけでは危ないのだ」という一方的な書き方だったのがちょっと気になりました。

それで,この本のタイトルは,若者に海外を見に行くよう勧める本のように感じますが,実際の所は「20~30歳の皆さんが英語を自分のものにして海外で勝負するにはどうすればよいか。そして,海外経験を経て日本を盛り上げてくれ!」といった内容です。英語の勉強法などもかなり書かれていました。

この本らしさが出ている一文を紹介します。これは,加藤嘉一さんへのインタビューなので田村さん自身の言葉ではありませんが,こういった内容を収録することに決めたのは田村さんでしょうから,何らか感じられると思います。

「(中国留学について)留学の参考になる中国のサイトや,完璧に信頼のおける情報源はありません。自分で実際にやってみる以上に,本当に信頼できる情報はないのです。私の考えでは,サイトや窓口に頼った瞬間,中国留学の失敗率は50%上がると思います。行ってみようかなという好奇心が沸いてきたら,まずは中国の地図を見て,この辺がいいかなという目安をつける。あとは速攻で格安航空券を購入して飛ぶだけ。それが最も効果的で,たしかな留学方法でしょう。着陸した先で見えたもの,出会った人がすべて学ぶ糧になります。」

なるほど,と思わされるような,でも何だかそのまま受け取るわけにはいかないな,というような,励まされながらだまされているような気分になります。そんな箇所が沢山ある本です。それにしても「地図を見てこの辺がいいかなという目安をつける」ことができる人っていったいどんな人なのでしょう。

また,田村さんお勧めとなっている本も紹介しておきます。
「種の起源」チャールズ・ダーウィン
「人生の短さについて」ルキウス・アンナエウス・セネカ
「君主論」ニッコロ・マキャベリ
「国富論」アダム・スミス

2012年6月の本ですから,少々古くなっているものの,海外に目を向け始めた若者はもちろん,海外での仕事が気になる30代も,実際に海外で活動し始めた日本人にとっても,「わかるわかる」という面白さ満載です。

田村さんのちょっと普通ではない生き様を赤裸々にお聞きするのに,1300円ぐらい払っても良いのでは。中古がベストですかね。最後に一体この人は何をした,何を成し遂げている人なのだろうという素朴な疑問が沸けば,この本を読んだ本当の価値がある気がします。

僕らは何も知らずに船に乗る

僕らは全員,とある船に乗る必要があって,必ず乗り込む。もしくは,自分の意志とは関係なくすでに乗り込んでいる。でも,僕らはその船の本当の行先を知らない。どんな経路をたどって,どこに到着するのかを知りたいけれど,知ることができない。いや,一つだけ行先を知っている。死ぬこと。どんなに死にたくなくても,死にたくて死ぬとしても,必ず死ぬにたどり着く。

この世の中に命を得て生まれてきた時に,家族という船に乗っている。家族という船は,だいたい幸福に向かって進んでいることが多い。けれど,親同士の関係が悪くなったり,経済的に壊れてしまったりする。船がバラバラになってしまうこともある。もちろん,仲の良い状態が続き,お金も十分にあって,その航海が素晴らしいものであることもある。

学校という船にも乗る。多くの場合,自分の思い通りの学校に進むことなどできない。というか,乗ろうと思う学校での自分の生活を入学前に十分に知ることなどできない。卒業や退学にあたって,その学校で良かったのかどうかなどわかることなどあまりない。同時期に他の学校にも所属することなど普通できない。

どんな会社でどんな人たちと仕事をするか,働き口という船にも乗る。どの会社に乗り込めばうまく行くのかなんて,はっきり言って全然わからない。わからないのに,いくらかの限られた条件を元に自分で乗り込まなきゃならない。もしくは家族の仕事を手伝ったり,個人事業主となって仕事を始める。働き口という船の進み具合が自分に与える影響はとても大きい。乗り込んでみて,進んでみて,ようやく船がどこに向かっているのか分かってくる。船が進んでいくと,船の中で自分が果たせる役割が少しずつ分かってくる。乗り込む時点ではほとんど分からないことが,乗り進むと分かってくる。変な船に乗ってしまって降りたくなることもあるが,なかなか降りるのは大変だ。別の船に乗りたくもなるが,一度降りて,また別の大きな船に乗り込むのは一苦労だ。そして,やはり次に乗る船もまた,乗り込む前にその船の事を知ることはできないのだ。

結婚のパートナーを選び,自分の家族を持つという船もある。この船には乗ってもいいし,乗らなくてもいい。けれど,この船のことを,とても長い間考えることになる。やっぱりこれも,「どのパートナーと組めばうまく行くのかなんて,組む前にはわからない」。そして,「乗り進んでみて,ようやくどこに向かっているのか分かってくる」し,「変な船に乗ってしまって降りたくなることもある」。

友人を選ぶという船もある。子供を作るかどうかという船もある。どこに住むのかという船もある。

いつもいつも僕らは,乗り込まなきゃならない船のことを何も知らない。いや,乗る前には知ることができないのだ。けど乗らなきゃならない。

何も知らずに船に乗り込むことの繰り返しが人生なんだなと思う。

#長いこと書かずにいましたが,久しぶりに書きたくなってきました。
#2015/1-2015/3前半まで,サーバーのトラブルによりサイトが止まっていました。