ドラゴンレーダーは予想以上のモノとして実現した

子供の頃、ドラゴンボールを見てて、ドラゴンレーダーにすごく憧れた記憶があります。世界に散らばったドラゴンボールの場所を示すもの。近くに来たら拡大することで、宝のありかが分かる。こんなものできないだろうなとその頃思いました。

しかし今、僕らは世界のどこにいても、どこに行くにしてもほとんど迷うことはなくなってしまうほどのアイテムを手に入れました。

それは、スマホに入れたgoogle mapかmaps.meです。

本当に、世界のどの場所でも、緯度と経度を入れておくだけで、ピンポイントでたどり着くことができるのです。最短ルートもすぐにわかります。

先日ホーチミンに遊びに行きましたが、行きたいレストランは、maps.meにピンを指しておけば、それだけで絶対にたどり着きます。気を付けなきゃならないのは、スマホのバッテリーがなくならないようにするだけです。

念のため、google mapとmaps.meの違いについて説明しておきます。

それは、「ネットがオフラインでも快適に使えるか」です。

海外旅行時や、wifiしかないタブレットでの外出など、「インターネットにつながっていない時にマップを使いたい」というニーズがあります。それに応えているのがmaps.meです。地図データをネットにつながっているときにダウンロードしておけば、あとはネットがつながってなくても快適に動きます。

もうはっきり言って、今の時代に特定の場所を探すのには、「住所」よりも、「緯度と経度のピン」の方が圧倒的に簡単に分かるのです。

ですので、今後は、どのホームページでも、「その場所を示しているマップアプリ用のピン」を提供するのが一番理にかなっています。

もしも現代で、「ああ道に迷うなあ」という人がいましたら、その人はスマホの地図アプリの使い方を知らない人です。

地図アプリを使うことが当たり前の世代から、「道に迷う」という単語がなくなるんじゃないかと思います。だって、迷いようがないんだもの。

こんなにすごいアプリを手にする時代が来るとは、ドラゴンレーダーを見ているときには考え付かなかったなあ。

アメリカと英語とUSDとビットコイン


ベトナムに行ってきました。ホーチミンに4日の滞在です。様々な収穫がありましたが、そのうちの一つはアメリカの影響力の大きさについて感じたことでした。

戦争博物館に行き、ベトナム戦争の記録について見てきました。

まず当たり前のことを書きますが、英語の必要性がひしひしと迫ってきています。基本的な英語がきちんと読めさえすれば、もっと興味深いだろうことがよく分かりました。有り難いことに一部のブースでは日本語が併記してあってその部分は楽しめました。

考えたことですが、館内にはアメリカがどれだけベトナムに攻撃をして、特に枯葉剤を使用することでどれだけの悪影響を与えたのかということが説明されているわけですが、それがほとんどベトナム語と英語で説明されているということです。いくらかの日本語はありましたが、海外向けの説明は基本的に英語なのです。

これは興味深いことだよな、と思います。世界の共通語としての英語の強さです。ひとつにヨーロッパなどからの観光客に説明するという意味でもあると思いますが、攻撃の当事者であるアメリカ人が一番よく理解できる言葉で書かれているということです。

日本人がどれだけアジア圏で戦争中に人々を殺戮し捕虜にしたのかということが、各国の資料館に「日本語」で説明してあるとしたら、私たちはどう感じるでしょうか。「攻撃をした国の人間が、この事実から目を背けてはならない」というメッセージが含まれているように感じることと思います。そういったことを感じたりしました。

別に英語を優先しなくても、ヨーロッパの観光客向けに、ドイツ語フランス語スペイン語などの説明パンフレットなどを作ればいいと思うし、それを作るためにそれほど沢山の予算が必要だとも思えません。それぞれの母語のパンフレットがあった方が、それぞれの国の人々は一番早く、一番深く感じることができるはずです。でも、英語を書いておけばそれでOKという世の中だということが、体感で分かってきました。

そして、観光ガイドに載っている、ベトナム式お好み焼きの名店に行きました。混雑していたので、ドイツ人の若いカップルと同じテーブルで一緒に食べることになりました。ごくごく簡単な会話は英語でできます。何日旅行しているの、とか、仕事は何?とか、そういうのはできます。けれども、「難民の受け入れ大変そうだけど大丈夫?」とか、「ドイツと日本って、勤勉さとか、モノ作りの上手さとか、似たところあるよね。親近感持ってます。」とか、そういうことが話したいんだけど、そこまでの英語力がない自分にとても物足りなさを感じます。

僕らはそれぞれ日本語とドイツ語という母語を持っているけど、共通語としては英語で話す、ということが世の中の前提だよね、ということも、どんどん体感に染みてきました。

世の中、アメリカ人が生きやすいようにできている。(英語を母語という意味では英語圏の人々すべて、イギリスやオーストラリアなどの国も入ってきますが。)

さらにアメリカ人が有利だと書きたいのは、USDの存在です。このとんでもない基軸通貨の影響の大きさも、最近ようやく分かるようになってきました。東南アジアのどの国に行っても、USDさえ持っていれば何の問題もありません。みんなが価値を把握しているお金というのは、とてつもなく便利です。便利すぎると言っていいでしょう。

私は世界史に詳しくないので、アメリカドルがいつから世界一のお金になったのかということにようやく関心が向きました。それで、いくらか調べて以下のことは分かりました。世界一のお金を基軸通貨と呼ぶこと。以前はポンドだった基軸通貨が第一次世界大戦の頃にイギリス経済が弱くなり、代わりに大戦中ヨーロッパに資金を提供したアメリカドルが強くなったこと。第二次世界大戦の終わり、だいたい1944年にはドルが基軸通貨としての位置を確定したこと。などです。

ということは、世界で一番強いお金としてのアメリカドル・USDは、かれこれ70年ほどトップを独走し続けているということになります。

基軸通貨にはとても大きな利点と、大きなリスクがあります。利点は考えることが不要なほどわかりやすいですが、とにかく便利だということです。USDで現金を持っていけば、どの国に行っても現地のお金に両替できる。これが、タイバーツを持って日本に遊びに行くとか、ベトナムドンを持ってドイツに遊びに行くとかでは、物事が複雑になってしまいます。

リスクは、色々とあるはずです。シンプルな考え方としては、アメリカが勝手にUSDを沢山印刷して、世界中に持って行って買い物をしていても、それが勝手に印刷されたものなのかどうか判断することが、受け入れ側は到底無理だということです。労働して稼いだり、親が持っていたりして譲られた本当の資産なのか、それとも、何の苦労もせずに印刷しただけで持ってきたものなのか判別できないのです。

これが、基軸通貨として世界中で使えるお金ではなく、自分の国だけで使われる通貨であれば、勝手に印刷してお金の量を増やせば、インフレになって影響が表れてしまうのでそんなことはできないのです。

一言で言えば、基軸通貨になっちゃえば、海外ならやりたい放題、その立場を得たもの勝ちと言う感じです。

それで私は歴史が苦手なりに推測しました。「ということは、アメリカドルが基軸通貨であり続けるために、これまで色々な手をアメリカは打ってきたであろう。そして、基軸通貨の位置を奪おうとする試みがこれまであったであろう。」と。

その結果として、アメリカドルではなくてユーロを応援する立場を取ると、アメリカから攻撃を受けるという記事などが検索に引っかかってきました。やはり、アメリカは基軸通貨として世界を支配する立場をとても大切にして、それを失いそうになると、取り戻すために何でもするということが分かってきました。予想通りです。

そうすると、極端なことを考えたくなります。「どこかの国のお金を基軸通貨にしてしまうから、問題が起こるのだ。世界通貨があればいい。特定の国に利益が出ない通貨を使うようにすればいい。」と。

そう考えたとき、自然とひとつのことが頭をよぎります。それは、ビットコインです。

どこかの特定の国だけが利益を得ない、公平な世界通貨としての土台は、ビットコインのようなものにあるのではないかと。

仮想してみます。

僕らはスマホの中に円とビットコインというお金を入れて生活します。コンビニに行くと、支払いはレジに自分のスマホをかざすと、円かビットコインで支払うことができます。円がスマホの中に入っているのは、もう違和感ないわけですから、お金の種類が一つ増えるだけのイメージです。

スマホに入っている円を、ビットコインに変換するのは、スマホの中で簡単にできます。20万円入っている円を、10万円分だけビットコインに変換したりできます。両替屋さんって何だったんだろう、両替手数料って何だったんだろうという時代になります。

海外に行くと、どこに行っても、ビットコインでの支払いが可能になっています。バンコクでマッサージを受けても、ニューヨークのレストランで食事をしても、オーストラリアでタクシーに乗っても、ビットコインで支払えるのです。

いったんUSDに両替する必要がありません。そして、どの国に行っても、ビットコインの価値をみんなが知っているのです。

こんな世界に、違和感はあるでしょうか。少なくとも私にはありません。

そして、もしこれが実現するなら、基軸通貨はUSDではなく、ビットコインになるのです。

これが実現するために必要なことは、基軸通貨としての地位を手放したくないアメリカの本気の攻撃をかわすということです。多分、それは想像を超えることなんだろうなと思います。

実現した時には、基軸通貨を守るための戦争がもう起こらないということになります。

今はビットコインのレートが不安定で、まだ始まったばかりのビットコインが頼りなく見えてしまうのはしょうがないけれど、10年、20年と経過した時に、状況は変化しているのではないかと思います。戦争をなくすため、特定の国だけが利益を得ることがないように、世界通貨が浸透するように協力するということは、僕らの世代こそ取り組むべきことなのかもしれません。

今回は随分と支離滅裂なことを書きました。読みにくかったらすみません。思いついたことや調べたことを、きれいにまとめずにそのまま書いたためです。

またいつかこういったテーマのことを書くときには、もっとわかりやすく整理できるよう頑張ります。

あえて今回の投稿をまとめますと、ホーチミン旅行はとても楽しかった、英語勉強の励みになった、英語の存在というものが今までよりもよく分かるようになった、USDの便利さが分かるようになったら、怖さもわかるようになった、世界通貨に取り組んでみたら面白そうだ、という感じになります。

お読みいただきありがとうございました。

意識する4つのこと(昔は悩んでいたけど、今は平気になった)

良い体調を維持するために意識していることがだんだん体に染み込んできたので、ここでまとめておきたいと思います。

僕は10代後半から20代のころ、すごく悩んでいました。それは、全然やる気が出ないときや気分的な落ち込みがあって、自分をうまくコントロールできないと感じることがよくあったのです。調子がいい時と悪い時の差の大きさがとても嫌いで、「やる気」ってものが買えるなら、10万円ぐらいでも買いたいと思っていました。それで、どうやったら解決できるのかと本を読んだり考えたり試したりしてきました。それが最近ようやく一つの解決を見たような気がしています。10年以上かかりました。20年近くといった方がいいかもしれません。長かった。

その解決法とは、「4つのことを意識する」ということです。一つは、体のこと。二つ目は、知力のこと。三つめは、心のこと。四つ目は、他の人とのつながりのこと。この4つのバランスに気を配れば、調子が安定してくるのです。このバランスが崩れると、調子を大きく崩すのです。

一つ目の「体」。これは基本的に言って、ちゃんと運動することです。今の僕にとっては、自宅で軽い筋トレをして、週一でサッカーに行って、時々はジムやプールに行くということです。そして、それなりにきちんとしたものを食べて、よく寝るということです。これを軽視したら、絶対に調子悪くなります。これが体でわかるようになったら、他の人の悩み事を聞くたびに、「ああ、きっとこの人運動不足だろうな」と思うようになってしまいました。ちょっと偏見ではありますが、大きく外れてないだろうという自信が僕にはあります。人間は、体力を使うようにできている。使わないでいると、知力や心の調子が悪くなる。密接に関係している。

二つ目の「知力」。これは、頭を使うことです。情報を仕入れて、考えること。覚えること。思考力を使うこと。読み書きすることです。情報を仕入れるには、好奇心が必要です。お、知りたいな、取り入れたいな、と思う関心があってはじめて成立します。旅行の計画とか、新しい料理に挑戦するとか、新しい言語を覚えるとかです。本を読んだり、ブログを読んだり。興味深いドラマや映画やドキュメンタリーを見たり。特定の関心がある分野を調べたい、ということになればもちろん最高ですね。ちょっとニュースに関心を持つだけでも大丈夫です。この分野の不調は、「最近、何にも関心がない」という状態になって現れます。見たいもの読みたいもの調べたいものやりたいことがない。ずっと知力を使わないでいると、どんどん弱くなってきます。

三つ目の「心」。これは、精神的な部分です。怒ったり妬んだりするマイナス感情を持つのではなく、親切であり安定していて他の人に与えたいと願うことであり、ポジティブな感情で何かをする、ということです。気持ちを整えるための時間を取り、不安を解消する手を打つことも含まれます。何かをしてあげたい、という気持ちで計画を行い、約束し、それをする。それは自分の心の安定をさらに強めます。この分野の不調は、欲求不満やイライラ、ちょっとした出来事や一言で他人を嫌いになったりする傾向に現れます。「あいつムカつく」「なんか気分悪い」という感じです。

四つ目の「他の人とのつながり」。これは、簡単に言って誰かと話をするということです。社会的なつながりを持つ、個人的な友人との関係を維持する、家族と接することが含まれます。家族と一緒に暮らしていたとしても、引きこもって全く会話をしないというケースも考えられる時代ですから、一人暮らしだから孤独とか、一緒に住む人がいれば安心という問題ではないですね。自分の側から、会いたい人や話したい人に近づいて、話をするということです。もちろん、自分がいつも受け身であっても、ある程度は人との会話があるかもしれません。仕事上話さなくちゃならない、とか、仕方なく会わなきゃならない人がいるということもあります。その中である程度会話が満たされることもありえます。割とどんな人とでも仲良くなれる営業さんとか学生は、あまりこの分野で問題を抱えないかもしれません。逆に、一人暮らしで、一日中誰とも話をしないような仕事をしている人にとっては、意識しないと「なんか最近誰とも話をしてないし、何か人と会う元気が出ない」という状態になる場合があります。やたら人と会ってばかりいる人は、「少し一人になりたい」と思う逆パターンもありますね。

これら4つの一つ一つは、使わないと衰えるものです。分かりやすいのは筋力でしょう。仮に、病院に入って一か月寝たきり生活のせいで、全く筋力を使わなければ、筋力が全然なくなってしまいます。逆に、鍛えようとして頑張りすぎると壊れてしまうものでもあります。筋トレを、自分にちょうどいい量だけやるなら健康に良いですが、一日中筋トレをするなら体を壊してしまいます。つまり、「ちょっと疲れたなあ」という程度までこれら4つの一つ一つを頑張り、そして、「休ませる」。このルーティーンを定期的に行うことで、少しずつそれぞれが強化されていきます。4つがお互いに関連していて、4つがバランスよく向上していくと、自分のできることがどんどん増えていきます。

分かりやすいと思うのでやや極端な提案を一つします。一日の24時間を、それら4つの分野がバランスよく入ってくるように計画するのです。朝起きて軽く運動する。室内でラジオ体操か筋トレです。できる人はジョギング20分とか。もし朝の運動が面倒でできなかったら、夕方に再予定します。午前中は知力を使います。仕事なり学業なり遊びなり、関心を持っている分野の勉強や情報収集、ノートやPCにまとめたり、他の人に説明できるような資料を作ったりします。午後一には自分が誰か他の人にしてあげられることを考えて計画し、連絡を取ったりします。その後、実際に他の人の役に立つ何かを行う。夕方か夕食には、会いたい人とのアポを取っておいて、会います。昼食にしてもいいです。会った時には、相手の状況に関心を持って話をよく聞くようにし、自分が話す内容は、最近仕入れていて面白かった情報を提供するようにします。夜にはお風呂やシャワーを浴びて、自分の好きな香水をつけて、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、誰かと電話をしたりして、少し早めに寝ます。

体のために、運動を入れる、これは欠かせません。寝る時間の確保も大事。食生活も大事だけど、日本人でとんでもなく栄養が足りない人は少ないだろうからあまり気にしていません。

知力のために、午前中を使う。これは得意な時間帯が人によって違うと思いますが、たいていの人は朝か午前中が、脳を使うには良いと思います。僕は夜は全然ダメです。

心のために、他人に貢献できることを考え、計画し、実行する。自分ができることを常に見つけてそれをすることによって、自尊心は安定し、自信が付きます。それはよく、「居場所」といわれるものです。これを続けていると、「他人にイライラする」ということが減ります。心が満たされているかいないかが分かれ目です。また、心を整えるという意味で、好きな香水で香りの効果を使うのも良いと思います。好きな音楽も心に効きます。お風呂でテレビを見る人も多いようですが、のんびりと自分の感じていることや考えていることを味わう時間にも使えると思います。

他の人とのつながりのために、会いたい人に自分から近づきます。これは、他人に貢献することと近いですが、違いがあります。他人への貢献というのは、特に会話をしなくてもできるものです。買い物をしてあげる、知らないことを教えてあげるメールを送る、家事を手伝ってあげる、といった相手のニーズにあわせて行う自己犠牲的な活動のことです。それで、話したい人と会話をするというのとは少し違います。もちろん、他人への貢献と他の人とのつながりが一緒に満たされることもあり得ます。

人との関係を作るというのは、とても複雑なことです。簡単なことではありません。だからこそやりがいがあり、人生の味わいを深めるものだと思えればよいと思います。

自分が近づくことができる人というのは、自分の鏡のようになります。自分と似た何かがあるということです。

人付き合いの中で、自分は影響を受けます。その付き合いが、自分を成長させてくれることもあるし、ある場合自分の成長を防いでしまう場合もあります。

自分が成長してくると、それまでの人付き合いだけでは満足できなくなることもあります。今打ち込んでいること、今考えていること、今関心を持っていることに合わせて、付き合いたい人たちが増えてきます。また、時にはこれまで付き合ってきた人たちとの距離が開くことがあります。

少し矛盾したことを言いますが、古くからの友人はとても大切であり、そして、自分が成長している以上、新しい知り合いに関心が移っていくのは自然なことです。

孤独を感じることともつながってきます。今までの友人とだけ付き合っていると、自分の世界が狭く感じて、息苦しくなることがあります。それで、新しいことを学んだり知ったりして新しい知り合いを作っていくときに、これまでの友人に拒絶されることがあります。これは多分避けて通れない成長痛のようなものです。その時に、今までの友人とも距離ができてしまった。新しい知り合いともそれほど仲良くなれていないという感触が、孤独を感じさせることがあります。

自分の世界が広がることと、孤独を少し感じることはいわばセットなのです。自分がこれまでの殻にいるのではなく、新しいことをしようとするときには、孤独を通り越す必要があるのです。

逆に言うと、孤独と付き合えるようになれば、どんな世界にでも飛び込んでみることができるようになります。新しいことを知るために飛び出すのと、これまでの楽しい関係を全く同じように維持するということは、どうしても両立しないのです。

すこし論題からずれてきましたので、何を言いたいのかまとめます。

「人とのつながり」をずっと大事にすることで、自分を安定させることができます。しかし、それはただ単に今までの友人を大切にするだけでなく、新しい知り合いを作っていくということでもあります。あまりにも特定の人たちを大切にしすぎると、自分の世界を広げるのに妨げになってしまうこともあるからです。それに気づいて既存の友人と距離を空けると時々さみしさがやってくることもあるが、それを受け入れることも必要だということになります。そして、自分が「誰に近づきたいと思っているのか」というのは貴重な感情なので、とても大切に扱わないといけない、ということも含んでいます。

4つのこと、「体」「知力」「心」「他の人とのつながり」への意識の仕方は、今置かれている状況によって大きく変わってきます。毎日職場や学校に行っている人と、週に何日かだけ仕事している人と、いつも自宅にいる人で全く異なります。仕事内容も、体力をすごく使うのか、どのくらい人とかかわるのか、ずっと部屋の中にこもっているのかによっても違います。意識しないと足りなくなってしまう部分をきちんと補うということがとても重要です。

若いころに悩んでいたことも、こうやって時間と共に解決できたりします。長い時間をかけて理解できることやできるようになることって、嬉しいものです。

10万円かけても買いたかった「やる気」が、買わなくても毎日割と安定するようになってきました。