ベトナムとサイゴンとホーチミン #計画中

LCC(格安飛行機)の台頭は素晴らしく、世界がとても近くなりました。で、次に行こうと思っているのはベトナムのホーチミンです。ありがとうベトジェットエア。昔はサイゴンと呼ばれていた所です。ベトナム戦争まではサイゴンと呼ばれていましたが、戦争中に活躍した革命家ホー・チ・ミンさんの名前が都市に付けられたという経緯があるようです。

そこへ行こうと思うと、その時からその場所への関心が深まってきます。ホーチミン行きのチケットを取ってからというもの、ベトナム関係のことをど素人ながら調べ始めております。

「ミス・サイゴン」は、有名なミュージカルです。私も名前だけは知っています。見たことはありません。どうやらストーリーを調べると、ベトナム戦争の時にやってきたアメリカ兵が、ベトナム人女性と仲が深くなり、子供が宿されていたのだが、その頃終戦し、そのベトナム人女性と会えずにアメリカに帰ってしまう。アメリカで別の人と結婚し家庭を持つが、そのベトナム人女性のことを忘れられずにいる、そして、ベトナム人女性もアメリカ人をずっと待っているが来ない。そんな人たちがタイ・バンコクで出会う。そんなお話らしいです。

シルベスタ・スタローンの「ランボー」も、ベトナム戦争で傷ついた兵士がアメリカに帰るが、アメリカではベトナム戦争の兵士たちを受け入れず、母国でさらに傷ついていく様子が描かれているとのことです。昔テレビで少しだけ見たことがあったけど、ひたすら銃を乱射しているイメージで、こんな観点で考えたことありませんでした。

ベトナム戦争は1960-1975。終戦してからまだ40年しか経っていません。ベトナムを北と南に分けて、共産主義と民主主義の代理戦争が行われていたことは何となくは知っていても、あくまで歴史の一コマでしかありませんでした。けれどもせっかくホーチミンまで行ったら、資料館のようなところに行ってみたいですね。

ベトナムは、植民地時代フランスの支配下にありました。そのため、フランス文化が様々な場所に残っていて、ホーチミンは「東洋のパリ」と呼ばれることもあるそうです。美味しいフランスパンが食べられたり、ベトナムコーヒーを美味しく楽しめるとのこと。年配の方々や知識階級はフランス語が話せるそうです。

中国との関係という意味で、日本人はベトナムと親近感が持てるなと感じます。以前ベトナムは「南越」と呼ばれていて、それは「中国から南に越えたところ」という意味です。日本は自分たちが世界の中の一つの国にすぎないと自覚した最初は、「中国から見て東側の国:日が昇ってくる側の国:日本」だったわけですから、私たち東側、あなたたち南側という感じです。ベトナムも日本も中国から漢字を輸入し、自分たちの言葉に取り入れて使っていました。ベトナムはフランスの占領中に、フランス語に似たアルファベット表記のクォック・グーと呼ばれる言葉に変更してしまったため(1954)、そこで漢字文化はなくなってしまったわけですが、もともとあった独自の文化に漢字が入ってきてから、他の国の干渉を受けたという意味では同じだと思います。フランスに色々と干渉されたベトナムと、アメリカに干渉された日本です。ベトナムの場合、フランスの後に、「北側:中国・ソ連」「南側:アメリカ」という干渉ももちろんあったわけですが。

ベトナムに住む人種は、黒い人たちは少ないと思われます。東南アジアでもミャンマーまで西側に来ると、インドやバングラデシュと接しているために、インド系、イスラム教徒が含まれるようになってきます。ベトナムまで東側なら、中国系、韓国系のアジアテイストが強くなるはずです。

そして後は、生春巻きやフォーに代表されるベトナム料理でしょうか。とても美味しいと評判です。何件か食べてみたいものです。

ホテルを調べてみましたが、バンコクとそう変わりません。一泊二千円程度で十分綺麗なホテルに泊まれます。

「最近、地球って小さくなった?」