僕らは何も知らずに船に乗る

僕らは全員,とある船に乗る必要があって,必ず乗り込む。もしくは,自分の意志とは関係なくすでに乗り込んでいる。でも,僕らはその船の本当の行先を知らない。どんな経路をたどって,どこに到着するのかを知りたいけれど,知ることができない。いや,一つだけ行先を知っている。死ぬこと。どんなに死にたくなくても,死にたくて死ぬとしても,必ず死ぬにたどり着く。

この世の中に命を得て生まれてきた時に,家族という船に乗っている。家族という船は,だいたい幸福に向かって進んでいることが多い。けれど,親同士の関係が悪くなったり,経済的に壊れてしまったりする。船がバラバラになってしまうこともある。もちろん,仲の良い状態が続き,お金も十分にあって,その航海が素晴らしいものであることもある。

学校という船にも乗る。多くの場合,自分の思い通りの学校に進むことなどできない。というか,乗ろうと思う学校での自分の生活を入学前に十分に知ることなどできない。卒業や退学にあたって,その学校で良かったのかどうかなどわかることなどあまりない。同時期に他の学校にも所属することなど普通できない。

どんな会社でどんな人たちと仕事をするか,働き口という船にも乗る。どの会社に乗り込めばうまく行くのかなんて,はっきり言って全然わからない。わからないのに,いくらかの限られた条件を元に自分で乗り込まなきゃならない。もしくは家族の仕事を手伝ったり,個人事業主となって仕事を始める。働き口という船の進み具合が自分に与える影響はとても大きい。乗り込んでみて,進んでみて,ようやく船がどこに向かっているのか分かってくる。船が進んでいくと,船の中で自分が果たせる役割が少しずつ分かってくる。乗り込む時点ではほとんど分からないことが,乗り進むと分かってくる。変な船に乗ってしまって降りたくなることもあるが,なかなか降りるのは大変だ。別の船に乗りたくもなるが,一度降りて,また別の大きな船に乗り込むのは一苦労だ。そして,やはり次に乗る船もまた,乗り込む前にその船の事を知ることはできないのだ。

結婚のパートナーを選び,自分の家族を持つという船もある。この船には乗ってもいいし,乗らなくてもいい。けれど,この船のことを,とても長い間考えることになる。やっぱりこれも,「どのパートナーと組めばうまく行くのかなんて,組む前にはわからない」。そして,「乗り進んでみて,ようやくどこに向かっているのか分かってくる」し,「変な船に乗ってしまって降りたくなることもある」。

友人を選ぶという船もある。子供を作るかどうかという船もある。どこに住むのかという船もある。

いつもいつも僕らは,乗り込まなきゃならない船のことを何も知らない。いや,乗る前には知ることができないのだ。けど乗らなきゃならない。

何も知らずに船に乗り込むことの繰り返しが人生なんだなと思う。

#長いこと書かずにいましたが,久しぶりに書きたくなってきました。
#2015/1-2015/3前半まで,サーバーのトラブルによりサイトが止まっていました。