7つの習慣 何度目かの再読と再考 kindle本という新しい世界

私が初めて7つの習慣を読んだのは、23歳頃のことだったと思います。とても年の離れている先輩から、「人を動かす」というD・カーネギーの本をプレゼントされて、自己啓発という分野に生まれて初めて触れ、興味を持ち始めたのがきっかけでした。自分がどうふるまうか、どうやって他の人と交流するのかということについて、いろんな方法論があるのだという世界を知りました。

最初に買ったハードカバーの「7つの習慣」を読んでいるときは本当に新鮮で、いくつもの文章に線を引き、メモをとり、ページの端を折ったものでした。このころ学んだことが、確実に今の自分に影響していることはよく分かります。読んでなかったとしたらどんな人になっていたか…、考えられないですね。

そんな私にとって大切な本を久しぶりに読み返そうとしました。2013年に翻訳が調整されて再出版されている方はまだ読んでいませんでしたので、こちらを読もうとしました。ここで考えたのが、ハードカバーを買うかkindle版を買うかです。やはり本は紙で読みたいというのがあります。しかし、移動が多い生活をしているため、ハードカバーを持ち歩くのは重いのです。そして、もう一つの検討材料は、Kindle本の特徴である、「ハイライト/アンダーライン」機能です。

このハイライト機能が優れものなのです。スマホからだろうが、タブレットからだろうが、気になったところに線を引いておく、そして、後からPCでまとめて参照することができるのです。「あ、あそこに何て書いてあったんだっけな」と思ったときに、本をもってきて、そのページを開いて、見ながらPCに入力したり、メモに書き写したりする必要がないのです。

今回kindle版を購入し、タブレットやスマホで読み進めました。結局ハイライトしたのは、85個所でした。これをどばっと1ページで表示できるのです。何て時代だ。

(Kindleでハイライトした個所を表示するためのサイト)
https://kindle.amazon.co.jp/

これから、85個所の中から特にブログに書きたいところだけ引用して色々と述べていきたいと思っています。安心してください、今回はひとつだけです。


当のガンジーはどうしていたかというと、田畑を歩き回り、静かに、ゆっくりと、誰も気づかないうちに、農民に対する自分の影響の輪を広げていた。ガンジーに対する支持、信頼、信用が大きなうねりとなって農村部に広まっていった。彼は公職に就いておらず、政治的な立場もなかったが、その勇気と思いやりとによって、そして良心に訴える説得や断食によって、ついにイギリスを屈服させ、大きく広がった影響の輪の力で三億人のインド人に独立をもたらしたのである。

この本の中には、「影響の輪」と「関心の輪」という説明が出てきます。これはちょっとネーミングがイマイチなんですが、言っていることはとても分かりやすいです。

自分が優先するべきなのは、「影響の輪」の中にするのが良い、ということが趣旨です。この影響の輪と言うのは、自分が直接手を加えることができる、触れることができる、変化させることができることの範囲を指しています。

「関心の輪」というのは、大抵「影響の輪」よりもずっと広くて、自分の関心のあること全てを指しています。そこには、影響の輪の外にある、自分が変更することができないこと、自分が触れることができないことが含まれています。

これは、変化させることができることに集中し、変化させることができないことは変化させようとしないのが良い。何が変化させられることなのか、何は変化させられないものなのかを見分けないといけない、という意味を含んでいます。

そこでガンジーの例が引き合いに出されます。インドに独立をもたらそうと思ったとして、「自分には何ができるのか」「何はできないのか」ということをきちんと見分け、影響の輪の中、自分にできることに集中し続けた結果として、最終的には大きな変化をもたらすことができたという例です。

これは、影響の輪の中に集中すると、少しずつ影響の輪は大きくなっていくということも意味しています。最初の段階では、自分の隣にいる人しか変えられないかもしれない。けれども、自分の隣にいる人が変わり、その友人が変わり、友人たちが変わっていくときに、影響の波がどんどん大きくなっていくという説明です。

逆もしかりです。結果だけが欲しくて、自分が影響することができない分野や人に向けてひたすら努力しても、何も変わっていかない。それどころか、自分の影響の輪はどんどん小さくなってくるということもあるということが説明されます。

例えば、「うらやましい」という感情があります。とても人間的な感情ですが、うらやましくなるというのは、自分には得ることができないものを他人が持っているのでそれを欲しいという感情です。では、うらやましいと思い続ければ、その得られなかったものを自分が得られるのでしょうか。そうではないことがほとんどでしょう。どちらかといえば、自分が得られない、うらやましいという感情のことは考えないで、自分が得ることができることに集中した方が、自分が得るものが大きくなる可能性は高いです。

「あいつはかっこよくてずるいなあ」と思い続けて悪感情を持ってうじうじするより、自分のそばにいる友人に何かの親切を示し、相手の話し相手となったり、相手が欲しいものを見つけてプレゼントしたり、相手が困っているだろうことを解決してあげようとして時間を使った方が、一人の友人との関係をよくすることができて、それは自分の良い性格を強化することになって、それは自分の魅力になっていったりするのです。

うーむ。。こんな調子で85回もやったら大変だなあ。。

 

ベトナムとサイゴンとホーチミン #計画中

LCC(格安飛行機)の台頭は素晴らしく、世界がとても近くなりました。で、次に行こうと思っているのはベトナムのホーチミンです。ありがとうベトジェットエア。昔はサイゴンと呼ばれていた所です。ベトナム戦争まではサイゴンと呼ばれていましたが、戦争中に活躍した革命家ホー・チ・ミンさんの名前が都市に付けられたという経緯があるようです。

そこへ行こうと思うと、その時からその場所への関心が深まってきます。ホーチミン行きのチケットを取ってからというもの、ベトナム関係のことをど素人ながら調べ始めております。

「ミス・サイゴン」は、有名なミュージカルです。私も名前だけは知っています。見たことはありません。どうやらストーリーを調べると、ベトナム戦争の時にやってきたアメリカ兵が、ベトナム人女性と仲が深くなり、子供が宿されていたのだが、その頃終戦し、そのベトナム人女性と会えずにアメリカに帰ってしまう。アメリカで別の人と結婚し家庭を持つが、そのベトナム人女性のことを忘れられずにいる、そして、ベトナム人女性もアメリカ人をずっと待っているが来ない。そんな人たちがタイ・バンコクで出会う。そんなお話らしいです。

シルベスタ・スタローンの「ランボー」も、ベトナム戦争で傷ついた兵士がアメリカに帰るが、アメリカではベトナム戦争の兵士たちを受け入れず、母国でさらに傷ついていく様子が描かれているとのことです。昔テレビで少しだけ見たことがあったけど、ひたすら銃を乱射しているイメージで、こんな観点で考えたことありませんでした。

ベトナム戦争は1960-1975。終戦してからまだ40年しか経っていません。ベトナムを北と南に分けて、共産主義と民主主義の代理戦争が行われていたことは何となくは知っていても、あくまで歴史の一コマでしかありませんでした。けれどもせっかくホーチミンまで行ったら、資料館のようなところに行ってみたいですね。

ベトナムは、植民地時代フランスの支配下にありました。そのため、フランス文化が様々な場所に残っていて、ホーチミンは「東洋のパリ」と呼ばれることもあるそうです。美味しいフランスパンが食べられたり、ベトナムコーヒーを美味しく楽しめるとのこと。年配の方々や知識階級はフランス語が話せるそうです。

中国との関係という意味で、日本人はベトナムと親近感が持てるなと感じます。以前ベトナムは「南越」と呼ばれていて、それは「中国から南に越えたところ」という意味です。日本は自分たちが世界の中の一つの国にすぎないと自覚した最初は、「中国から見て東側の国:日が昇ってくる側の国:日本」だったわけですから、私たち東側、あなたたち南側という感じです。ベトナムも日本も中国から漢字を輸入し、自分たちの言葉に取り入れて使っていました。ベトナムはフランスの占領中に、フランス語に似たアルファベット表記のクォック・グーと呼ばれる言葉に変更してしまったため(1954)、そこで漢字文化はなくなってしまったわけですが、もともとあった独自の文化に漢字が入ってきてから、他の国の干渉を受けたという意味では同じだと思います。フランスに色々と干渉されたベトナムと、アメリカに干渉された日本です。ベトナムの場合、フランスの後に、「北側:中国・ソ連」「南側:アメリカ」という干渉ももちろんあったわけですが。

ベトナムに住む人種は、黒い人たちは少ないと思われます。東南アジアでもミャンマーまで西側に来ると、インドやバングラデシュと接しているために、インド系、イスラム教徒が含まれるようになってきます。ベトナムまで東側なら、中国系、韓国系のアジアテイストが強くなるはずです。

そして後は、生春巻きやフォーに代表されるベトナム料理でしょうか。とても美味しいと評判です。何件か食べてみたいものです。

ホテルを調べてみましたが、バンコクとそう変わりません。一泊二千円程度で十分綺麗なホテルに泊まれます。

「最近、地球って小さくなった?」

吉田茂が果たした役割(ドラマ「負けて、勝つ 戦後を創った男・吉田茂」を見て)

まず私は、歴史があまり得意ではありません。ですから、ここに書く事柄は、歴史が好きな方々にとってはあまりにも基礎的なことで、楽しめないかもしれません。その点前置きさせていただければ幸いです。

ここ数年、近年日本史にとても興味が沸いて、それは龍馬伝を見たのがきっかけだったと思うのですが、その後「坂の上の雲」を見て、となれば、さらに太平洋戦争の頃やそれが終結した頃のことが見たくなりました。

「日本のいちばん長い日」という映画も見ました。ポツダム宣言を受託する政府の対応と昭和天皇に録音してもらった玉音放送を流すところまでが扱われたものです。去年リメイクされていたことを知らずに、古いほうで見ました。 1967年に、東宝創立35周年記念として作成されたものです。この映画を見て、当時の陸軍や海軍の様子の理解が進みました。

そして、「負けて、勝つ 戦後を創った男・吉田茂」を見ました(以後、吉田茂ドラマと呼びます)。こちらは、2012年にNHK『土曜ドラマスペシャル』で全5回で作られたものです。TSUTAYAレンタル、助かります。吉田茂ドラマは、太平洋戦争前後のことが扱われていて、吉田茂が外交官として活動していた戦前のことや、戦時中に反戦活動で拘留されていたこと、戦後にマッカーサーとしていた交渉、総理大臣となってサンフランシスコ講和条約と日米安保条約を結ぶ部分などが扱われています。

安保問題って生まれてこの方ずっとイマイチ理解できないでいたのですが、初めて少しわかりました。年は取るものだなあ。アメリカありきの日本の独立。この問題が解決することはないだろうなという私の感想はさておき、このドラマのことについて少し述べます。

まず、渡辺謙がとてもよかったです。まさに適役。

さて、大根系として、吉田栄作を挙げたいと思います。どんなドラマにでもいる、一気に雰囲気を壊してしまうミスマッチな配役です。これはなかなか見ものです。不器用なんだなこの方。朝鮮戦争のために、アメリカが再軍備をちらつかせてきた時に突っ走ってしまう元陸軍士官で、陸軍を復活させようとする役どころなんですが、うーん。全然感情移入できませんでした。他がうまいと、こういう人がとんでもなく目立つ。

脚本、悪くはなかったけど、ところどころちょっとのんびりしたかな。もう少しテンポ良くてもよかったと思います。逆に、天皇とマッカーサーが会話する部分が挿入されていれば良かったのではないかと思いましたが、これはあえて抜いてあるのかもしれません。

私がどうして近年日本史が興味深いと思うようになったかと言うと、そこには、不変の日本人らしさが分析できるんだということに気付き始めたからです。江戸時代しかり、明治維新しかり、日露戦争しかり、太平洋戦争しかり、戦後の復興しかり、時代の波に翻弄される日本人の歴史は、やはり他人事とは思えない親近感があるのです。

軍部が暴走したから日本は戦争に突入した。そして、戦争が終わってから司令官たちは、「自分は戦争がしたいとは思わなかったが、それを否定できるような空気ではなかった」と答えたりします。外国人から見たら訳が分からないでしょう。しかし私たちはなんだか、わかるのです。「このまま行ったらダメだろうな。。」と思いつつも、恥への恐れと何よりも強い協調性を持つ我々の国民性は、間違ったまま突っ走ることがとてもよくあるのです。「イギリスやスペインやアメリカと同じように、我々もアジア圏を植民地にするのだ」としか考えられないのです。自分たち日本だけが、日露戦争で勝ったところで、「もう戦争は終わりにして、それぞれの国が独立できるように援助することに率先しよう」なんて言い出せたら、もうそれは日本人ではないのです。笑。

私は、政治をする方々が、文系なのか理系なのかということを時々考えます。脳みそで言えば、右脳的か左脳的かということです。感情優先なのか、理論優先なのかということです。物事を進めるとき、小さなプロジェクトだろうが国を動かすような大きなプロジェクトだろうが関わりなく、この感情部分と理論部分をどうやって混ぜていくのかというのがとても大事だと思うのです。

感情なく理屈だけで進めれば、間違ってはいないが人の心に届かない。理屈なく感情だけで進めれば、後からひどいしっぺ返しを食らうし、そもそもうまくいくわけない。これをどうやって混ぜられるか、これが問題なのです。

一人の人が、感情面も理論面も完璧にカバーできるということはまずあり得ません。時にはそんな天才もいるのかもしれませんが、現実的ではないでしょう。司馬遼太郎のような偉大な小説家をもってしても「私は算数が苦手だ」と言ったのです。小学生の頃に、「国語や社会が好きだった子」と「算数や理科の実験が好きだった子」は、大人になってから、それぞれの得意分野が大きく異なることに気づき、お互いがフォローしあえる関係になります。

この、持って生まれたものというのは、どうしようもないのです。運動が苦手な子がプロサッカー選手になろうと思っても、どうやっても無理なのです。物事を記憶して人に配慮することが特に得意な文系と呼ばれる人たちが、難しい思考の結果としてどんな人からも間違っていないと言われるようなロジック・理論を組み立てるのはどうやっても無理なのです。そして、理論を組み立てて、理屈なら正しいことをとんでもないスピードで思考できる人が、回りの人の感情にひたすら配慮して物事を進めるというのは、逆立ちしてもできないことなのです。

政治は文系の人たちの世界です。他人に配慮して、他の人から目をかけられ、他の人から好意を持たれ、自分の立場を他の人から引き上げてもらわなければならないからです。そこで一つ心配なのは、政治の世界に、理論やロジックをどうやって持ち込んでいくのかと言うことです。気難しい理屈屋の技術をきちんと引き出せるノウハウがそこにはなければなりません。いわば、優秀な営業と、優秀な技術屋、これらがしっかりと組み合わされば、たいていの物事は解決できます。営業が感情面をすべてケアし、技術屋がロジックを破たんなく組み立てていく。このコンビネーションです。

これがうまくいった会社は、成功します。これがうまくいったプロジェクトは、順調に進みます。これがうまくいった国は、成長し続けていくはず、なのです。吉田茂は、優秀な官僚を引き上げて、政治に足そうとしました。佐藤栄作や池田勇人など。これらがどれほど右脳と左脳をミックスしたのか私にはまだわかりませんが、物事がうまくいっているときって大抵こういうことなんじゃなかろうかと思うようになってきました。

けっこうまとまりのない文章ですみませんでした。(最近こういうことが多い…)多分私の言いたいことは、日本の歴史を、今動いている物事を進めるときの参考にしたい、ということです。そして、ドラマ結構面白かったので、よかったらどうぞ。