子育て/動機のクオリティ

“親業”という子育ての参考本があります。私は子供はいませんが、興味があって読みました。上手な子育てには学ぶところが多いだろうなという推測があったからです。また、指示を受けるということや指示して訓育するという組織にいれば必ず必要なことを、ビジネス本ではない角度で考えたいと思っていたからというのもあります。

最近考えている動機の質を、子育ての一場面に当てはめて分析したいと思います。車道に飛び出したらいけない、ということを教える場面です。子供の行動にも必ず動機があり、心が決めています。

<教える際に意識できる動機の成分/どの動機を強化して動かすか>

レベル1.罰則を恐れて行動する(こわいから)
-車道に飛び出したらおしりぺんぺんですよ!

レベル2.報酬を求めて行動する(ほしいから)
-車道に出ないで偉い子にしていたらおもちゃ買ってあげるわ

レベル3.義務感ゆえに行動する(やるのがとうぜんだから)
-みんな飛び出したりしないでしょう?おかしいからやめなさい

レベル4.愛や欲求ゆえに行動する(やりたいから)
-車道に飛び出して、車が走ってきてあなたが衝突して跳ね飛ばされたたら、骨が折れてものすごく痛い思いをするので注意したほうがいいわよ。もし頭を打ったりしたら死ぬかもしれないわ。死んだらもう楽しく遊ぶこともできないし、美味しいお菓子を食べることもできなくなるわ。あなたの好きな花子ちゃんとも会えなくなるのよ。

レベル5.意義を感じ取り、与えたいと願って行動する(あたえたいから)
-もしあなたが車にぶつかって怪我をしたら悲しむ人がたくさんいるわ。車を運転している人は何てことをしてしまったんだと思って悲しい気持ちになるの。そしてもちろんお父さんとお母さんはそれ以上に悲しい。もし死んでしまったとしたら、ずっと泣くわ。だから、車道に飛び出さないで欲しいと心から思っているの。

“親業”の中では、「わたしメッセージ」という表現でこのことの価値を説明していました。教える時に、アメやムチでコントロールするのではなく、命令するのではなく、自分がどう感じているかを素直に表現することにより子供が自分から判断できるようにするという流れで、とても良い考え方だと共感しました。

ずっとレベル1,2の質で育てられてきた人は、高いレベルに取り組むのが非常に難しいことでしょう。友達を動かそうとする時、組織の中で周りの人を動かそうとした時、同じようなことを真似てしまうのは仕方の無いことです。こんなところにも、育った環境が強く影響していると思います。

しかし、強い影響を受けていたとしても、認識を深くしていけば、新しい考え方を習得することができる。それが人間のすごいところです。“あたえたいから”という動機が自分や相手の中に根付いていけば、物事はうまく回り始めると思います。人ってそういう風に造られているんだなと実感しております。

変化を求める時には、自分の与えたい感情を率直に、かつ巧みに伝えること(それは相手の意見をまず先に聞くことが最重要)。そして、決してコントロールしようとしたり、理屈をこねたりしないこと。子育ての教訓から学びました。

全ての物事は2回

誰でもやるべきことをメモっておいて終わったら消す、という方法で仕事を片付けます。買い物に行く主婦はチラシに丸を付けて、もしくは裏に買うべきものを書いてスーパーへ行きます。ビジネスマンは手帳にToDoリストを付けてそれを潰したりします。もしくは裏紙に仕事をごちゃごちゃと書き込んでは、終わるたびに真っ黒に塗りつぶしてストレスを発散しているような人もいて興味深いですし、全部脳の中で完結してしまう人もいます。

少し前のことになりますが、流行っているらしい仕事術にGTD(Getting Things Done)という方法があり、関心があって調べました。それはToDoリストを使うことになぜ価値があるのか伝えるものだと感じましたのでまとめてみます。参考にしたのは“ストレスフリーの仕事術”という本でした。

タイトルに付けた“全ての物事は2回”とはとても簡単なことです。1回目として、頭の中で考えたり、イメージしたり、設計したりすること。2回目として、実際に発言したり、行動したり、作成したりすることです。想像と創造、設計と実装、imageとdraw、予定と行動となります。しかしこれは、とても複雑になりがちです。何か別のことを考えたり覚えたりしながら、実際今取り組んでいることとは関係ないことも多いからです。何のメモも手帳もなしに、あらゆる仕事や買い物や当番や家事ややりたいことを全て忘れずに果たすのはとっても難しいと思います。みんな“何らかの方法”で予定して行動しています。ほとんど頭の記憶に頼る人もいれば、できるだけ書き出す人もいることでしょう。

GTDはそこへ注目させます。“なんかやらなきゃいけないことごちゃごちゃしてるでしょ?”、“ごちゃごちゃしてるといくら仕事してもスッキリしないでしょ”、“昔はこんなに複雑じゃなかったのに最近はみんなごちゃごちゃしているんだ”と問いかけてきます。そして、“ごちゃごちゃをキレイにしたら毎日がスッキリして気持ちがいいよ?部屋を綺麗に片付けたみたいにね。”と励ましているように感じられました。

その方法は、やらなきゃならないことを全部紙に書き出して分類する、というシンプルなものです。書いて書いて書きまくること。永遠に続くように思われるだろうが5分もすれば思いつかなくなってくる、と提案しています。そして全部書き出して分類すると、脳が「ここに書き出したから、もう覚えておかなくてもいいのだな」と判断し、書き出されたことは脳の負担が減り、“覚えておかなきゃ”ストレスがなくなり、脳は余裕を持って次のことに取り組めるという説明となります。

ToDoを書き出す価値を上手に高めていると感じました。ここがGTDの啓発的な部分だなと思います。やるべきことが全部把握できているからこそ、それ以外のことにも取り組めるようになると説いています。“あれもやらなきゃこれもやらなきゃじゃ、自分の一番やりたいことなんてずっと後回しだよ”って言っていて、それはごもっともでした。

さて、もう一歩踏み込んで、私の感じていることも書いておきたいと思います。

GTDは、それほど新鮮さを感じることはないかな、と思いました。やはり私が素晴らしいと思うのは”7つの習慣”であり、主体性を発揮するということなんだなと確認しました。GTDはやらなきゃならないことを全部書き出すことを薦めるのに対して、7つの習慣は、自分が“どんな役割”を生活の中で果たすのか考えて決め、その役割に応じて「何をするのか」チェックリストを考え出して作ることを提案しています。ここに大きな違いがあると思うのです。

今何をしなければならないかをチェックリストにするというのは、とても反応的な行動で、流れに身を任せて自分がなくなる危険性を含んだ作業だと思います。上司に言われたことと所属する組織から提案されていること全部をチェックリストにしたところで、全てを実行することは普通できないものです。

大事だと思うのは、「しなければならないこと」をリストにする反応的な態度ではなく、「自分がしたいと心から願うこととするべきこと」をリストにする主体性だと思います。どんな仕事やお誘いが入ってこようが明日の午前のチェックリストにボランティア活動に打ち込むことだと決めたらそれを実行する。私は自分が決めたチェックリストに従う習慣をつけたときに、成長を感じ取ることができるようになった大切な過去を持っているのです。勿論まだまだ青二才でありますが。

全ての物事は2回。チェックリストに自分の主体性を発揮しよう。

結婚/動機のクオリティ

今度は結婚に当てはめて動機の成分を追ってみたいと思います。これ、私としてはかなり興味深いと思っております。

<一般的な結婚に対する動機の成分>

レベル1.罰則を恐れて行動する(こわいから)
-親や親族の手前、結婚しないと格好が付かないから
-これ以上年齢が進むと結婚できなくなるかもしれないから

レベル2.報酬を求めて行動する(ほしいから)
-相手の収入や財産から自分が経済的な益を得られるから
-相手の立場ゆえに、自分も良い立場が得られるから
-相手の身体的魅力を自分のものとすることができるから
-相手の知的能力により様々なことを教えてもらえるから
-相手からの暖かい関心や愛情を与えてもらえるから
-相手のその他の能力により自分を助けたり喜ばせたりしてくれるから

レベル3.義務感ゆえに行動する(やるのがとうぜんだから)
-回りがどんどん結婚しているので

レベル4.愛や欲求ゆえに行動する(やりたいから)
-好きになっちゃったんだからしょうがないでしょ!

レベル5.意義を感じ取り、与えたいと願って行動する(あたえたいから)
-相手に自分がしてあげたいと思うことがあり、そこから自分が充実感を得られる
-その相手と一緒になることにより、新しい意義深い行動に打ち込める期待がある

これまで分析してきた通り、レベル1,2の成分は質が低く、幸福にあまり寄与しません。しかしながら、超強力なレベル2のパラダイムの魔法がこの世の中にはかかっていると判断せざるを得ません。

結婚相手に何を望むか?

ここから世の中はスタートします。望まない、という選択肢が最初からないのです。これでうまくいく方が驚きです。動機が、欲しいものを満たすという低レベルの成分が多い状態で結婚したとします。結婚した途端、これらは全て満たされます。その結果生み出されるのは、次に欲しい物です。子供か名誉か地位か車か、欲しいものを満たすという精神で人生の決断を下してきているわけですから、当然そうなることでしょう。互いを愛するという誓いから遥か遠く離れたところに二人はいることになります。

私の参考としているある本には、盲目の恋と真実の愛をどのように見分けることができるか、というコラムがありました。そこにはこうあります。「盲目の恋:自己中心的,限定的。『自分にどんな益があるだろうか』と考える/真実の愛:利他的な気持ちで相手の益を気遣う」。

結婚する時の動機の成分。得ようとするのではなく、与えようと願っているのだろうか、と。そもそも、与えようと願うとはどういう状態なのか理解が難しい。つまりこれは私がそれをまだ知らないことを意味している :-P 。