S(感覚)とN(直覚)。 それは、僕たちがこの世界という「巨大な図書館」に足を踏み入れたとき、まずどの棚に手を伸ばすかという違いに似ています。
あるいは、目の前にある一杯のコーヒーをどう眺めるか、という問題でもあります。
2. 世界を「どう認識するか」のスタイル
僕たちは皆、同じ世界に住んでいるようでいて、実は全く異なるレンズを通して景色を見ています。
S(Sensing):感覚型 センシング
――五感という「確かな手触り」を信じること
「Sensing」は文字通り、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚という五つの窓から入ってくる情報を指します。 センシングとは、検知器や感知器、測定器などを用いて測定対象の定量的な情報を取得すること。センサーを使うこと。彼らは何よりも「事実」を愛します。地面を叩いてその硬さを確かめ、時計の針が刻む正確なリズムに耳を澄ませる。
- 深堀り: 彼らにとって重要なのは「今、ここ」に何があるかです。例えば、彼らがリンゴを手に取るとき、その赤さ、重さ、甘酸っぱい香り、そして皮を剥くナイフの感触を克明に把握します。過去の経験に基づいた確実なデータを積み上げ、一歩ずつ慎重に階段を登っていく。それがSのスタイルです。
N(iNtuition):直覚型 イントゥイション
――「見えないパターン」と可能性を追いかけること
「Intuition」は、日本語では「直感」とも訳されますが、MBTIでは「直覚」という字を当てることが多い。「勘」といった意味があり、頭で考えることなく本能的に何かを理解する能力というニュアンス。五感を飛び越えて、物事の背後にある「意味」や「関連性」を瞬時に捉える力を指します。 (ちなみに、IはすでにIntroversionで使われているので、二文字目のNがシンボルになっています。少しややこしいですが、やれやれ、それもまた一つのルールです)
- 深堀り: Nの人は、リンゴを見てリンゴそのものを語ることは少ないかもしれません。彼らの意識は、そのリンゴから連想される「万有引力」や「禁断の果実」、あるいは「未来の果樹園」へと一気にジャンプしてしまいます。点と点を結んで星座を描くように、まだ存在しない可能性や抽象的な概念を扱うことを好みます。
3. 「森」を見るか、「木」を見るか
よく言われる比喩ですが、これほど核心を突いたものもありません。
S(感覚型)は、一本一本の「木」を正確に見つめます。 木の種類、枝の張り方、葉の色。それらが積み重なって初めて「森」という現実が構成されると考えます。具体的で、細部に宿るリアリティを大切にするのです。
N(直覚型)は、まず「森」という全体の輪郭を捉えます。 個別の木がどうなっているかよりも、森全体がどんな雰囲気を持っているか、どこへ続いているか、その物語に興味があります。細部はあとで埋めればいい、あるいは埋めなくても構わないとさえ考えます。
この違いは、時に奇妙なすれ違いを生みます。 Sが「駅前のカフェは18時に閉まる」という具体的な事実を伝えているとき、Nは「そもそもカフェという場所が持つ孤独の本質」について考えていたりするからです。
やれやれ、結局のところ
もしあなたが、誰かに道を尋ねたとき、 「角にある赤い屋根のパン屋を右に曲がって、200メートル先の青い看板の隣だよ」 という答えを期待するなら、あなたはS的な感覚を求めています。
逆に、 「街のエネルギーが少し静かになる方向に歩いていけば、自然とそこに辿り着くはずだよ」 なんていう答えに納得できるなら、あなたはNの住人かもしれません。
世界は、細部(S)と全体(N)の両方でできています。 どちらか一方が欠けても、物語は成立しません。 精巧に組み上げられた時計の歯車が必要なのと同時に、その時計が刻む「時間」という目に見えない概念もまた、僕たちには必要なのです。
あなたは今日、目の前のコーヒーの「温度」を感じていますか? それとも、その「湯気の行方」に物語を読み取っていますか?