安室奈美恵とNao’ymtと”Get Myserf Back”

ある曲を好きになる要素と言うのはいくつもあって、ある人はコード進行だけで好きになることもあるし、熱狂的なファンだったらその人が歌ってさえいれば何でも好きになったりすることもありますね。

私はというと、イントロが気持ちいいとか、アレンジが気持ちいいとか、メロディが好きだとか、歌詞がぐっとくるとか、思い出の曲だとか、歌って気持ちい曲だとか、まぁいろんな理由でいろんな曲を好きになります。

昔はカセットテープとかMDだったわけですが、今となってはスマホに大量に放り込み、ランダムにしたり、お気に入りに☆を付けて優先的にかけたりと、色々な楽しみ方があります。昔に比べてイヤホンも高性能なものが増えて、音楽再生環境としては素晴らしい状況だといえるのではないでしょうか。もちろん、最近作り出される音楽にちょっと物足りなさを感じていることも付け加えておきたいと思います。

さて、私はAndroidのスマホNexus5で、アプリはPower AMPを使っています。イヤホンはSONYの5,000円くらいのものですね。ベッドに寝ころびながら、大量に放り込んだ曲の中からランダムにかかる音楽をひたすら聞き続ける時間と言うのも楽しいひと時です。☆の数をいつも調整していて、「やっぱこの曲好きだな」と思うと☆を一つ増やしたり、「なんかこの曲ちょっと色あせてきたな」と思うと☆を一つ減らしたりします。

先日ここ数年の安室奈美恵のアルバム曲を足しました。そういえば聞いていなかったなと思いまして。嵐とAKBグループとEXILEグループばかりのヒットチャートの中に、毎年安室波平(個人的にこう呼んでいるだけであり、気分を害したらすみません)はきちんとランクインし、活動がずっと続いているのは嬉しい限りです。彼女が1977年生まれで、私とは同級生になるというのも何となく親近感を覚えている理由の一つかもしれません。

彼女のお母さんが亡くなったニュースを聞いたときの何とも言えない気持ちをまだ覚えています。1999年だから、今から15年以上前ですね。義理の弟から殺された自分の母親。自分に起こったとしたらどんな感情になるのでしょう。

さて、曲のイントロで好きになるということがあると書きました。これはもう迷いなく Nao’ymtさんを挙げないわけにはいきません。調べてみると1976年生まれで、私の少し先輩になりますが同世代です。appleのiTuneでの音楽配信が始まったころ、ランキングの高い曲を視聴していた時に出会った曲が、Nao’ymtの作った音楽でした。

「なんだか気持ちいいイントロ」だなと、特徴的なものを感じたのです。そして、彼は安室奈美恵に何度か楽曲提供をするようになります。

Baby Don’t Cryという曲があって、確か釈由美子の出てたドラマの主題歌だったような気がしますが、最初の5秒だけで、「これは絶対にNao’ymtの作った音だ」と分かりました。これは好きになったコカ・コーラは、飲んだ瞬間にペプシと見分けられるのと似ています。

私にとって安室波平&Nao’ymtというのは、気持ちの良いコンビです。二人で歌っている、「Ups & Downs」という曲もとてもお気に入りで、これまで何度聞いたかわかりません。

さて、今回仕入れた曲の中に、「Get Myself Back」という曲がありました。最初に聞いた瞬間からなんだかワクワクするような感情が起こされる曲で、アレンジとメロディと歌詞と歌い手がとてもうまく似合っていると思います。この曲何度聞いてもいいです。これだけ大量に曲が放り込まれているスマホの中で☆の最高数を獲得しています。(同率首位はDEPAPEPEと岡村靖幸のとある曲です)

どんな気持ちで安室波平は歌っているのかなと思うと嬉しくなる。なんだかこっちまで元気になる。こういうまっすぐなメッセージはとても好きです。

音楽の力を、僕は信じる。

7つの習慣 何度目かの再読と再考 kindle本という新しい世界

私が初めて7つの習慣を読んだのは、23歳頃のことだったと思います。とても年の離れている先輩から、「人を動かす」というD・カーネギーの本をプレゼントされて、自己啓発という分野に生まれて初めて触れ、興味を持ち始めたのがきっかけでした。自分がどうふるまうか、どうやって他の人と交流するのかということについて、いろんな方法論があるのだという世界を知りました。

最初に買ったハードカバーの「7つの習慣」を読んでいるときは本当に新鮮で、いくつもの文章に線を引き、メモをとり、ページの端を折ったものでした。このころ学んだことが、確実に今の自分に影響していることはよく分かります。読んでなかったとしたらどんな人になっていたか…、考えられないですね。

そんな私にとって大切な本を久しぶりに読み返そうとしました。2013年に翻訳が調整されて再出版されている方はまだ読んでいませんでしたので、こちらを読もうとしました。ここで考えたのが、ハードカバーを買うかkindle版を買うかです。やはり本は紙で読みたいというのがあります。しかし、移動が多い生活をしているため、ハードカバーを持ち歩くのは重いのです。そして、もう一つの検討材料は、Kindle本の特徴である、「ハイライト/アンダーライン」機能です。

このハイライト機能が優れものなのです。スマホからだろうが、タブレットからだろうが、気になったところに線を引いておく、そして、後からPCでまとめて参照することができるのです。「あ、あそこに何て書いてあったんだっけな」と思ったときに、本をもってきて、そのページを開いて、見ながらPCに入力したり、メモに書き写したりする必要がないのです。

今回kindle版を購入し、タブレットやスマホで読み進めました。結局ハイライトしたのは、85個所でした。これをどばっと1ページで表示できるのです。何て時代だ。

(Kindleでハイライトした個所を表示するためのサイト)
https://kindle.amazon.co.jp/

これから、85個所の中から特にブログに書きたいところだけ引用して色々と述べていきたいと思っています。安心してください、今回はひとつだけです。


当のガンジーはどうしていたかというと、田畑を歩き回り、静かに、ゆっくりと、誰も気づかないうちに、農民に対する自分の影響の輪を広げていた。ガンジーに対する支持、信頼、信用が大きなうねりとなって農村部に広まっていった。彼は公職に就いておらず、政治的な立場もなかったが、その勇気と思いやりとによって、そして良心に訴える説得や断食によって、ついにイギリスを屈服させ、大きく広がった影響の輪の力で三億人のインド人に独立をもたらしたのである。

この本の中には、「影響の輪」と「関心の輪」という説明が出てきます。これはちょっとネーミングがイマイチなんですが、言っていることはとても分かりやすいです。

自分が優先するべきなのは、「影響の輪」の中にするのが良い、ということが趣旨です。この影響の輪と言うのは、自分が直接手を加えることができる、触れることができる、変化させることができることの範囲を指しています。

「関心の輪」というのは、大抵「影響の輪」よりもずっと広くて、自分の関心のあること全てを指しています。そこには、影響の輪の外にある、自分が変更することができないこと、自分が触れることができないことが含まれています。

これは、変化させることができることに集中し、変化させることができないことは変化させようとしないのが良い。何が変化させられることなのか、何は変化させられないものなのかを見分けないといけない、という意味を含んでいます。

そこでガンジーの例が引き合いに出されます。インドに独立をもたらそうと思ったとして、「自分には何ができるのか」「何はできないのか」ということをきちんと見分け、影響の輪の中、自分にできることに集中し続けた結果として、最終的には大きな変化をもたらすことができたという例です。

これは、影響の輪の中に集中すると、少しずつ影響の輪は大きくなっていくということも意味しています。最初の段階では、自分の隣にいる人しか変えられないかもしれない。けれども、自分の隣にいる人が変わり、その友人が変わり、友人たちが変わっていくときに、影響の波がどんどん大きくなっていくという説明です。

逆もしかりです。結果だけが欲しくて、自分が影響することができない分野や人に向けてひたすら努力しても、何も変わっていかない。それどころか、自分の影響の輪はどんどん小さくなってくるということもあるということが説明されます。

例えば、「うらやましい」という感情があります。とても人間的な感情ですが、うらやましくなるというのは、自分には得ることができないものを他人が持っているのでそれを欲しいという感情です。では、うらやましいと思い続ければ、その得られなかったものを自分が得られるのでしょうか。そうではないことがほとんどでしょう。どちらかといえば、自分が得られない、うらやましいという感情のことは考えないで、自分が得ることができることに集中した方が、自分が得るものが大きくなる可能性は高いです。

「あいつはかっこよくてずるいなあ」と思い続けて悪感情を持ってうじうじするより、自分のそばにいる友人に何かの親切を示し、相手の話し相手となったり、相手が欲しいものを見つけてプレゼントしたり、相手が困っているだろうことを解決してあげようとして時間を使った方が、一人の友人との関係をよくすることができて、それは自分の良い性格を強化することになって、それは自分の魅力になっていったりするのです。

うーむ。。こんな調子で85回もやったら大変だなあ。。

 

ベトナムとサイゴンとホーチミン #計画中

LCC(格安飛行機)の台頭は素晴らしく、世界がとても近くなりました。で、次に行こうと思っているのはベトナムのホーチミンです。ありがとうベトジェットエア。昔はサイゴンと呼ばれていた所です。ベトナム戦争まではサイゴンと呼ばれていましたが、戦争中に活躍した革命家ホー・チ・ミンさんの名前が都市に付けられたという経緯があるようです。

そこへ行こうと思うと、その時からその場所への関心が深まってきます。ホーチミン行きのチケットを取ってからというもの、ベトナム関係のことをど素人ながら調べ始めております。

「ミス・サイゴン」は、有名なミュージカルです。私も名前だけは知っています。見たことはありません。どうやらストーリーを調べると、ベトナム戦争の時にやってきたアメリカ兵が、ベトナム人女性と仲が深くなり、子供が宿されていたのだが、その頃終戦し、そのベトナム人女性と会えずにアメリカに帰ってしまう。アメリカで別の人と結婚し家庭を持つが、そのベトナム人女性のことを忘れられずにいる、そして、ベトナム人女性もアメリカ人をずっと待っているが来ない。そんな人たちがタイ・バンコクで出会う。そんなお話らしいです。

シルベスタ・スタローンの「ランボー」も、ベトナム戦争で傷ついた兵士がアメリカに帰るが、アメリカではベトナム戦争の兵士たちを受け入れず、母国でさらに傷ついていく様子が描かれているとのことです。昔テレビで少しだけ見たことがあったけど、ひたすら銃を乱射しているイメージで、こんな観点で考えたことありませんでした。

ベトナム戦争は1960-1975。終戦してからまだ40年しか経っていません。ベトナムを北と南に分けて、共産主義と民主主義の代理戦争が行われていたことは何となくは知っていても、あくまで歴史の一コマでしかありませんでした。けれどもせっかくホーチミンまで行ったら、資料館のようなところに行ってみたいですね。

ベトナムは、植民地時代フランスの支配下にありました。そのため、フランス文化が様々な場所に残っていて、ホーチミンは「東洋のパリ」と呼ばれることもあるそうです。美味しいフランスパンが食べられたり、ベトナムコーヒーを美味しく楽しめるとのこと。年配の方々や知識階級はフランス語が話せるそうです。

中国との関係という意味で、日本人はベトナムと親近感が持てるなと感じます。以前ベトナムは「南越」と呼ばれていて、それは「中国から南に越えたところ」という意味です。日本は自分たちが世界の中の一つの国にすぎないと自覚した最初は、「中国から見て東側の国:日が昇ってくる側の国:日本」だったわけですから、私たち東側、あなたたち南側という感じです。ベトナムも日本も中国から漢字を輸入し、自分たちの言葉に取り入れて使っていました。ベトナムはフランスの占領中に、フランス語に似たアルファベット表記のクォック・グーと呼ばれる言葉に変更してしまったため(1954)、そこで漢字文化はなくなってしまったわけですが、もともとあった独自の文化に漢字が入ってきてから、他の国の干渉を受けたという意味では同じだと思います。フランスに色々と干渉されたベトナムと、アメリカに干渉された日本です。ベトナムの場合、フランスの後に、「北側:中国・ソ連」「南側:アメリカ」という干渉ももちろんあったわけですが。

ベトナムに住む人種は、黒い人たちは少ないと思われます。東南アジアでもミャンマーまで西側に来ると、インドやバングラデシュと接しているために、インド系、イスラム教徒が含まれるようになってきます。ベトナムまで東側なら、中国系、韓国系のアジアテイストが強くなるはずです。

そして後は、生春巻きやフォーに代表されるベトナム料理でしょうか。とても美味しいと評判です。何件か食べてみたいものです。

ホテルを調べてみましたが、バンコクとそう変わりません。一泊二千円程度で十分綺麗なホテルに泊まれます。

「最近、地球って小さくなった?」