宗教とは何か 2016/3/12時点

僕はこの問いを、死ぬまで考え続けるのだと思います。もしも死なないとすれば、永遠に考え続けるということになります。

宗教とは何なのでしょう?

人間の思考では答えが出せないものなのでしょうか。

どんな難しい疑問も、最後にはすごくシンプルな答えが出てくるはずです。そうじゃないとおかしい。

現段階での自分の理解を書いておきたいと思います。

それは、「人間はどこから来て、どこへ行くのか」。これが宗教なのだと思います。

自分が生きているということを信じないわけにいかない。人のことが好きになる感情も信じられる。美しいと感じる心がある。楽しいと感じる心がある。悲しいと感じる心がある。さみしいと感じることがある。嬉しいと感じることがある。

生きていることや、自分の中にある感情、それは本当に存在する。

存在するものには、原因がある。

最初の人間の出発点があることを疑える人はいないはず。

その出発点を定義するのが宗教なのだと思います。

ですから、変な書き方ですけど、人が生きているということがもう宗教なのです。

だれもそこから逃れることができない。

「自分はどこから来たのか、どこへ行くのか、どうでもいい」という結論にたどり着く気持ちは、とてもよくわかります。それは、「宗教はやっていないので」という表現になったりします。けれども、それは、「思考停止」という宗教の一つだと僕は思います。「考えてもわからないことは考えない教」とでも言えるでしょう。

誰の目にも明らかな証拠が揃っていないゆえに、宗教は分かれる。

あらゆるところに神がいるとし、沢山の偶像を作り崇拝する多神教。ヒンズー教と仏教。

すべてのものを作った神が唯一おられ、偶像を禁止する一神教。ユダヤ教からキリスト教になり、イスラム教にたどり着く。

どの宗教にも熱心な信者がいて、「自分の宗教が正しい」と思いこんでいる。思いこんでいるという表現はとても失礼な書き方で、本来これは敬虔な信者ということになると思います。

けれども、思いこんでいるという表現が正しいと僕は思います。

なぜなら、真実は一つでなければならないからです。

どの宗教も正しいというのはあり得ないのです。1+1が2だったり3だったりするということはないのです。

人間があることを「正しい」と確信するためには、信じるためのの根拠が必要になります。でも、人間の知り得ることや思考力は限られています。よく人はだまされたりします。それは、「正しい」と思っていたことが、後から間違っていたことが明らかになることがたくさんあるからです。全体を知って理解したと思っていたら、さらなる知識・情報が明らかになったり、考え方を間違っていたことに後から気付いたりするのです。

こういった、間違っていることを正しいと信じ込む状態に、人間はよく直面します。これはもちろん僕も含めてです。

昔のとある歌に、「見てきた物や聞いた事いままで覚えた全部 でたらめだったら面白い そんな気持ちわかるでしょう?」とかありましたが、この詩ってじわじわと効いてくるなあと思います。

今地球上にある宗教を、大きく分けてみます。まずは5つ。ヒンズー教、仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。そして、あまり得意じゃないから書いていない儒教。それに加えて、「考えるのやめた教」。この7つぐらいに分類できると思います。

このうちのどれかだけが「真実」なのかもしれません。

もしかすると、今地球上にあるすべての宗教がどこか間違っていて、本当の宗教はこれから発見されるのかもしれません。

5次元を描こうとしたインターステラーを見ていて、最後の結論として、「愛情」を出してきた時に、なんだか腑に落ちる気がしたのです。これはとても直感的なものです。

「愛する」ということが、結論になるのではないかと今の僕は思います。それが正しい宗教になると思います。なってくれないと嫌だ。

例えば、今のすべての宗教は、何らかの「愛する」を持っていて、そして、何らかの「愛する方法を間違っている」部分を持っているんじゃないかと思います。

もし唯一本当の神がいるならば、すべての宗教の間違いを修正してくれるはずだと思います。神や自分や他人や地球をどうやって愛するのか、それをすべて同じ愛し方に統一してくれるはずだと思います。それが真実であってほしいです。

僕らはよく間違ったことを真実だと思いこんでしまう。断片的な知識と、限界のある思考力を持って、自分にできる限りの良い判断をしているが、それがうまくいかないことがたくさんある。

宗教について、僕はこれからもずっと考え続けます。