当たるな砕けるな

いつものラーメン屋のランチが混んでいる。私は先輩に冗談半分で「このアンケート用紙に、厨房で料理している人が一人の時に待たされて困る、いつもは二人なのに、って書いておきましょうかねぇ」と言った。
先輩は真面目に「そんな所に書いても無駄だよ。本当に変えさせようとしたら保健所辺りに調査を依頼するほうが可能性が高い。アンケートなんてもみ消されるだけだから」と答えた。
私は一旦ふーん、と思った。その後、教訓がひらめいた。当たって砕けるのは悪いことではないが、策略としては程度があまりにも低すぎるんだな、と。人が動く簡単な考え方として「何もしなきゃ何も変わらない、まずは当たって砕けろ、当たる前に砕けるな!だ」というのを知っている。私も影響を受けている。
悪くはない。悪くはないんだ。が、TVで納豆ダイエットが放映されて次の日に納豆を大量に買うぐらい、これは単純すぎる行動だ。本当に実現したいことがあるなら、もう少し考えてから動く必要がある。
組織の中にいれば常に、変化を求める部分があって当然といえる。環境を向上させたい、周りの人間の能力を変えたい、規律を変えたい、雰囲気を変えたい、ごく当たり前。そのために何を考えるのがセオリーなんだろうか?
当たって砕けろでは、うまくいく可能性は限りなく低い。もう少し厳しく書くと、本当に変える気持ちがないと誤解されるぐらいだ。上司に直談判というのはかなり幼稚な手だ。相手も困惑するし、自分もその後に悪影響が出やすい。そりゃそうだ、自分が部下から「もっと仕事してください」と言われたことを想像すればいい。結果は見えている。だが、そこを考えることがなかなかできず、当たって砕けちまうのも実際よくあることだ。
まずは一番変化させやすい所から手をつける。それは大抵自分の意見だろう。洞察力をバージョンアップして、変化させたいという気持ちを抑える。本当に変化が必要で、動機も純粋な良いものであるならば、変化させるための最良策を練ることが求められるだろう。
最良策の候補に上がってくるのは大抵、上司に気づかせる、上司が自分がひらめいたかのように状況を作り上げることになる。気づかせるための情報をどうやって上司にインプットしていくか。他の人が言っていたことを伝える、他の人から伝わるように仕向けるなどがある。
まさに当たるな砕けるなこそ策の基本といえる。これに気が付くまで私は相当砕けまくってきた。哀れ。