良導体であること(現代版わらしべ長者)

ありがたいことに仕事が忙しいです。

新しい本を読んだりとか、何か考え事をするとかしてブログの投稿をする余裕がありませんでした。いいことかな。

一つイメージがうまく行っているように感じることがあります。

それは、できるだけいつも、誰が何を欲しいのか注意して、そして、その欲しいものを誰が持っているのか見つけ、持っている人から欲しい人へと渡るようにすること、このイメージを持つようにすることです。

導体とは、「熱・電気を伝えやすい物体。伝導体。良導体。例えば金属など。」と定義されるようです。

僕の考えているイメージは、自分が、AさんからBさんへ何かを渡す良導体だと思うようにするということです。

何かをしてあげたいという人と、それをしてもらいたい、という人をつなぐ。

何かをあげたいという人と、それを得たい、という人をつなぐ。

そこにある情報を、それを知りたいと思っていたが知らなかった人に知らせる。

自分が何かを停滞させない、というイメージを持つようにしています。僕のところで何かが止まってしまっている、というのが最悪だと思っています。

仕事をしよう、と思うときにまず最初に考えるのは、誰が何を欲しがっているか、です。誰も何も欲しがっていない、と思うとき、僕のその日の仕事はおしまいです。

大抵は、沢山の人が色々なものを欲しがっていることを思いつきます。

そして、その欲しがりの中で、(要求と言ったり、デマンドと言ったりしますが)どれから手を付けるか優先順位をつけて、集中力が途切れるまでそれを一つずつ扱っていきます。

その人が欲しいものは、僕が自分で何かを考えて文章を書いたりファイルを作成すれば済むことなのか、誰かに依頼しなければならないものなのか、そこで分かれます。

Aさんが欲しいものをBさんに依頼する場合、Aさんは具体的にどんなものを欲しいのか、なぜ欲しいのかということがBさんにきちんと伝わるように依頼します。そしてそのBさんの作業は、僕がAさんに渡すために欲しいものでもあります。ですから、僕からの希望でもあることを伝えます。

この例から言える大切なことは、「Aさんが欲しいもの」を説明しているように見えますが、実はこれは、「Bさんが欲しいもの」を届けているということです。

Bさんには作業依頼をしているだけなのに、どうしてBさんの欲しいものを届けているのでしょうか?

それは、人間には承認欲求というものがあるからです。

「私たちが作れないもの、持っていないものを、あなたに依頼したい。これは、Aさんと私からのお願いです。」という依頼は、Bさんの承認欲求を満たすものになります。

この話が断られるかやってくれるかはさておき、お願いをするということは、ひとつの「欲しいものの受け渡し」なのです。

「こんなお願いしたら断られるんじゃないか」って人は思いますが、人から何かをお願いされるというのは、普通の大人なら大抵は嬉しいものです。

もちろん、お願いの仕方が無礼だったり、ただ単に自分がやりたくないことを押し付けるようなお願いの場合、簡単に人間関係をぶっ壊すことになるということは一応付け加えておきます。(言わなくてもわかるとは思いますが)これは、自分でやりたいけど自分にはできないことを、お金などの対価もきちんと払いますからやっていただけないでしょうか、という依頼のことです。

Aさんが欲しいものを、Bさんに依頼した時に、まずBさんは嬉しく感じる。そして作られたものをBさんからAさんに届けた時に、今度はAさんが嬉しく感じる。そうやってAさんとBさんの嬉しい気持ちを企画できて、それに携わった僕はすべての嬉しさをそのまま感じることができる。これが僕の仕事の全てと言っても過言ではありません。

まぁ、納期の希望、金額の希望の調整とか、簡単ではないことも勿論ありますが、それを乗り越えていくのもまた、仕事のうちです。

昔はAさんが欲しいものに気づく力が弱かった。また、Aさんの欲しいものが分かっても、それを作れるBさんを見つけたり、Bさんに上手にお願いすることができなかった。そういった20代30代前半を過ぎて、いろんな仕事ができるようになりつつある自分をとてもうれしく感じる瞬間が時々あります。

何回か書いたことのあるテーマでしたが、改めて書かせてもらいました。

これからも、良導体であれますように。