新しい言語を学んでいるときに脳で起きていること

僕はよく、脳みそは2種類あると言います。それは、覚える脳と考える脳です。この2種類の脳の内、どちらの脳が優位であるかによって人は大きく異なってきます。

覚えることが得意である人は、覚える脳をどんどん使いたくなります。学生になると、歴史や社会をどんどん覚えていきます。また、英語教育にもついていくのが大抵容易です。ひとつひとつの言葉や物事や出来事や場所や人物を、積み重ねて覚えていくことで面白みを感じていきます。覚えていくときに、なぜそうなっているのかとか、他の物事とどんな関連性があるのか深く考えるというよりも、それはそれでひとつ覚える、ということをします。新しいことを覚えることが得意分野となり、詳しくなっていきます。

対して、考えることが得意である人は、考える脳をどんどん使いたくなります。学生になると、算数や理科の実験が面白くなります。何かにつけて、「どうしてこうなるのだろう?」「なぜそうなっているんだろう?」と考えるようになります。そのため、新しい情報を取り入れる時に、これはなぜあるのだろう、どうしてこういうことが起きたのだろう、と考えながら情報を取り入れようとします。そのため、新しい情報を取り入れるスピードが遅くなる傾向があります。「とにかくこれはこれで覚えなさい」という指示を素直に受け入れにくいことがあります。物事を考えることが得意分野となり、広く物事を覚える人と対照的に、狭い分野で深い理解を目指すひとになっていきます。

ここで、覚えることも考えることも得意な人のことは特に扱いません。そういう恵まれた脳をもって生まれてくる人たちがいることは事実です。優秀な弁護士や、優秀な医者などにそういう人はなるのでしょう。大きな影響を他の人に与えることができる人たちです。僕が今ここで扱いたいのは、覚えることは得意なんだけど、考えることは得意なんだけど、とても苦手なこともあるごく一般的な人たちのことを考えたいのです。

司馬遼太郎が、算数や数学は苦手だと明かしています。僕はそのことを知った時に、とてもぴんときました。なぜ司馬遼太郎があそこまで歴史を知ることができたのか、覚えることを追求できたのかということです。少なくとも、覚える脳が大きく発達していたことは疑いようの余地がありません。悪い言い方をすると、いちいち物事を覚える時に深く考える人ではあそこまで知識を広げることはできなかっただろうということです。

膨大に知識を積み上げ覚える、そしてその後に、膨大なその知識の中で、やや近くにある情報を少し関連させて考える、そういうやり方をして司馬遼太郎は著名な歴史小説を書き上げ、成功させたのだろうと思うのです。算数が嫌いだったからこそ、この偉大な功績があるのではないかと推測してしまうのです。脳の得意分野が、考えることではなく、覚えることに偏っていたことが幸いしたのではないかと感じてしまうのです。

僕は司馬遼太郎の作品をすべて読んだわけではないので、考えることについての深さがどれほどの人なのかということをきちんと知らない状態で推測をしていることは合わせて書いておきたいと思います。

さて、私は大きく偏った、覚えることが苦手で、考えることが好きな脳みそを持って生まれてきました。これは自分の過去を思い出せば簡単にわかります。社会の授業やテストはとても嫌いでした。過去の記録を覚えることがどうして生きていくのに役に立つんだろう、と思っていたのです。はい、この時点で、「いちいち考えないと情報を覚えることができない人間」であることが確定します。

反対に、算数の文章題がとても大好きでした。小学生のころは、中学入試の文章題をみつけてきて、公式もよくわかっていないのに、どうやったら答えが出てくるのか考えているのが楽しかったのです。中学になって、友人宅にあった古いパソコンの存在が気になり、どうやったらこれが動くのか考え始めて、図書館にプログラムの本を借りに行ったのです。

僕にとって、新しい言語を覚えるということ、つまり中学英語との出会いということですが、あっという間に落ちこぼれになりました。覚えることに関心が持てない、覚えようとしてもすぐに覚えられない、周りはどんどんできるようになっていく、そういったことが重なって、Doを学んでいるあたり、かなりの序盤戦であきらめの感情と出会ってしまったのです。結果として、高校入試で英語は42点を取るという悲しい現実がありました。

だんだん今回書きたいことに近づいてきました。それは僕のような、考えるのは得意だけど覚えることが苦手な人間にとって、新しい言語に取り組もうとすることにはとても大きなハードルがあるのです。

しかし、僕は現在、新しい言語に取り組んでいます。そして、歴史を覚えることにも少しずつ関心を覚えています。この変化について書いておきたいと思います。

簡単に言うと、浅い知識、狭い範囲の中で深く考えていても、思考の広がりが少なく、面白みも限られてくることにようやく気が付くようになったのです。味の好みが年を経るごとに変わるように、脳みその使い方も年を経て変わってくるのかと思います。あんなに嫌いなナスやしいたけやニンジンの美味しさに気が付くように、知識を広げることの面白みに気が付けるように変わってきたのです。

きっと、覚えることが好きな人たちも、そうなのではないかと思います。覚えることばかりしてきて、30代、40代になってきて、考えることも取り入れるようになってくる。覚えるだけでは物足りなくなって、考えることも取り入れるようになるのではないかと思うのです。

言語を覚えるというのは、かなりの部分、理屈ではとらえることができません。もちろんいくらかの文法や言葉のなりたちにおいて論理的な部分もありますが、大半は「それはそれとして覚える」ということばかりです。考える脳をいったんオフにしておかないと、うまくいかないことが多いのです。

I love you.をその順番で字義訳すれば、「私は愛しているあなたを。」ということになります。では、日本語に「私は愛しているあなたを」という言い方は本当にあるかというと、そんなこと言う人はまずいません。一つの外国語を日本語につないで覚えようとするときに、それは1:1で考えられるものではないということに気が付きます。愛=Loveというのは、ある意味で正しいですが、ある意味では正しくないのです。

理屈で考えたい人間にとって、これはかなり面倒な作業です。つまり、イコールで結ぶことができるようでいて、結ぶことができないというのは、気持ちの悪いことです。日本人の使う「愛」という言葉は、英語を使う人たちの「Love」と似ているが微妙には違うものだということです。中心的な意味合いは同じなんだけれども、細かく考えていくと違う点がたくさん出てくる。僕らは愛とはこういうものだと思っている範囲と、英語を使っている人のLoveの範囲は、重なっているが異なるのです。

僕はこのことを脳にとってとても良いことなのだろうと今は感じています。簡単には理屈で片付かないものを、どんどんと記憶して積み重ねていく、積み上げていくとおぼろげにその違いというものの輪郭が分かってくる、たくさんの記憶がなければその形をとらえることができない、そういう作業についてです。

これは、簡単に理解できるものと、長い時間をかけて少しずつ理解されていくものとに分類することができると思います。僕は子供だったころ、簡単に理解できない、何年もかけて少しずつ理解していくことなんてつまらない、そんなに続けていられないと思っていたようです。けれども今は、簡単にわかってしまうものには魅力が少ないと思うようになっています。少しずつ理解が進んでいく、こういうことかと思ってみたが知識を加えていくと違うものであることに気が付く、そしてその後、またその理解もずれていたことに出会う、そういったプロセスそのものが楽しいと思うようになってきました。

僕にとって、新しい言語を少しずつ取り入れていくこと、歴史に少しずつ触れていくことの面白みは、味覚が変わって来て美味しいと感じるものが変わってきたこととと近い関係にあります。

そのことを進めていくのに、ブログの存在は僕にとってすごく大切なものとなっています。

ブログシステムのリフォームしました(wordpress 4.3.1 + Twenty Fifteen) 近況報告と読者の方に向けて

久しぶりにこのブログを使っていて、随分とwordpressのバージョンが古くなっていることが気にかかるようになりました。それで、最新版の4.3.1を導入しました。直接アップデートする機能があったのですがうまく動かず、手動でファイルを全部入れ替え(uploadsの画像ファイルはそのままに)、再起動したところ無事に動きました。

これまで使っていたテーマが使えなくなって、今回のバージョンのかなり標準的なテーマであるTwenty Fifteenを選択しました。サイドバーが右から左になったのですが、そんなに気にならなかったので、これを使っていくことにしました。フォントが明朝体だったので、noto fontが使われるようにプラグインを導入しました。Twentyfifteen Noto Sans Japanese というものです。きれいきれい。

Twenty Fifteenの説明にはこうあります。


このテーマは「モバイル・ファースト」アプローチを使ってデザインしました。つまり、サイトの訪問者がスマートフォン・タブレット・ノートまたはデスクトップパソコンのどれを使ってサイトに訪れていても、あなたのコンテンツに最も注目が注がれるようになっているという意味です。

とてもわかりやすいです。まさにこうでなければならないものです。

新しくなったデザインでどう表示されるのか気になるので、PCはもちろん、スマホやらタブレットやらで確認をしました。

うん、いいです。とてもいいです。なんだか楽しいなあ。

アイキャッチ画像の使い方も洗練されています。設定してきて無駄ではなかった。なんだか自分の生活をリフォームしたような気分にもなってきました。いいぞいいぞ。

あといくつかプラグインを導入するかもしれませんが、これで行きたいと思います。引き続きよろしくお願いします。

RSSの動きが気になって、livedoor readerで確認しようとしたのですが、何だかうまく行きません。まあこれぐらいしょうがないか、と思い直し、遅ればせながらfeedlyを試してみることにしました。そうしたら、これまで気が付かなかったあることがわかりました。それは、feedlyでこのブログを読んでくれている読者の方がおられたということです。

きっと何らかの投稿を読んで、僕のこれからも書き続けるであろうブログの内容に期待してくれた人がいる、ということです。そういった方のことをとても嬉しく思います。僕らはお互いに実名を知らないという意味で浅い仲であり、そして、逆にとても深い仲でもあると言えます。なぜなら、僕がこのブログに書き連ねる一言一言は、身近な人たちにもそれらすべてを話しているわけではなく、うまく話したりできないことまでも含めて、真実の思考の中の一部を表現化したものだからです。ですからこのブログを読んでくれている人の僕への理解度は相当なものです。自分が理解してもらえるというのは嬉しいことです。本当にありがとうございます。

僕はこのブログを通して考えてみようと思っていることがいくつもあります。例えばそれは、死ぬというのはどういうことなのかとか、生まれてくるとはどういうことなのか、日本人は自然の一言で片づけてしまえるけれどもそれは一体何なのか、ということもあります。哲学に触れることになるのか、科学に触れることになるのか、それほど知識を深めないまま限られた知識の中でぐるぐると考えていることになるのか分かりませんが、仮に僕の人生があと40年あったして、それぐらいあれば何らか自分なりの思考ができるのではないかと思っています。

また、自分が歩んできた道のりや、今やっていることについても、一体それが何なのか、考えたいと思っています。

重たいことばかりではなくて、軽いこともたくさん書くつもりです。最近は司馬遼太郎の「菜の花の沖」を読み始めました。日本とロシアの関係という題材も面白そうです。先日読んだ「海の翼 エルトゥールル号の奇蹟」も楽しめました。日本とトルコの関係という題材もそこにはあります。

伊達にブログを20年続けてきたわけではないことを見せられたら幸いです。これからも楽しい思考の過程を進めてまいります。

鶏肉とエビの相性の良さについて

先日外食でパエリアを食べたことがきっかけだったのですが、無数にある食材の組み合わせの中の一つ、鶏肉とエビはどうも相性がいいものだなと思いました。僕は時々パスタを作って食べているのですが、「肉系」と「魚介系」というのは切り離して考えてしまうところがあります。どうもこれまで一緒に考えたことがありませんでした。

気になればとりあえず検索してみる性分、やってみました。そうしたところ、

『 鶏と甲殻類 』 はフランス料理の王道的組み合わせ。もうすぐ終わる桜エビとモリーユで仕立てる。
http://blogs.yahoo.co.jp/say_say_sayjp/24977377.html

マイルド&スパイシー!海老とチキンのイタリアンカレー
http://www.recipe-blog.jp/special/spiceblog/taishi/ichioshi/2010/06/100607up-2.html

こんなページが引っかかります。それに、中華料理の「鶏肉とエビの炒めもの」などが出てきました。うーむ、やはりこれはそうなんだなと確信し、本日は鶏肉とエビを使ったパスタを作りました。

最近自炊熱が戻ってきていて、ちょうどチキンライス用に鶏肉を小さく切り分けた冷凍、パスタに放り込もうとしていた小エビの冷凍がありましたので、こいつらを使って作ります。

パエリアがトマト味だったので、僕も今回はトマト味にします。ホールトマト買ってあったのでそれを使います。一人分を作るのに一缶全部入れると多いので少しだけ使うことにして、残りはタッパーに入れて冷蔵です。

まずはニンニクと玉ねぎのみじん切りを炒めます。玉ねぎのみじん切りも最近は冷凍を使っていまして、玉ねぎを一つみじん切りにして冷凍庫に放り込んであるのがありますのでこれを使います。これは結構便利で、使いたい分だけすぐに使えるし、冷凍してから使うと甘味がどうも出やすいみたいです。あまり詳しくはありません。

炒まってきたところで、冷凍鶏肉、冷凍小エビの投入です。最初に玉ねぎ炒めるのをやって甘くしておかないと、このタイプの料理は失敗します。鶏肉にある程度火が通るまでの間で、オリーブをカットします。オリーブは瓶詰になっている種抜きのものです。本当はブラックオリーブの落ち着いた味が好きなんですが、近くのスーパーで割安で買えるのはこのグリーンオリーブなので、それを使っています。グリーンオリーブは結構しょっぱいので、投入量の加減に注意です。けれども、イメージは、「甘い玉ねぎみじん+鶏肉+エビ+トマトソース+しょっぱいオリーブ」のハーモニーなのです。目指せ適当に作った初回からの成功。

鶏肉に火が通ってきました。ここで少し白ワイン投入。白ワインはコルクではなくてキャップタイプの安物。料理用の白ワインとして冷蔵庫にいつも入れています。オリーブも投入。このタイミングで、沸騰させたお湯の中にパスタと塩を投入。パスタ投入後、ホールトマトをフライパンに投入。フライパンにはだしも少々投入。トマトソースの時はだしを入れちゃいます。これぞ日本人によるパスタなのです。

パスタが茹で上がるのとフライパンのトマトソースが煮詰まるのを待つ間、台所の片づけやら、麦茶入れて飲んだりとか。

よーしトマトソースがいい感じに煮詰まってきた。煮詰まってきたところで、パスタのゆで汁を少々投入。美味しいソースは煮詰めてから伸ばす、これは僕のイタリアンの先生が教えてくれたことです。

パスタの芯が消える直前にお湯を捨て、フライパンで追いオリーブオイルと一緒に一気にあえます。さらに盛り付けて、がりがりとブラックペッパーを落とせば出来上がり。

味ですか。ふふふ。